*これは、新宇宙の女王試験が終わり、教官や協力者たちが聖地を去ってから、(聖地外の時間で)二年ほど後の話です。

白く聖なる夜
1.


 ある辺境惑星の年の暮れ、その星の中でも辺境にある雪深い寒村に、住民の何倍もの人々が集まっていた。

 細々と酪農を営み、冬の間は室内で生活用品を作って過ごす──普段はそんな素朴な村人たちだけが通う小さな教会に、 朝から大きな機材が幾つも運び込まれ、臨時の座席までもが手早く造られている。 だが全ての作業は、出来るだけ元の姿に戻しやすい様に、そして音響を損なう事のない様に、細心の注意が払われていた。

 音響──そう、これらの原因は、クリスマスと呼ばれるこの日に突然開催が決まった、パイプオルガンコンサートなのである。

 演奏者は、宇宙に知れ渡った作曲家にして詩人、そして画家でもあるセイラン。

 村人は全員席に着けるよう配慮されていたが、それ以外は、どんな富豪だろうと著名人だろうと、仮ごしらえの椅子に掛けさせられ、 コンサートの始まりを待った。




 やがて日が暮れ始め、あまり明るくもない照明が点り始めた頃、主催者であるマネージメントオフィスの者が舞台に立って、開始10分前を告げた。

 その時、二人の男が、音もなく聖堂に入ってきた。 舞台に気を取られていた客たちはそれに気づかなかったが、聖堂の入り口の方を向いていた主催者の目は、完全に彼らに釘付けになってしまった。

 一人は、艶やかでまっすぐな黒髪を背にさばき、全体としては痩躯の長身に、礼服の映える理想的な幅を備えた肩をしている。 象牙色の顔の、彫刻の様に美しい眉目には何の表情も現れていなかったが、それが却って、神秘的な威厳さえ感じさせている。

 もう一人は水色の長い髪をゆったりと結わえ、黒い礼服からのぞくほっそりした手足や首が、意外に広い肩の線と、 危うくも美しいバランスをなしている。その面は、女性でもかくやと思われるほどの繊細な美貌に、見る者を魅了せずにはいられない 優しげな微笑を乗せている。

 彼らが席に着くと間もなく、照明が落とされた。



2.


 舞台奥のパイプオルガンの周囲だけが煌々と照らされ、そして、演奏者が現れた。

 礼服に似た素材の黒いチュニック風スーツに身を包み、藍色の髪を顎のあたりで切りそろえた華奢な青年がオルガンの前に立つと、聴衆からは賛美のため息が洩れた。 滅多に人前に姿を現さない彼は、まるで深海に息づく真珠だった。まさに真珠のような白い肌に、海の碧を思わせる瞳。 彼自身が一流の芸術家の手によって生み出されたかの様に、非の打ち所のない美貌。

 セイランは素っ気なく一礼すると、椅子に腰を下ろした。演奏曲目は、一年ほど前に発表し、絶賛を受けた組曲"聖なる印象"である。

 白い指が鍵盤に触れる。辺境の教会は、その時、一つの宇宙になった。


 無辺の空間に息づく無数の命  その上に注がれる、無限の愛

 この愛を受け、ある時は誇りが、ある時は安らぎが、勇気が優しさが力が、心の中に呼び起こされる
 与えられ、あるいは自らの頭と腕で勝ち取った実りを、美しい夢と確かな知の下に活かしていく
 そんな小さな日々が、存在が数を重ね、時を重ねて大きな流れとなり、砂金の様に、比類なき宝を遺していく

 それは、全ての人間の中にある、崇高なもの
 祝福されるべき、美しく大いなるもの……



 長時間の演奏の間、聴衆は我を忘れて聞き入っていた。やがて最後の音を止めた演奏者が立ち上がると、一瞬の間をおいて、聖堂には割れんばかりの拍手が鳴り響いた。 一礼し、軽く手を挙げてそれに答え、セイランは足早に舞台を歩み去る。

 再登場を求める拍手の中、最後に入場した二人もまた、そっと教会を後にした。



3.


 黒髪の男は黒い外套、水色の髪の男は白い外套に身を包み、村外れの方角へと向かった。 踏み固められた道を逸れると、雪は膝ほどの深さがあったので、二人は足元に気を配りながら森へ入っていった。

 月明かりの下で、厚く雪をかぶった木々が、幻想的な姿を見せている。

 とある大木の下に着いて足を止めた時、急に背後から、彼らを呼び止める声が聞こえた。

 「……コンサートはいかがでしたか、お二方」

 振り返った二人の前には、先ほどの演奏者の姿があった。 先ほどの服装のまま、コートも着ないで追いかけてきたらしく、その美しい髪を乱して白い息をついている。

「お久しぶりです、クラヴィス様、リュミエール様」

「セイラン!」

水色の髪の青年が、喜びに満ちた声を上げる。喜色が現れているのは、セイランも同じだったが、彼はあえて冷たい言い方をした。

「一体どういう事なんですか。守護聖様をご招待した記憶はないんですけどね」

「女王陛下の思し召しだ」

長身の男が、低い声で答える。

「人前に出るのを嫌うお前が、珍しく演奏会を開くとお聞き及びになって、我々を遣わされた。 本当ならば、ご自身で聴きに来られたかったそうだが、どうしても時間が取れなかったのだ」

