半月の舞踏会
1.
「この記念式典は、宇宙と女王陛下、そして聖地の安泰を祝うために、聖地時間で百年に一度、とり行われるものです」
集いの間に勢揃いした守護聖たちに、女王補佐官は厳かに告げた。
「主だった星の元首たちも招待され、式典の後には親睦を深めるための宴や舞踏会も催される事になっています」
一同の中央に立っていた光の守護聖の目が、ほんの少しだけ輝きを増す。
(舞踏会……)
その時、補佐官がいきなり彼に話しかけてきた。
「ジュリアス、式辞はよろしくお願いしますね」
「……承知した」
一瞬の間をおいて答える光の守護聖ジュリアス。
彼はまだ、ほんの6歳の少年であった。
飛ぶように過ぎゆく日々の中、式典や宴などの準備は滞りなく進められ、あとは明日の開催を待つばかりとなっていた。
執務も特別に休みとなり、式辞を完璧に記憶したジュリアスにはもう為すべき事もなかったので、珍しく足の向くままに散策を楽しんでいた。
宮殿はもちろん、庭園でも職員が忙しそうに飾り付けをしている。
彼はしばらく作業を観察していたが、やがてそれにも飽き、森の湖へと足を伸ばす事にした。
ここでは特に催しも組まれていないので、聖地中の人が忙しい分だけ逆に人気がない。
緑の中に水の流れる音だけが響くその場所で、見覚えのある姿がただ一人地面に座り、湖面を見つめていた。
穏やかな陽射しが、その癖のない黒髪の上で小さな虹の束を成している。濃い睫毛のせいでいつもは沈んで見える瞳の色も、反射した陽を受けて本来の紫色に透き通っている。
ジュリアスは無意識に足音を潜めて近づいていった。
「……クラヴィス」
「あ、ジュリアス」
驚いて振り返る小さな闇の守護聖の隣に、彼は腰を下ろした。
「ここには、誰もいないのだな」
「……うん」
「皆、明日の準備で忙しいのだろう。重要な式典だし、その後には舞踏会も催されるのだからな」
クラヴィスは、不思議そうに傍らの少年を見た。空の色をした両眼が意気込んだように輝き、白い頬も仄かに赤らんでいる。
「ジュリアス……それ、楽しいものなの?」
「何?」
金の髪の少年は驚いて聞き返した。
「まさか、そなた、舞踏会を知らぬのか」
「……ごめんなさい!」
怯えたように謝るクラヴィスに、ジュリアスは気を落ち着けて話しかけた。
「いや、知らぬ事が落ち度なのではない。ただ前もって、誰かに尋ねておくべきではあったな……それでクラヴィス、そなたは踊れるのか」
「えっ」
驚いたように紫の瞳を見開いた少年は、そのまま小さく頷いて答えた。
「うん……“3個”なら」
ジュリアスが不審そうな顔をしたので、黒髪の少年は立ち上がると、小石3個を少しずつ離して地面に並べた。
そしてその間を縫うように、リズミカルに、複雑なステップで舞い出した。
ジュリアスは知らなかったが、これは、流浪民の間で伝わる『杯の踊り』といい、実際には石の代わりに酒の入った杯を置いて踊られる。こぼさずに美しく踊り終えた者がそれを飲ませて貰えるという、いわば宴席の余興の様なもので、上手な者は20個以上置いて踊る事もあるという。
「見事だ」
踊り終わったクラヴィスに、金髪の少年は思わず賛辞を送ったが、その顔はすぐに困惑した表情に変わっていく。
「だがそれは、舞踏会で行われるものとは違う様だ……よし、今からでも遅くない、私が教えてやろう!」
「ジュリアス、踊れるの?」
「空いた時間に本で独習しておいたからな。教師達には、まだ正式に習う必要はないと言われているが、この様な日が来るかも知れぬと、備えておいたのだ」
小さな光の守護聖は、誇らしげに胸を張った。
「とりあえずワルツを覚えておけばよかろう。基本の16フィガーからだ……」
少年たちの小さな足が、草の上でワルツを舞い始めた。
「“3個の踊り”をしていただけの事はあって、動きも覚えも良いな。もうホールドでできるだろう」
ジュリアスの指示に従い、二人の腕がクローズド・ホールドに組まれる。
「それから……待て、男性がこう動くのだから、女性は……よし、行くぞ」
頭の中で動きを計算し、ジュリアスは女性の動作を行った。
「1・2・3、1・2・3……」
「いいぞ、そう、それで良い!」
ジュリアスの嬉しそうな声が、湖畔に響きわたる。
クラヴィスが一応の動作をマスターしたので、二人は少し休憩する事にした。
息を整えながら、クラヴィスが言う。
「……ありがとう」
「うむ」
小さな光の守護聖は、笑顔で頷く。
「明日は私にとっても初めての舞踏会だ、お互いに良い夜にしたいものだな」
「ジュリアスにとっても?」
少し驚いた様に聞く黒髪の少年に、ジュリアスは思い出したように話し出した。
「そうだ、今の内に説明しておいた方が良かろう……
舞踏会とは、人々が集まって踊りを楽しむ催しだ。
私の生家でも何度か開かれたが、多くは夜に行われるので、私自身は年若いという理由で参加を見送られていた。
それが、ある時……あれは、聖地からの使者の来る少し前であったか、やはり舞踏会の夜、眠れぬあまり寝室を抜け出した事がある。そして、ちょうど階段を通りかかった時に、大広間の様子が垣間見えたのだ。
楽団の奏でるワルツに合わせ、美しく着飾った男女が優雅に舞っていた。だが、何と言っても一番私の目を引いたのは、父上と母上だった」
ジュリアスの瞳が、夢見るような色を浮かべる。
「父上は、それまでに見たどの姿よりも誇らしげだった。また、その腕の中で母上は……輝くように美しく、誰よりも華麗に踊っておられた」
「……ジュリアスの、母さん……」
クラヴィスが小声で呟く。
「……それが、その夜の最後の曲だった。どうやら最後の曲というのは、特に重要な意味を持つらしい。だからいつか私も、父上のような立派な紳士になり、母上のような貴婦人と見事なラストワルツを踊るのだと、その夜からずっと考えていた」
それが明日の夜、現実となる……小さな光の守護聖はそう言って、嬉しそうに話を締めくくった。