祝福の章・16
16.
切れの長い双眸が、大きく見開かれる。青銀の髪の青年は、視線を逸らせたいのを堪えて続けた。
「混沌でお会いした時、私が最初に感じたのは喜びでした。助けに来て下さったと知って、嬉しかったのです。お母様のような無償の愛を抱いていれば、悲しみと心配しかなかったでしょうに」
躯の芯まで透き通らせるような満月の光の下、リュミエールは告げた。
「クラヴィス様を、誰より大切に思っているのは本当です。けれど、誰よりお心を向けてほしい、ご好意がほしいという恋情もまた、私の裡に渦巻いています……ずっと、いつもです」
全てを言い終えた水の守護聖は、観念したように両眼を閉ざした。燃えるように熱くなっている躯も、すぐ冷たい喪失感に覆われるのだろう。きっと心と共に、解ける事のない凍えに封じられる事だろう。
身構えていたリュミエールは、しかし突如、片頬に触れるものを感じて双眸を開いた。すぐ目の前、これまでになく近い位置に、闇の守護聖の面がある。頬に添えられたのがその人の手だと気づき、水の守護聖は驚いた。
(何……を……)
動揺のあまり身動きもとれずにいると、クラヴィスが何かを言おうとするように、薄く口を開くのが見えた。だが言葉がみつからないのか、無言のままそれは閉じられ、代わりに暗色の眼が僅かに眇められた。
苛立っているようでいて、何かに見惚れているようにも取れる、その表情を見つめているうちに、リュミエールはもう一方の頬にも手が添えられるのを感じた。
そして──視界と意識が、塞がれた。
経験した事もない、甘美さと強烈さ。何が起きているかもわからないまま、青銀の髪の青年は、その感覚に押し流されていた。やがて離れていく寒さを覚え、初めてリュミエールはそれが唇の感触だったと気づいたが、すぐまた同じ甘やかさがもたらされ、意識が朦朧としてしまう。
(クラヴィス様……)
ただ一つの想いだけが、隠しようもなく高らかに響いている。
(愛してい……)
胸中で囁きかけた、その言葉の続きが、自分の耳から入ってきた。
「……愛している」
発しているのは、再度離れたばかりの唇である。
(それは……)
私の想いです、と思う間に、口がまた塞がれる。
幾度もの繰り返しの中で、ようやく水の守護聖は気づいた。それが自分の想いであるのと同じく、相手の想いでもあるのだと。
口付けはやがて優しい抱擁になり、二人は腕の中に互いの温もりを感じあったまま、顔が見えるだけ躯を離した。
「ずっと……」
愛する人の、その声の穏やかさに、リュミエールの胸が満たされる。
「……臆していた」
意外な言葉に、水の守護聖は眼を見開いた。
クラヴィスは、呟くような声で続ける。
「過去を償う術を得、ようやく現在に眼が向くようになると……お前の言葉が、頭から離れなくなった」
白い指が、リュミエールの背から肩に、そして髪の中へと移っていく。
「真意を質したいと思いながら、尋ねるのを恐れていた。我が罪も想いも知られた今、お前にどう見られているのかを」
梳られる感触に陶然となりながら、しかし水の守護聖は、聞き返さずにいられなかった。
「クラヴィス様の……想いを?」
指の動きが、止まる。
「この身の裡にいたのだろう。現在に至るまで、全ての回想に立ち会ったのではなかったか」
見つめてくる暗色の瞳に、リュミエールは小さく頭を振った。
「私が立ち会ったのは、前陛下との……出来事までです」
闇の守護聖は、眼を見張ったまましばらく黙り込んでいたが、やがて、何かに思い当たったように苦笑を浮かべた。
「お前との出会いを思い出す前、一度、震動のようなものを感じた気がする……そうか、あの時に出て行き、再生されたのか」
言いながらクラヴィスは両腕に力を込め、再びリュミエールを抱き寄せた。愛おしさのまま青銀の髪に頬を寄せ、少し俯くと、ちょうど唇が相手の耳朶に触れる。
そこに言葉を吹き込むように、彼は囁いた。
「今少し留まっていれば、嫌というほど知っただろうに。初めて会った時から、私がどれほどお前に魅せられてきたか、お前の全てにどれほど惹かれ、焦がれ……求め続けてきたかを」
リュミエールが長く切なげな息をつくのを、闇の守護聖は聞いた。躯がふっと傾きかけ、しがみつくように腕を背に回してくる。
自分もまた求められている──そう感じた瞬間、しかし、クラヴィスは躊躇を覚えた。
思いがけない告白を受け、酔ったようにそれに乗じてきたが、本当にこのまま幸福になれるのだろうか。許されたとはいえ罪を犯し、償いも済んでいない自分に、その資格があるのだろうか。
あまりに永い間、自らに喜びを禁じてきたせいか、迷いと疑いが際限なく浮かんできてしまう。苦しみに慣れすぎて、幸せを受け入れる勇気が出なくなってしまったのかもしれない。
だがその時、水の守護聖が消え入りそうな声で呼びかけてきた。
「クラヴィス様……?」
芯にこもる一途な、そして熱を帯びた響き。強い感情に震えながらも、こちらの様子が変わった事に気づき、懸命に心配しているのが伝わってくる。
(……そうか)
闇の守護聖はゆっくり頷くと、相手の顎に指をかけて上向かせた。潤んだ青い眼が幾重にも月の光を映し、例えようもなく美しい。
わかっていたはずではないか。いかに繊細で情に脆くとも、リュミエールは誰より思慮深く、そして強いのだと。
そのリュミエールが自分を求めているのなら、疑う余地など何処にもない。信じ、そして誓おう。自分は幸福に値する者だと。寄せられる想いにはより強い想いで応え、お前をも幸福で満たしていくと。
「愛している」
相手をまっすぐに見返しながら、クラヴィスはもう一度言った。