光の子
その子にはジュリアスという名前があったけれど、 ぼくは心の中でいつも”光の子”と呼んでいた。
そしてぼくは、その子が怖かった。
光の子とは比べ物にならないけれど、きれいな顔にきれいな服や靴で、
いつも胸を張って真っ直ぐに人を見る子たちに、ぼくは何度か会ったことがある。
そういう子たちはぼくを見ると、 石を投げるか犬をけしかけるかして、追い払おうとする。怖がって逃げるぼくを面白がって笑う。石に当たって血でも出そうものなら、
それを投げた子は英雄にでもなったように大いばりで次の石を手に取る。
それを思い出して怖かった。でも、それだけじゃない。
ぼくと母さんは仲間の人達と一緒に、踊りを見せたり音楽を聞かせたり、占いをしたりして暮らしていた。でも本当は、
ぼくたちはどこにも居てはいけないのだった。
町でも、森でも、街道でも、ぼくたちがそこに居るのが見つかったら、
誰かが必ず追い出しに来る。くつろいで休めるのは人目のない夜だけで、仕事のない日は、日が暮れるまでずっと、
どこかへ向かって動いていなければならなかった。
ぼくたちにとって、太陽は身を隠せない恐ろしい光で、
かがり火や月や星こそが、気持ちの安らぐ優しい光なのだ。
ジュリアスの光は、その、昼の太陽の光だった。
波を打って流れる髪は太陽みたいに輝いていたし、きれいで真っ直ぐな目は晴れた空の一番濃いところと同じ色をしていた。
そしてぼくは、その子が怖かった。
ある日の夜遅く、ぼくは十日ぶりに水晶球を覗いてみた。
やはり、そこに母さんの姿はなかった。十日前それに気がついてから、ぼくは食事もとらず、仕事も講義も放ったまま
部屋に閉じ籠もっていたらしい。気がつくと寝台に寝かされ、この屋敷の人に何かを無理やり飲まされていた。
屋敷の人にも、駆けつけた年長の守護聖たちにも理由をきかれたけれど、とても答える気になれなかった。
それで黙っていたら、”いつものわがままだ”と怒り出して、部屋を出ていってしまったので、ぼくは少しほっとしたところだった。
水晶球はもう母さんを映す事はない、そう思った時、誰か他の人がそこに見えるのに気がついた。急いで気持ちを集中すると、
ジュリアスの姿が現れた。
光の子は、寝台に一人座って泣いていた。涙も流さず声も出さず、
それでも心が泣いているのがぼくには分かった。
いつも沢山の人に好かれ、取り巻かれているはずのあの子が今、
たった一人で泣いている。付き人たちはただ遠巻きに見てため息をつくばかりで、近づこうともしていない。
(ジュリアス様のご就任以来、初めての時流操作が、遂に行われてしまった……)
(昨日の午後、王立研究院でそれに気付かれたのですって)
(どの守護聖様も、家族を失う際の時流操作には耐えがたい衝撃を受ける。まして、このお歳では……)
ぼくは、じっとしていられなかった。屋敷の人にことわる時間も惜しかったので、窓から抜け出してジュリアスの屋敷まで
走っていった。
向こうの屋敷の人達は、何か理由をつけて通すまいとしていたけれど、ぼくはその足元をすり抜けて行った。
寝室がどこにあるのかも、だいたい見当がついていた。
ドアを後ろ手に閉めると、ジュリアスがこちらを振り向いた。
「……クラヴィス」
驚いたような顔で、彼はぼくに自分の隣に座るよう手招きした。
しばらく二人とも黙っていたけれど、その内にジュリアスが聞いてきた。
「そなたも気付いたのか、あの……事に」
「……うん」
「そうか」
彼は、大きくため息をついた。
「これほどに動揺するとは思わなかった。未来の守護聖として教育を受けていた頃から、常に覚悟はできていたはずだった。
だからこそ聖地に向かう時、父上母上に対してさえ毅然とした態度でいられたのだ。なのに……」
声が上ずり、光の子は急いで自分の喉を押さえた。でも、間に合わなかった。
「……父上……母上……」
青空の目から涙がこぼれ落ちる。彼はぼくの肩に額を付けると、押し殺した声で泣き出した。
光の子の……涙。
泣かせたくなかった。これ以上、この子を悲しませたくなかった。ぼくはそっと彼の額を肩から離すと、そこに口付けた。いつもぼくが悲しい時、母さんはこうやって慰めてくれたのだ。
ジュリアスの泣き声が止まった。まだ震えは残っていたけれど、さっきまでとは違う、何かを思い出そうとするような顔でぼくを見つめ出した。
「温かい……これは、何だ。これは……確かに覚えがある。ずっと以前に、母上がして下さった事がある。その後、私は守護聖の資質を見出され……別れが辛くなるといけないと、父上が母上を気づかわれたので、こういう事は、なされなくなった……」
「……ジュリアス」
「そうだ、母上の唇も、そなたのように温かかった……唇とは、温かいものだったのか。そなたのように、母上のように、私も温かな唇をしているのだろうか……」
そう言うと光の子は手を伸ばし、ぼくの唇にそっと触れた。
ぼくは、驚いて声も出なかった。彼に触れられたのは初めてだったし、その指は、寒さにかじかんだ事も、ひび割れた事も、もしかしたら、擦りむいた事さえないと思えるくらいに滑らかで、柔らかかったのだ。
少ししてジュリアスは手を下ろすと、今度は自分の唇に触れ、それから安心したように、こう言い出した。
「同じだ。私も、そなたと……母上と同じように、温かい」
涙で濡れた顔に、晴れやかな色が戻り始めていた。
「やっと分かった、何があろうと、どんなに時が流れようとも、この温かさの中に母上はいらっしゃる。父上も、家中の者たちも、置いてきた仔馬も皆、消えるのではない。私が生きている限り、私の中で生き続けているのだ」
「……そう」
「クラヴィス、そなたも同様だ。もう悲しむ必要はない」
ぼくはうなずいてみせたけれど、本当はよく分からなかった。やっぱり母さんは死んでいるのだから。でも、彼がもう悲しまなくなるのなら、それでいいと思った。
「感謝するぞ、おかげで心が安らいだ。もう大丈夫だ。そなたにとっても……有意義な……時間……」
「ジュリアス?」
「すまぬ、少し……疲れた」
そこまで言うと、光の子は寝台に倒れこみ、眠ってしまった。
安らかな寝顔だった。
「安らぎ……」
その時ぼくは初めて、闇の守護聖になって良かったと思った。
帰り道で、ぼくは夜明け前の空を見上げた。
もう少しすると、ここに太陽が昇ってくる。でもきっとそれは、今までほど嫌でも恐ろしくもないだろう、ぼくにはそんな気がした。
FIN
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