あざやかな嵐・4


 「……冷たっ」

大粒の雨が、容赦なく顔に降りかかってくる。

 束の間、意識を失っていたらしい。

 チャーリーは仰向けのまま目を開くと、ふらつく頭を巡らして周りをながめた。

 一番近くの木が、真っ二つに裂けて煙を上げている。燃え始めたのが、雨ですぐ消えてしまったのだろう。

「そうか……雷が落ちたんやな」

 自分を襲った閃光と轟音、それに衝撃を思い出しながらぼんやり呟いた青年は、ふと、枝から何かが垂れ下がっているのに気づいた。

(ああ、あれや。うちの売りもんのロープ………………ロープ、って!?)

 彼は、はっとして半身を起こした。

「セイランさん!」

 見回せば2,3歩先の地面に、華奢な体が横たわっている。

 雨に濡れ、すでに感電状態にはないようだが、ロープを伝わって電流が流れたのだとしたら、彼よりずっと大きな衝撃を受けたはずである。

 揺り起こしたいのを堪え、チャーリーはセイランの耳元で名前を呼び続けた。

「セイランさん、セイランさん……なあ、目開いてや、しっかりしてや、頼むから!」

 反応がない。

「セイランさん……」

 助けを呼びに行くべきか迷いながら、涙混じりに繰り返していると、閉ざされた瞼が微かに震え始めた。

「う……ん」

 掠れた声と共に指がぴくっと動き、ゆっくりと両目が開く。

「気づかはったんですか、セイランさん!!」

「……ん」

 煩そうに顔をしかめると、若者はぼんやりと呟いた。

「落雷……だね」

「そうですわ。大丈夫でっか、あんたさんがロープ縛っといた木に落ちたんでっせ」

 セイランは静かに上体を起こしながら、すでに収まりかけている煙に目を遣った。

「その危険は考えていたから、腕には巻くだけにしておいたんだけど……やっぱり咄嗟には解けなかったみたいだね。少し電流を受けてしまった所を見ると」

「少しって……それでも大ごとでっしゃろ!ほんまに、大丈夫なんですか」

 暗がりでも分かるほど血色を失ってはいたが、若者は普段の気楽そうな調子で答えた。

「僕は何も、度胸試しをしたかった訳じゃないから、思いつくだけの事前準備はしておいたんだよ。例えば、ほら、裸足になるとか」

「……なるほど、アースになって、電気が地面に逃げる、と。はあぁ」

 白い足を見つめながら、気が抜けたように息を漏らすと、チャーリーはにやりと笑った。

「あんたも、純粋に見えて、なかなか強かなお人やな」

「純粋でいるためには、強かでなければならないのさ」

 軽くいなしながら、セイランは靴を見つけて履き始めた。

「雷も遠ざかってしまったね。どうやら、さっきので峠を越えたらしい……まさか本当に、全身で感じる事になるとは思わなかったけど」

 チャーリーは、笑い出した。安心したからだろうか、腹の底から笑いがこみ上げてくる。若者が気分を害したように睨んできたが、それでも抑えられないほどに、彼は笑い転げていた。





 森の中に移動しながら、チャーリーはまだ笑っていた。

「……ちょっと、笑いすぎじゃないのかい」

むっとした表情で言ってくる若者に、青年は苦しい息の中から答える。

「いやもう、はははっ、こうなったら、心配損を笑いで取り返しますわ!」

「勝手に追いかけてきて、損もないと思うけど」

「いやあ、俺がいなかったら、セイランさん、朝まであそこで倒れてたかもしれへんし、そうなったら幾ら何でも体に毒でっしゃろ。あっはは、これは心配代と見張り代貰わんと、合いませんって」

 呆れたように首を振ると、セイランは冷たい声で答えた。

「せめて、何か他のもので支払いたいね、僕としては」

「はっはっ、それやったら、キス一つでどうでっか」

高揚した気分のままに、チャーリーは軽口を叩く。

 すると若者は、いきなり片手を相手の首に掛けてきた。

(わっ……セイランさん、マジ……っ)

 頭の芯がしびれるような感覚を覚えながら、チャーリーは我知らず、若者の背に腕を回していた。

 形のいい唇が、軽く触れただけで離れようとするのを許さず、華奢な体を縛めながら、柔らかな感触を味わい続ける。

 腕の中の若者が、僅かずつ抵抗を弱めていくのを、彼は遠い意識の中で感じていた。





 だが、長い口付けが終わると、セイランはきつい視線で睨み付けてきた。

「…………調子に乗らないでもらいたいな」

 乱れる息を抑えながら放たれた言葉に、チャーリーは答えなかった。

 言い返す気も、これ以上力ずくで進む気も起きないほど陶然として、彼はただ相手の瞳に見入っているのだった。





 長い沈黙の後、二人はまた歩き始めた。

 やがてカートを置いた場所が見えてくると、珍しくも口ごもりながら、チャーリーが言い出した。
 
「ええ、その……狭いけど、乗って行きまへんか」

「遠慮しておくよ。もう嵐も収まって来たから、そろそろ迎えが来るはずだ」

「……そう……でっか」

 冷たい返事に、青年はふうと溜息をついたが、それでも果敢に右手を差し出した。

「じゃ、俺はこれで。いい作品ができるの、期待してまっせ」

 セイランは少し躊躇っていたが、やがて妥協したように片眉を上げると、その手を握る。

「取りあえず感謝しておくよ、今夜の事は……最後を除いて、ね」

「いやぁ、きっついなあ」

 チャーリーは、カートを浮上させながら、大げさに声を上げた。

「はいはい、もう調子に乗ったりしませんから、どうぞ堪忍しとくれやす!」

「ああ」

 軽く手を振りながら、セイランは静かに答えた。

「……二度もやられたら、もう充分だよ」

 その声は、ちょうど発進しようとしていたチャーリーの耳にも、しっかり届いたのだった。





 走り出すや否や芸術的な軌跡を描いてしまったカートを立て直しながら、青年は口の中で呟いた。

 (滝での事……やっぱり、覚えてはったんか……)

 だが、彼の心はすでに、今夜の出来事で占められていた。

 崖の上で、細い体を風雨にさらしながら、嵐を見つめていた表情。意識を失っているのを見た時の、胸の張り裂けるような思い。抱きしめた体の感触、唇の甘さ……




 チャーリーは、たった今、自分の中に嵐が生まれたのを、感じ取っていた。


FIN
01.02
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