 なるほど、というように肩を竦めるセイランに、リュミエールが語りかけた。

「今日の演奏はディスクに録音され、その売り上げは全て困窮者のために寄付されるそうですね。やはりあなたは、優しい心の……」

「誤解しないで下さい」

セイランはきつい目で相手を見据える。

「全てはこの教会のオルガンを使いたいがため、ですよ……
こんな辺鄙な所に、数世紀前の天才職人の手になるオルガンが残っていると聞いて、僕はそれを確かめにきた。 実際に弾いてみると、それは予想以上に素晴らしく、演奏家でもないこの僕が、何としてもここで録音をしたいと思うようになった。
その条件として村長や牧師が出したのが、この教会の聖なる日"クリスマス"のミサの前に演奏をする事、 そして、さっき言われた寄付をする事、だったんです」

挑むように二人を見上げ、セイランは短く言葉を継いだ。

「ね。善行の正体なんて、こんなものですよ」

「変わりませんね……あなたは」

苦笑と共に答えるリュミエールに、藍色の芸術家は片眉を上げてみせる。

「守護聖様方には及びませんけどね」

普段は忘れがちな事をはっきりと指摘され、水の守護聖は言葉を失った。
 水色の髪の流れるその背に片手を添えながら、闇の守護聖は無表情に答える。

「そういう所が、変わらぬというのだ」

 セイランの哄笑が、夜の森に響いた。

「本当に楽しい方たちだ、帰らせたくないくらいにね。まったく、これほど普通に話のできる相手を聖地以外で見つけるのは、至難の業だよ」

「……芸術家の孤高、というのものか」

真剣な声で、クラヴィスが呟く。

 セイランは、はぐらかす様に微笑むと、軽い調子で答えた。

「まあ、僕にはそれくらいが、ちょうどいいんですけど」

 その言葉を聞いた水の守護聖は、思わず問いかけた。

「さびしくはないのですか、セイラン。私は時々、思うのです、もしあなたが……」

「リュミエール!」

水色の青年の口からこぼれかけた言葉を、クラヴィスが制した。その様子で藍色の芸術家には、今彼が何を言おうとしたのかが分かった。

「……無意味な夢想は、時間の無駄だ。あなた方が幾ら、永い時を生きると言ってもね」

 突き放した言い方に、リュミエールが目を伏せた。




 その時、大樹の向こう側が、突然光り始めた。空間に、人の背丈ほどの亀裂が生じ、その中から光があふれ出している。 一面の雪に黄金の光が照り映え、大樹の周囲は、この世のものとも思われない景色となっていた。

「門が開いた……行くぞ」

クラヴィスが声を掛けると、リュミエールは悲しげなため息をついた。

「……では……素晴らしい演奏を、ありがとうございました」

 そう言って差し出された手を、セイランはじっと見つめていたが、すぐにふいと横を向き、顔を伏せてしまった。

「早く、行って下さい」

「セイラン……」

 その時藍色の青年は、急に背中が暖かくなったのを感じた。 驚いて目を上げると、闇の守護聖が、自分の脱いだ外套を着せ掛けてくれているところだった。

「クラヴィス様……!」

「良い音楽を、聞かせて貰った」

 光の亀裂は、早くも閉じ始めている。二人は名残惜しそうにセイランを見ながらも、足早にその中に入った。

 「セイラン、あなたに会えて……嬉しかった!」

深い海の色をした双眸から、涙が流れ出ているのが見えた。 その傍らでは闇の守護聖が、今まで見たこともないほど優しい瞳でこちらを見つめ、黙って頷いていた。

 二人の姿は光に包まれ、次第に定かでなくなっていく。セイランは思わず、一歩を踏みだして叫んだ。

「僕も……僕だって、お二人に……!」

 その瞬間、光は一気に強まり、そして、消えた。



4.


 白い森の中で、セイランはただ一人、光の消えた場所を見つめていた。

 二度と会う事もないと思っていた人たちとの、つかの間の再会。そして、永劫の別れ……

 教会の方から、微かな歌声が響いてくる。村人たちのミサが始まったのだろう。 主催者たちは招待客と共に、隣の町でクリスマス・パーティを開くために移動してしまったはずだ。

 この村にも、また、日常が戻ってきたのだ。時が留まる事を知らないように、どんな出会いも幸福も、一瞬の夢に過ぎないから……


 そう、どんなに美しい思い出も、時間を戻してくれるわけじゃない
 けれど、折々の自分の中で、それは常に、新たな命を持って蘇り続ける
 そして芸術は、他人の中にも同じ思い出を、印象を遺す事ができるのだ

 この一瞬はすぐに過ぎ去り、二度と戻ってはこないけれど
 この一瞬は、決して終わる事がない



 「悲しむ事なんて、何もないのさ」

 セイランは外套の前を合わせながら一人呟き、流れてくる賛美歌に耳を傾ける。 そして、素晴らしい時間を与えてくれた小さな教会に、この白く聖なる夜に、感謝と敬意を込めて、祝福の言葉を囁いた。

「メリー……クリスマス!」
FIN
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