映  月・5

5.


 腕の中の躰が冷たく強ばっていくのを感じたか、闇の守護聖はそっと顔を離すと、怪訝そうに恋人を見つめた。

「……リュミエール?」

「私は……」

青年は、眼差しから逃れるように面を伏せながら、苦しい声を絞り出した。

「自分の至らなさが恥ずかしくてなりません。これほど満たされていながら、なお甘え、増長し……クラヴィス様のお心に踏み入って、その悲しみや痛みまで我が物としたいと願っていたのですから」

自らへの幻滅と、そして愛する人から蔑まれる恐怖に、水色の髪が細かく震えている。




「……お前が、そのように願うとはな」

ややあって発せられた言葉に、恐る恐るリュミエールが面を上げると、黒衣の男は驚くほど温かな笑みを浮かべていた。

「それが咎められるべき事ならば、この私は、いかなる地獄へ落ちれば良いのだ?」

 即座に意味を捉えられず、ただ見返してくる水の守護聖に、クラヴィスは穏やかに続ける。

「見つめる事と求める事とは、同じ線の上……見られていると気づく前に、私がお前の優しさや強さを知っていたのは、何故だと思う」

「……クラヴィス様」

黒衣の男は、茫然と呼びかける恋人を、真っ直ぐに見下ろしながら告げた。

「お前の心も意識も記憶も、全てを占めてしまいたいと思う。満ち足りてなお、許されぬ望みと知りつつ、より多くを求めずにいられぬ……が、そのような葛藤さえ、私には幸福と感じられる。お前に向かう想いの全てが、何物にも代え難い宝だ」

恋人の眼差しが声が、告げられた言葉を裏付けるように、心の底まで染み通ってくる。

 胸が痛くなるほどの喜びに、リュミエールは掠れた声で言い出した。

「申し訳……ありません……」

闇の守護聖は答える代わりに、白く長い指を恋人の頬に滑らせた。

 その濡れた感触に、自分が涙しているのを知らされながら、青年はなおも告げようとする。

「私にとっても……クラヴィス様への想いほど、大切な……ものなど……んっ」

言葉の終わるより前に、リュミエールの唇は、恋人のそれに塞がれていた。

 たちまち深さと激しさを増す口付けに、襟から胸元へと下りていく指の動きに、海色の瞳は潤みながら閉ざされてしまう。

 間もなく波打つように震え始めた青年の躰を、もう片方の腕で愛おしげに抱いたまま、黒衣の男はゆっくりと東屋に戻っていった。




 置き忘れられていた竪琴が、池からの僅かな反射を受けて、鈍い輝きを放っている。

 熱情の潮が去った後の気怠い躰をベンチに委ね、指に絡んだ黒髪を解こうともせずに、リュミエールは恋人の温もりを感じていた。

 相手の肩越しに見える池には、細かい波に揺れる白光が、変わらず美しく煌めいている。

(水に映されて初めて、自らの存在に気づく、と……)

最前の言葉を思い出しながらぼんやり眺めていると、腕の中の躰が身じろぎし、低い声を掛けてきた。

「……戻るか」

「はい……」

 青年が衣を整え終わるのを待って、クラヴィスが手を差し伸べる。

 それに掴まるように立ち上がったリュミエールは、足下から竪琴を持ち上げると、心の中で呟いた。

(ならば、意識の夜の中……水もまた月を映して初めて、自分の存在を知るのでしょう)




 ゆっくりと歩き始めた二人を、静かな水音だけが包んでいく。

 そうして天上の月と水面とは、なおも睦まじく互いを見つめ合っているのだった。


FIN
04.03


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