真夏の惑星の夢・2
2.
部屋の中は、広すぎるほどのリビングだった。
調度の質はセイランの泊まっている部屋と同じくらい──つまり、最高級──だったが、どことなく落ち着きが感じられるのは、ここがホテルではなく別荘だからだろうか。
お拭きしましょうと言う使用人を断ってタオルだけ受け取ると、セイランは立ったまま髪を拭き始めた。
あの雨の中を走ったにしては、幸い、あまり濡れていないようだ。
「警護の方たちが気を揉んでますよ。どうして彼らに、僕を追い払わせなかったんです」
意地の悪い問いにも動じず、男は真面目に答えた。
「そうですね。自分の直感で、あなたが危険な人でないと思ったから……いえ、それは二次的な理由に過ぎません。本当の理由は……」
激しい雨風に曝されている砂浜に向けた男の視線が、ふと揺れを見せたのにセイランは気づいた。
「よく分かりません。あなたが先ほど、あそこで雷の光に照らし出されているのを見た時、どうしてもお呼びしなければ、と思ったのです……
自分でも、奇妙な事だとは思いますが」
少年は相手の様子をじっと見つめていたが、そこに偽りは感じられなかった。身分の高い人に限って、妙に無防備だったりするのだろう。
髪を拭き終わったタオルを使用人に渡し、飲み物を断ると、セイランは勧められた椅子に身を納めた。
男が使用人を下がらせ、話しかけてくる。
「旅の方ですね。この“白亜宮の惑星”はお気に召しましたか」
「とても。ここの風景、芸術など……興味をひかれていますよ」
テーブルに置かれた、見事な銀細工の燭台に目を遣りながら、セイランは答えた。
男は嬉しそうな笑顔を見せると、惑星の歴史や文化、産業などについて語り始めた。
「……それから、ご覧のとおりこの惑星では、古くからの風習を守り続けています。
他の惑星の方には、それが近代化や合理化を遅らせていると批判される事もありますが、私たちは余計な財力や権力を望むよりも、
この惑星自身の精神を大切にする方を選んだのです」
「なるほど、下らない批判に耳を貸さないのは正解でしょうね。ここを経済優先のありふれた星にしてしまうなんて、
意味のない事だと、僕も思いますよ」
「ありがとうございます」
男は微笑みながら答えた。だが、その微笑にもどこか陰が射しているのを少年は見て取った。
「どうしました?」
「いえ、私は自分たちの選んだ道に、確信を持っています……」
セイランに向けられた黒曜の瞳に、微かな怯えにも似た不審の色が宿っている。しかし男は、それ以上言葉を続けようとはしなかった。
少年は、苛立ちを覚えた。この人の素性については、察しがついている。これほどの美しい星を有する人、守り続ける権利と義務を負った人。
それなのに、この人は……
彼はいきなり立ち上がると、鋭い口調で言った。
「統治者が確信を持てない様な惑星だったんですか、ここは」
「統治者……?」
ぼんやりと繰り返す男に、セイランは突きつけるように呼び掛けた。
「そうでしょう、陛下!」
少年の直感通り、男は“白亜宮の惑星”の王だった。
休養のために、別荘の一つであるここに一人で滞在していたのだが、明日には宮殿に戻り、公務に復帰する事になっている。
王はそれを認めると、
「あなたの様なお若い、しかも余所の方に、見苦しいところを見せてしまいました」
と、申し訳なさそうに言った。
「見苦しいところ……ね」
セイランは口の中で転がすようにその言葉を繰り返す。
「さっき僕を呼んでくれたのと同じ、“自分でも分からない”感情ですか」
王はさっと立ち上がり、セイランの脇を通りすぎて、窓辺に近づいた。厚いガラスで音こそ消されているが、既に日没を迎えた窓外は、先刻よりも風雨が激しくなっている。
「そう、同じ……というより、この二つの感情は、どこかで繋がっている様に思えるのです」
「へえ?」
藍色の眉を片方だけ上げた少年に、王は重々しく頷いた。
「少し前から……疲れた時、体の具合の悪い時などに、決まって心のどこかで声がするのです。“確信など持てるはずがない。欲しいものを手に入れるため、より大きな財力を、軍事力を望んだ事が、かつてお前にもあったはずだ”と。しかし、私には思い出せません、自分がいつどこで、何をそんなにも欲したのか!」
大きく細い褐色の手が、救いを求めるようにガラスに押し当てられる。王は振り返り、セイランに向かって悲しげに微笑んだ。
「さっきあなたを見た時、それが思い出せそうな気がしたのです。何故かは分かりませんが……それで、そんな自己本位な理由であなたを近くに呼び、こうして引き留めているのに……やはり思い出せません」
ため息をつき、王は諦めたように席に戻った。
「……暗くなりましたね」
と、照明のスイッチに手を伸ばす。
セイランは慌てて口を挟んだ。
「待って下さい。照明よりも、燭台の蝋燭に火を点けてくれませんか……この繊細な模様に陰影がどんな美しさをもたらすか、見てみたいんです」
王は快く頷くと、使用人を呼んで点火させた。
揺らぐ光の中、命が通ったかのように黄金色に息づいた燭台は、見事な彫り模様をくっきりと写しだして、昼光や照明の下では現れない表情を見せていた。
その様に見惚れていたセイランはふと、王が自分を凝視しているのに気づいた。
次の瞬間、王はやにわにセイランの両肩を掴むと、自分の方を向かせていた。
黒曜の瞳は別人のように熱を帯び、ぎらぎらと眩しいほどに輝いている。その強い輝きに少年は、驚きながら魅了されそうになっていた。
王は、熱に浮かされたように呟いている。
「その髪の色、いや、目の色……深く濃く、紫がかった藍色に、氷のような輝きが散りばめられて、まるで……あの夜の空のように……」
細造りの体からは想像もできない力が肩に加えられ、セイランは声を上げないよう唇を噛みしめなければならなかった。
今、この人の中で、追い求めていた記憶が蘇ろうとしている。 それを、少年は感じ取っていた。