真夏の惑星の夢・3

3.


 「そうだ……まだ私が王太子で、主星に留学していた頃……学友の一人が、自分の惑星に招いてくれた事があった」

 王は、遠い目で話し始めていた。

 「霧の多い、主星からは遠い惑星だった。私が訪れたのはちょうど祭りの最中で、その惑星で霊山とされている山に、一年に一度だけ登ることが許されている日でもあった。

 友人に誘われて登ったその山は、特に装備も要らないほどの高さしかなかったが、夕方に出発して、山頂に着いたのは日の出に近い時間になっていた。

 その地では、太陽が隠れている間、この霊山が人間を災いから守ると信じられている。だから日の出直前が最も尊い姿であり、その時に山頂から見上げる空が、この惑星で最も美しいものとされているのだ。

 私は、空を見上げた……」

 セイランの肩に置かれた手から、力がすっと抜けていく。

 (霊山のある……霧の惑星……)

少年は王を見つめながら、心の中で繰り返す。

 王は、視線を上に向けていた。燭台の弱い光の届かない闇の空間に、彼の記憶は、夜明け前の空を描いているのだろう。

「……美しい、妖しいまでに美しい空だった。夜の紺と、その終わりを告げる紫が悲しげに混じり合った中で、凍てついた銀の星々が最後の輝きを放っている……あれは、私の惑星には無い空だった」

 大きくほっそりした褐色の手が少年の肩から離れ、黒曜の瞳を覆う。

 「……その時私は、あの惑星を得たいと思った。軍事力、謀略、買収、どんな手を使ってでも、この美しい空を有する惑星を、自分のものにしてしまいたいと!」

 押し殺した声と共に王はがっくりと首を垂れ、瞼を閉じた。





 セイランは、黙ってその様子を見守っていた。

 先刻の、眩しいほどの瞳の輝きは、認められざる欲望の現れだったのだ。

 この人はきっと、即座にその欲望を否定し、忘れようとした。いや、忘れたつもりでいたのだろう。なのにそれは意識の底に潜み続け、心を縛り、この素晴らしい芸術と美の惑星を守る力を、少しずつ削ごうとしている。

 それならば……引き出してしまえばいい。

 あの眩しさを浴びるのも、きっと素敵だろうから。




 少年は、燭台の炎を見つめながら言い出した。

「一度でも……その欲望を充足させられたら、迷いは無くなりますか?」

 王は顔を上げ、苦笑した。

「私を助けようと思って、仰っているのですね。しかし私があの惑星を手に入れるなど、許されるわけもありません。例えすぐに返還するとしても」

「あなたが欲しいのは、惑星じゃない。ナ=リエスの祭夜の空だけなんでしょう?」

 少年の言葉に、王の体が微かに震えた。

「今、何と?」

「タオフェルマ・ナ=リエス……違いますか?」

セイランは歌うように言い、微笑んだ。

「タオフェルマ……ナ……リエス……そうだ、彼らはそう呼んでいた。現地の言葉で……“聖なるリエス山”と……」

 驚きに満ちた瞳で、王が聞いてくる。

「あなたは、あの惑星の方ですか?しかし、あそこでも、あなたの様な髪や目の色をした方とは、一人も会った記憶がない」

 少年は何も答えず、ただ相手を見返した。

 沈黙の中で、その瞳だけが息づいている。

「あなたは……」

問いかけようとした王に、セイランは顔を寄せていった。

「ナ=リエス……」

「あなたのものにすればいい。忘れるために、解放されるために……」

囁きながらセイランは王の頭をゆるく抱き、その目をのぞき込んだ。

 紫がかった紺に、銀色の星。

 黒曜の瞳の奥に、情熱が点された。



 ベッドサイドに移された燭台の、揺らめく光の中。

 星の凍てつく夜空に、太陽が君臨する。

 激しいまでに熱く眩しい眼差しに体を灼かれ、少年が喘ぎを洩らすと、夜空は揺れて溶け、雫となってこぼれ落ちた。

 それを唇で吸いながら、王が囁く。

「お前は……私のものだ」

 その時、少年も心の中で、同じ言葉を囁いていた。

 彼もまた、得てみたいと思ったものを得ていたのだ。



 朝の光と入れ替わりに、蝋燭の火が、小さく音をたてて燃え尽きる。

 ベッドサイドの電話から警護の者に指示を下すと、王は少年に言葉をかけた。

「これで、来た所から戻れますよ」

「それはどうも」

セイランはベッドに腰掛けていたが、既にシャワーを浴び、服を着けていた。

 王は気だるそうに微笑むと、ため息を一つつく。

「あなたには、どう感謝したら良いか……報いるすべも思いつきません」

「報いるなんて」

 少年は面倒そうに片手を振る。

「この惑星が、揺るぎない信念を持った統治者によって、美しく保たれてほしい。僕の望みはそれだけです」

「約束します」

 頷いた表情に、もう翳りはなかった。

 セイランはその唇に軽く口づけると、

「もう帰ります。約束を……忘れないで下さいね」

と、念を押した。

「さようなら、王さま」

「さようなら、私のもの……だった、ナ=リエス」

 細面の顔の中で、黒曜の瞳が深く静かな光を湛えている。燭台の光の下では熱情に駆られ、恐ろしいほどに強く輝いていたのに。

 まるで、この惑星の太陽のように。




×                      ×




「最初はね、ヴィクトールに頼むつもりだったんですよー」

 聖地の門に近い木立に着くと、地の守護聖はいつもののんびりした口調で言い出した。

「あなたはこういう事にあまり興味がないかと思ったものですからね。でも、彼が不在だと分かった時、試しにあなたに声を掛けてみて、正解でした」

 その事実を噛みしめるように、ルヴァは一人でうんうんと頷き続けている。

 彼の要請──ゼフェルと、恐らくは彼に唆されたのであろうティムカが脱走したようだから、一緒に迎えに行って欲しいという頼み──に、気難しいと言われている感性の教官が二つ返事で承知したのが、よほど意外だったらしい。

 セイランは小さく笑った。

 大した理由がある訳ではない。

 あの少年の瞳にもいつか、灼熱の輝きの宿る時がくるのかもしれないが……それはもう、自分とは関わりのない事としか思えなかった。そう、だからもし、彼の父親に会う事があったとしても、大して動揺する事もないだろう。

 見終わった夢にすがるには、まだ自分は若すぎるから。

 だから……

「ちょっとね、雨宿りのお礼を、言い忘れていた代わりに」

「は?今、何て言いました?」

「……別に」

 恩返し。それで十分だろうと、セイランはひとり肩を竦めた。




 門の方から二組の足音がする。

 問題児たちの頭上で、ナ=リエスとも“白亜宮の惑星”とも趣を異にする聖地の夜空が白み始めていた。


FIN
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