半月の舞踏会・2


2.

 女王補佐官は、当惑の色を隠そうともしなかった。

「でもジュリアス、あなたとクラヴィスはまだ子どもです。閉会挨拶は私が致しますし……舞踏会にまで出る必要はありませんわ」

「何を言うのだ」

光の守護聖は、色めき立って答える。

「他の守護聖が全員、最後まで参加するというのに、私たちが不在ではすまされぬだろう」

 式典も宴も無事に終わり、あとは間もなく始まる舞踏会だけという時になって、光と闇の守護聖は補佐官から帰宅を勧められていた。

「困りましたわね、話は通っていると思っていましたのに」

「何の事だ」

 金髪の少年は苛立ったように聞いてくる。その様子を脇から、黒髪の少年が不安そうに見つめている。

 この首座の守護聖が子ども扱いを嫌うのをよく知っている補佐官は、仕方なく、あえて冷たい口調で言い出した。

「ではジュリアス、試しに私と踊ってみて下さいな」

「ここでか?」

「ええ」

 頷く補佐官の肩と腰に、ジュリアスは手を回そうとした。

 が、できなかった。

 さほど大柄でもない補佐官の肩は、ジュリアスにとってはるか上にあったのだ。

「……こういう事ですわ」

 呆然とする少年達に、補佐官は努めて冷静に告げた。

 ジュリアスは暫く黙り込んでいたが、やがて強い意志のこもった声で言い出した。

「わかった、ダンスは諦めよう。だが踊れずとも、守護聖である以上は公式行事に最後まで立ち会うべきではないか」

「まあ……」

補佐官は戸惑ったように二人の少年を見比べ、そしてため息をついた。

「それではお二人のために、広間のすぐ横の控え室を用意しますわ。長椅子もありますから、眠くなったらいつでもそこでお休みになって」

「不要だとは思うが……心遣いには、感謝する」

「クラヴィスも、それでよろしいんですの?」

 重々しく頷く光の守護聖の後ろで、いつもながら表情も乏しく立ちつくす黒髪の少年に、補佐官は心配そうな視線を向けた。

 しかし、クラヴィスが珍しくはっきりと「はい」と答えたので、彼女は安心して部屋の手配に向かった。




 天井の高い、絢爛たる大広間を満たして、美しい衣装に身を包んだ何百組という王族・名士たちが、パートナーの手を取り、踊っている。

 宮廷付きの楽団も、日頃に増して華やかな音楽を奏でている。

 初めて出席した、そして間近で見る大舞踏会に、二人の少年は時を忘れて見入っていた。

 様々な色彩、様々な質感の衣装は、招待された人々が、各自の文化を生かしながら、最高の舞台のために選んだものだ。

 宇宙中の美が集い、一つのリズムに合わせて少しずつ異なった動きで舞い続けている。女王の栄華と宇宙の繁栄を祝うのに、まさにこれほど相応しいものはないだろう……




 ジュリアスは、はっとして身を起こした。

 そこは、控え室の長椅子の上だった。いつの間にか眠り込んで、ここに運ばれていたらしい。

 隣の椅子では、背もたれに体をあずけたままクラヴィスが眠っていたが、ジュリアスが立ち上がった気配を感じたのか、眠そうな目を少しだけ開いた。

「ジュリアス?……あ、ここは……?」

「控え室だ。つい眠ってしまったな、まだ舞踏会は終わっていないようだが」

「どこに行くの?」

 ジュリアスはすでに扉に向かって歩き始めていた。

「バルコニーだ。風に当たって、目を覚ましてくる」

そう答えて歩を進めると、クラヴィスも後ろから付いてきた。




 室内の感興が盛りを迎えているのか、バルコニーには誰も出ていなかった。

 ただ、中央から切り落とされたかのような月だけが、無言で少年達を見下ろしている。

 少年たちもまた無言で、夜空を見上げていた。

 やがて流れていた曲が終ると、広間から大きなざわめきが聞こえてきた。

「あれは……」

ガラス戸越しに中を見たジュリアスが、小さく声を上げた。

「ジュリアス……どうしたの」

「楽団の者が合図している。恐らく次が、今宵最後の曲だ」

 金の髪の少年は、食い入るように室内を見つめている。まるでそこに、記憶に残る父母の姿があるかのように。そして、貴婦人をリードする自分の姿があるかのように。

 その様子を見ていたクラヴィスが、不意に口を開いた。

「ラストワルツ……踊ろう」

「何?」

ジュリアスは、思わず聞き返した。

 半月の光を大きな瞳に映した黒髪の少年が、とぎれがちに、しかし必死に言葉を続ける。

「ぼくが、女の子の方をやるから……ジュリアスの動きを覚えてるから……」

「そなた……」

「……ジュリアスのお母さんみたいには、踊れないと思うけど……」

 言いながら俯いてしまったので、最後の方は聞き取りにくかったが、それでもジュリアスには、クラヴィスの気持ちが、一生懸命な心遣いが伝わってきた。

 大広間から、前奏が聞こえてくる。

 ジュリアスは頷くと軽く膝を曲げ、クラヴィスの手をすくうように取った。

「よし」

その言葉が合図になって、二人の少年は踊り始めた。




 母のように優雅ではなかったが、クラヴィスの動きは軽やかだった。

 あまりに抵抗も手応えも無いので、ジュリアスはつい不安になって手に力を入れてしまう。痛そうに顔をしかめるクラヴィスを見て、やっと彼は自分の腕の中に相手がいるのだと実感できた。

 その安心が笑みとなって現れたのか、クラヴィスが少し驚いたようにこちらを見、そして小さく笑って見せた。

 回想と共感、心遣いと微笑。

 広間の中とは別の宇宙が、そこに生まれているようだった。




 最終曲ゆえか、やや長めの演奏が終わると、二人は疲れたようにバルコニーのベンチに腰を下ろした。

 ハンカチを出して汗を拭うと、ジュリアスは一言、
「感謝する」 と、礼を述べた。

 クラヴィスは、穴の空くほど相手を見つめたきり、一言も返さない。

「どうした?」

「……あ」

 促されてようやく我に返った黒髪の少年は、それでもまだ夢見るような眼差しで答えた。

「はじめて……ジュリアスにお礼を言われたから……」

クラヴィスは、今までに見たこともないほど嬉しそうに微笑んでいる。

 何がそんなに嬉しいのかとジュリアスが聞こうとした時、広間から閉会の音楽が流れ始めた。

 「私の礼など、気にするほどの事ではない。さて、そろそろ戻らねば」

と立ち上がろうとした首座の守護聖は、しかし、再びベンチに腰を下ろしてしまった。

 「おかしいな。足が……絡まって……」

 ふと隣を見ると、小さな闇の守護聖が、幸せそうな笑顔のまま、静かに寝息をたてている。

 「仕方ない……私だけ……でも……」

言いながらも青空の目は半分ふさがり、体を支えようとした腕が力無く折れていく。

 そのままジュリアスもベンチに崩れ落ち、眠りに沈んでいった。




 二人を捜しに来た補佐官が、間もなくその姿を見つける事になる。

 だが今は、肩を並べて眠る少年たちに、誰も気づいてはいない。

 ただ、半月 − 光と闇とを同時に纏う、あの月だけが、小さな二人の守護聖を、静かに見守っていた。




 百年に一度しか来ない特別な夜の、これは大きくて小さな物語。
FIN
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