黄金の見る夢
プロローグ
『古来、黄金は最も価値在る金属とされ、数多の人々にとって、欲望の対象となってきた』
文献にこの記述を見つけた時、カインは思わず苦笑 − 彼の表情はあまりに乏しく、余程注意して見なければ分からないほどだったが − を浮かべた。
ここでも。ここでも同じなのか、と。
自分たちの宇宙と、今いるこの宇宙には多大な共通点があったが、金属の価値という点でも一致しているようだ。
そう、人は誰も黄金を夢見、黄金を求める。
だが人は、黄金が何を夢見ているか、知っているのだろうか。
1.
「……そんな所で、また考え事ですか、カイン」
声が変わっても、話し方でそれが誰なのか容易に分かる。
まだ慣れぬ黒い髪をかき上げながら振り返ったカインの目を、豪華な黄金の光が刺した。
「新しい体が馴染み次第、この宇宙について学んでおくよう、あの方に言われていながら……さすがは天才軍師様、余裕ですね」
本来、もっと情感ある言葉を述べるためのものであろう、豊かな曲線を持つ唇から、皮肉だけが流れ出す。
キーファー。完成されたキーファー。
初めて会った時から変わらぬ貴族らしい物腰は、この宇宙を統べる女王の居城だという壮麗な宮殿にありながら、少しも引けを取っていない。
それに加えて今の容姿は、まさにこの場所にこそ相応しいものだった。
丈高く均整の取れた肢体に、優雅ながら威厳と力の溢れる容貌、そして、光り輝く黄金の髪。
往時の彼も、非の打ち所のない美しさを備えていたものだったが、この言葉にもしも比較級が許されるのなら、現在は、"より完璧な姿"と言えるだろう。
だが、彼を真に完璧たらしめているのは、その端正な両眼の色だった。髪の黄金を吸ったかのような、禍々しいほどに強い光が、血の色の虹彩を透かし、熔岩よりも熱い滾りとなっている。
「何を見ているんです?」
「君の目だ、キーファー」
カインの返答は、高い天井に吸い込まれるように消えていく。
黄金の髪の同僚は、おかしくもなさそうに笑うと、
「……あなたのと同じじゃないですか」
と言い捨てて歩き去った。
初めから、答えなど聞きたくもなかったのだろう。彼にとって、カインは存在しない者であり、そうでなければならないのだから。
回廊を行く黄金の髪。それを見送る黄金の精神波。
そして、彼らの上に君臨する − 今は所在の知れぬ − 黄金の瞳。
カインが彼らと出会ったのは、最初の生を終える十年ほど前の事だった。
「レヴィアス様!」
突然聞こえた声に振り向くと、離宮の裏庭には、二人の人物が立っていた。一人は御用商人らしき中年男、もう一人は緑と金の目を持つ、黒髪長身の若者である。
この金色が王族の証である事を、カインもよく知っていた。だが、それまで見かけたどの王族にも無かった光が、その底には宿っていた。
「……お前、何者だ!」
こちらに気づいた御用商人の声に答えて身分を明かし、
「お前の名は」
レヴィアスの言葉に、名を答える。
そうしながら、カインは自問自答していた。
なぜなのだろう、どこが違うのだろう、どうして……この黄金は、これほど眩しいのだろう。
それまでカインには、何かに心を寄せるという事が、一度もなかった。
事業に失敗して多大な借金を作った上、体まで壊してしまった両親のために、彼は物心つくかつかないかの頃から、困窮の中を生きてきた。ものを考える余裕もなく、わき目もふらず、ただ糧を得るだけのために働き続けてきたのである。
だが、14歳の時にその両親が相次いで他界し、領主の寛大な措置によって負債が免除されると、彼は深い虚脱感に襲われてしまった。
(他の人はみんな、どうやって決めているのだろう。次に何をしたらいいか、何を考えたらいいのかを……)
無論、糧を得なければならないのは、誰も同じである。だが、周囲の者には皆、その向こうに何らかの目的があった。
それは、ある者にとっては家族の幸福であり、またある者にとっては、想いを寄せる相手との結婚であり、大きな学校で学びたい、自分の店を持ちたいといった夢であった。
「お前にだってあるだろう、何か、してみたかった事が」
そう問い返されて、カインは初めて戦慄という感覚を知った。
先天的なものか、あるいはそれまでの生き方のためかは既に知る由もないが、少年は、意志、欲望、興味といったものを、何に対しても持つ事ができなかった。
いや、持つ術さえ分からなかったのだ。
意志、欲望、興味……
目の前の鳶色の瞳からは、それら全てが、痛いほどにほとばしり出ていた。 そして、そのどれもが、著しく負の方向を指しているのに、カインは気づいていた。
レヴィアスと出会ったその日の午後、図書館で話しかけてきた美貌の少年は、暗金色の髪によく似合う冷たい声を持っていた。
そしてその声は、いきなり、レヴィアスに近づかぬよう忠告してきたのだ。
「安心なさい、私はレヴィアス様に近づくつもりはない」
「分かっていませんね……大金で買われるんですよ、あなたは」
カインの返答をあざ笑うかのように言葉を重ねた少年は、しかし、回廊から現れたもう一人の少年を見つけた途端、激しい憎悪に顔を歪めた。
「キーファー、ここにいたの!もう帰らなくちゃ、遅くなってしまうよ」
笑顔で話しかけながら近づいてきた少年は、キーファーと同じ顔、同じ体格を備えている。
だがその瞳には、満ち足りた幸福だけしか現れていない。恐らく双子の片割れであろうキーファーのような、平穏に生きるには支障となるほどの強い光が、無い。
自分がそれを、物足りないと感じているのに気づき、カインは衝撃を覚えた。
これが、興味というものだろうか。
キーファーの燃えるような光と、レヴィアスの冷たい光。二つの負の輝きが、自分すら存在に気づいていなかった胸の深部に届いている。
まるで、細剣で刺された様に。