遠 い 面 影




 254代女王の御代も後期にさしかかったころ、聖地は一人の研究者を追っていた。

 その男は、ある犯罪組織から援助を受け、王立研究院――当時はごく限られた学歴と家柄を持つ者にしか、門戸が開かれていなかった――以外では禁じられている、サクリア研究を行っていたのだ。






 やがて男の専用研究室の場所が突き止められると、一人の守護聖が女王に申し出た。

「逮捕には、私も同行させて下さい」

まだ17、8歳にしか見えないその少年は、控えめだが覚悟を決めた表情で付け加えた。

「彼の……素性は聞きました。その上で、地の守護聖として、お願いいたします」

女王はしばらく少年を見つめ、そして頷いた。

「よし。行くがよい、ルヴァ」






 廃工場の地下の小さな研究室に着いたルヴァは、女王直属の部隊が見張りの者を音もなく拘束するのを見届けてから、扉を開けた。

「誰だ!」

部屋を埋めつくす機器の奥で、叫ぶ声がした。

「あなたに、正式な裁きを受けさせに来ました。外に、護送の者が待っています……」

「……ほう」

震える声の呼びかけに、震える声が返される。

「聖地も粋な事をするものだな。わざわざ地の守護聖様に、俺を逮捕させるとは」

やつれた顔に歪んだ笑みを浮かべて進み出てきたのは、二十一、二歳の痩躯の青年だった。

 だが、そこに快活な面差しのなごりを見出したルヴァは、我を忘れて叫んでいた。

「どうして、こんな事を!万一にでも悪い人がサクリアの情報を手に入れたら、大変な事になるのは、あなたも分かっているでしょう」

「どうして、だって?」

青年の灰色の眼が、食い入るように地の守護聖を見つめる。

「サクリアが合成できるようになれば、守護聖は必要なくなるだろう?俺はただ、あんたを連れ戻したかったんだよ、兄さん!」

 驚きと悲しみ、それに愛おしさが胸に渦巻いて、ルヴァは言葉も出ない。その間にも青年は、堰が切れたように話し続けていた。

「人としての幸せを奪われた兄さんを助け出そうと、必死で勉強して、五年前に家を出て、組織に話を持ちかけたのさ。望みの薄い研究なのは分かっているが、いつか合成方法を発見したら、組織から逃げ出して、兄さんを自由にするよう聖地と談判するつもりだった」

「あなたという子は……」

ルヴァは静かに弟に近づくと、自分より丈高いその体を抱きしめた。

「私のために、そこまで……でもね、私は不幸だと思った事はないんですよ。だから、どうかあなたは、自分のために生きて下さい。あなたや他の人たちが幸せになれたら、そのための役に立てたら、私は幸せなんですから」

 すると青年は、兄の腕の中で一瞬身をこわばらせ、それから小さく震え出した。

「……いつも……だ」

「え?」

 異端の研究者は、表情を隠すように顔を背けると、喘ぐような声で言った。

「いつも、兄さんはそうだった。俺や近所のガキどもが、どんなわがままを言っても叶えてやって、笑って抱きしめて言うんだ、“あなたが嬉しいなら、私も嬉しい”って」

長い息を吐くと、青年は静かに続けた。

「そうだ。兄さんはずっと、そんなふうに、他の奴の幸せを、自分のもののように感じられる人だった……」

 ルヴァはそっと腕をゆるめ、茫然とした表情に変わっていく弟を、痛々しげに見上げた。

「なのに俺は、黙って去られた悔しさばかり思い起こして、まるで復讐みたいに……」

「辛い思いをさせて、すみませんでした」

少年守護聖は心苦しそうに謝ると、あらためて青年の顔を見上げ、告げた。

「けれど、これだけは忘れないで下さい。どこにいても私たちは、ずっと兄弟ですよ」

 その言葉に、異端の研究者は静かな微笑を返すと、自ら扉に向かって歩き出した。



×                    ×




 懐かしい面影に、充実した人生をしのばせる穏やかさの加わった老研究者の顔を、ルヴァはじっと見上げていた。

 その様子を目にした主任エルンストが、嬉しそうに説明を始める。

「王立研究院近代化の父、XXXの肖像ですね。当時の女王陛下の特別推薦で研究院入りを認められ、優れた業績を残した上、門戸を開放するよう制度改革を行った人物です。今年が生誕X00周年なので、記念に飾ってみました」

「そう……ですか」

 微かな震えを帯びた返事を耳にして、主任は思わず眼鏡に手を掛けた。

 だが地の守護聖は、ただ遠く慈しむような眼差しで、研究院の壁にかかった肖像画を、いつまでも見つめているのだった。

FIN
03.10




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