エピローグ
闇の守護聖は、長い物思いから醒めた。
横たわったまま深く息をつき、それから、傍らに眠るリュミエールに視線を向ける。夜半に眼覚めるのは癖のようなものだが、今宵は恋人の寝姿に見とれるうち、われ知らず回想に迷い込んでいたようだ。
守護聖になる前と後、そしてリュミエールと出会ってからの、永い記憶。そこには少なからぬ苦しみも含まれていたが、全てが現在に繋がっているのを思えば、何もかもが愛しく貴く感じられた。
あの夜、互いの気持ちを告げあってから、幾度の昼と夜を共に過ごしてきたのだろう。どれほど時を重ねても、喜びは増していくばかりで、褪せる事を知らない。
シーツに流れる青銀の髪を、満ち足りた気持ちでなぞっていると、どこからか小さく澄んだ音が聞こえてきた。
身を起こして最初に見えたのは、寝室の壁際に設えた卓だった。だが、そこに置いた水晶珠に、特に変わったところはない。次いで視線を横に動かすと、窓辺に立てかけた竪琴の弦に、カーテンの裾が揺れながら触れているのが眼に入った。
(夜風の悪戯……か)
安堵したクラヴィスは、ふと一節の旋律を思い出した。リュミエールがよく好んで、しかし、なぜか切なそうな表情で奏でる古謡。偶然に鳴った音が、その最初の和音と似ていたのだ。
(たしか……以前、歌詞を教えられた事があった)
……いつか 還りましょう
懐かしいあの惑星(ほし)へ
美しいあの海へ
いつか
きっと……
愛する方と共に。
無意識に口ずさんでいると、水の守護聖が小さく身じろぎし、眼を開いた。
「起こしてしまったか……すまぬ」
闇の守護聖はすぐに謝ったが、リュミエールは半身を起こすと、動揺した表情で問いかけてきた。
「クラヴィス様、その歌は……」
青銀の髪の青年は、そこまで言うと急に口をつぐみ、俯いてしまった。
リュミエールがこのような態度を取るのは珍しい。クラヴィスは相手を見つめながら歌詞を思い返し、やがて気づいた。
望郷と恋という普遍的な内容も、守護聖の立場に当てはめれば、限りなく厳しい願いの歌となる。きっと水の守護聖は、これを奏でながら、祈りのように心で唱えているのだろう。いつか共に守護聖の任を終え、聖地を出て故郷に戻れるようにと。
愛する者との別れを恐れるのはクラヴィスも同じだが、二人が同時にサクリアを失う可能性は皆無に近い。ゆえに彼は、務めて考えないようにしてきたのだ。
それでも、リュミエールはずっと願い続けている。自分の心から逃げず、密かに、しかし、真っ直ぐに。
「祈りを込めて、奏でていたのか……共に聖地を出られるように、と」
胸を打たれる思いで言うと、水の守護聖は、はっとしたように面を上げた。
「お慰めするはずの演奏に、未練な願いを乗せてしまい、申し訳ありません。いくら覚悟しようとしても、どうしても諦めきれず……」
震える声で懸命に謝ってくる姿が、抱きしめたいほど愛しく、跪きたいほど尊い。いったい、どこまで繊細なのか。どこまで誠実なのか。
「何を謝る。私とて望みは同じ、ただ、お前より臆病なだけだ」
「いいえ、そのような……」
なおも謝ろうとするのを遮るように、クラヴィスはリュミエールの唇を、自らのそれで塞いだ。
互いの背に回した腕が、口付けの深まりと共に、強い抱擁となっていく。押し寄せる愛しさと情熱のままに、恋人たちは寝台に身を沈めていった。
その時、壁際の卓の上に、小さな輝きが点った。誰にも気づかれないうちに、それは白から虹を帯びた銀色に変わり、優しく瞬いてから消えた。
大移動の夜、滝の飛沫の一部が、滲み込むように水晶珠に入り込んでいた事を、クラヴィスもリュミエールも知らなかった。
銀虹の宝玉。その祝福は、まだ終わっていないのかもしれない。
FIN
1812