は じ ま り


 エレベーターの扉が開くと、夜が迎え入れてくれた。




 星見の塔の最上階には、常に美しい星空が広がっている。アルカディアと名付けられたこの地が、実際にはどの時刻であろうとも。

 長身を黒衣に包んだ闇の守護聖は、他に誰もいないのを見て取ると、安堵したように星形のテラスへと進み出た。

 底知れぬ闇に瞬く、無数の星々。

 夜空と呼べば偽りだが、宇宙(そら)と呼べば、それは真実となる。そもそも昼夜など、己のいる場所が、その時恒星に対して取っている位置の反映に過ぎないのだから。

(むしろ、真に“在る”と言えるのは、この星空だけかもしれぬな……)

 そんな事を考えながら、散策とも付かぬ歩みを進めていたクラヴィスは、自動占い機の前で足を止めた。

 薄暗い空間に放たれる色鮮やかな輝きが、端正な面を彫像のように浮かび上がらせる。

 ホログラムを見下ろすと、艶やかな黒髪が肩から一房垂れ落ちた。が、踊るように動き続ける幾つもの立方体は、何の抵抗もなくそれを過ぎっていく。

「“無”……か」

 低い呟きが、頭上の闇に吸い込まれていった。






 昨夜の強い地震は、エレミアに火災を引き起こし、アルカディアの人々を恐怖させた。

 幸いにも大事には至らなかったが、後刻、王立研究院に召集された守護聖や女王たちは、栗色の髪のアンジェリークとリュミエール − 二人は、異変を感じて銀の大樹の下に来ていたのだ − から、恐るべき事実を知らされたのだった。

 「あの地震は、強大な力と憎悪を持つ者によって引き起こされたのです。私たちは、その者がこう言うのを聞きました“憎い……ニクイ……全てを無にしてやる……”と」

 リュミエールの言葉に、一同は驚きの表情を隠せなかった。

「全てを無に……って、じゃあ、そのために陛下とアンジェを……」

 言いかけたレイチェルは、それ以上続けるのを躊躇し、黙り込んでしまう。

 暫しの沈黙の後、ロザリアが落ち着いた口調で話し出した。

「分かったわ、レイチェル。敵の目的はそれだったのね……万が一、二つの宇宙の女王が、このはざまと共に消滅する様な事でもあれば、間違いなく他の宇宙も、その影響を受けて不安定になりますもの。そんな時に、圧倒的に強い力を持った者が働きかければ、恐らくは……」

 問いかける視線を送られたエルンストが、重々しく答えた。

「はい。全ての宇宙を無にする事も、不可能ではないでしょう」

 一同は、言葉もなく立ちつくしていた。

 見えざる敵の強大さ、目的の巨大さが、彼らの心を重く圧し始めていたのだ。






 占い機から離れたクラヴィスは、テラスの縁に近づくと、再び星空を見上げた。

 煌めく星々の間に横たわる、果てしない闇。

 結局、宇宙の殆どを占めているのは、そこに存在する全てのものを合わせても、はるかに及ばない、無 − 大気も引力も光も無い、巨大な空間なのだ。

 “全てを、無に……”

 その望みに同調しそうな心が、クラヴィスの中にはあった。

 永遠の無、永遠の平穏、終わりなき真実の静寂。惹かれずにいられないのは、サクリアのためか、自身の性か……




 だが。




 “無にしてはならない……”

 そう拒む心をも、彼は自分の中に、確かに感じ取っていた。

(これは……?)

 何なのだろう。微かだが、驚くほど激しい色をした、この思いは。

 闇に半ば沈み掛けた身の、一体どこから、その様な思いが生まれてくるのだろう……




 物思いに耽りながら、どれほど間そこにいたのか、気づけば星々が大きく位置を移している。

 「……長居し過ぎてしまったか」

 ゆっくりと階段を下り、エレベーターに消えていく長身の姿を、闇が無言で見送っていた。




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