祝福の章・15
15.
意味をつかみかね、ただ見返す水の守護聖に、クラヴィスは続けた。
「女王に先代の手紙を渡され、ジュリアスから先々代の言葉を伝え聞いた」
リュミエールは、恐怖に近い衝撃を受けた。消す事のできない過去の過ちが、嘆きと咎めが、ついにこの方に追いついてしまったのか。悲しい行き違いから起きたとはいえ、その責を負う苦痛はどれほど大きいものだろう。代われるものなら、せめて、分かち合えるものであったなら……
だが、なぜか闇の守護聖の面には、苦しみというより、感じ入ったような表情が浮かんでいた。
「いずれも、思いがけない内容だった。女王たちは二人とも、私が心に傷を負っているのに気づいていたのだ。酷い行いもそのためだろうと察しながら、私の状態を悪化させないために、あえて干渉を避けていたという。そして、ジュリアスも──」
淡々と語るクラヴィスを、水の守護聖は呆然として見つめていた。
「──先々代の要請を受け、怒りを抑えるよう務めていたそうだ。話を終えたあの者が、償いとして求めたのは、私がいっそう闇の守護聖らしくするという一事のみだった」
言葉が止まり、大きく息をつく音が聞こえてくる。
リュミエールは安堵のあまり、全身から力が抜けそうになった。思いがけない──それも、良い方に思いがけない事実だった。この方は既に理解され、赦されていた。もう責められる事も、厳しい償いを求められる事もなくなったのだ。
喜びに胸が満ちた次の瞬間、しかし水の守護聖は、ある事を思い出して俯いた。
「どうした……何を考えている」
問いかけられて、顔が赤らむのがわかる。消え入りたい気持ちをこらえながら、リュミエールは答えた。
「咎めを受ける事がなくなり、心から良かったと思いました──が、恥ずかしくてなりません。かつて私は、クラヴィス様の痛みに誰も気づいていなかったと思い込み、勝手に憤っていたのです」
口にするといっそう、自らの傲慢さ、考えの浅さが明らかになる。幻滅した表情を見るのが恐くて、水の守護聖は一層深く俯いた。
しかし、耳に届いた言葉は、意外にも暖かい響きを持っていた。
「お前が……私のために、憤ってくれたのか」
驚いて見上げると、切れの長い暗色の眼に、微笑と呼んでよいほどの柔らかな表情が浮かんでいた。
「いつもお前は私を守り、癒そうとしてくれる。恥じる必要など、どこにあるというのだ」
そこまで言って、闇の守護聖は不安を思い出したかのように表情を曇らせた。
「……だが、リュミエール」
しばらく躊躇した後、クラヴィスは再び口を開いた。強い葛藤を抑えているのか、低い声が震えを帯びている。
「ただ庇護する者として、母のような眼で、お前は私を見ているのだろうか」
リュミエールは、心臓が大きく打つのを感じた。混沌から脱した直後、自分が何を言ったかを思い出したのだ。
『もし、お母様が私と同じ眼をなさっていたのなら……』
壊れそうなこの人を、ただ救いたい一心で、口走った想い。
『……それは同じ思い──クラヴィス様を、愛するがゆえだったのではないでしょうか』
間違いではないが、全てを告げたわけでもない。愛と呼んでしまえば同じ言葉だが、大切に思うだけではない身勝手な感情が、この人の心を我がものにしたいという欲望が、自分の裡にはある。長い、長い間、秘め続けてきた想い。知られてしまえば、培ってきた信頼も好意も、何もかもが一瞬にして壊れかねない真実。
本心を隠し、今の問いに肯定で答えれば、これまでと変わらず過ごしていけるだろう。だが、それは大切な方を騙し、その母親を侮辱する事になる。いつ偽りに気づかれるかと怯え、この方をまた傷つけてしまわないかと、不安を抱いて生きる事になる。それでも、変わらないと言えるのか。今どう答えようと、結局、幸せは去ってしまうのではないだろうか。
決めあぐねて向けた視線に、クラヴィスが案じるような眼差しを返してくる。リュミエールはそこに、一条の救いを見出した。
(全てを失うわけでは……ない……)
そうだ、あの時本心を口にしたのは、愛しい方の精神を守るためだった。それが果たせたのだから、真実を告げても、悔いなどあるはずがない。たとえ今を限りに遠ざけられようと、迷惑と嫌悪の眼で見られようと──
決心したばかりだというのに、想像しただけで、悲しみが押し寄せてきそうになる。これ以上気持ちが揺らぐ前にと、リュミエールは急いで答えた。
「いいえ」