おぼろげな華



 これと決めた相手には、マメに尽くして時には押して、いつの間にか心を掴んでしまう − それがいつもの彼のやり方だった。

 (けどなぁ……)

 仕入れたばかりの沙ナツメ香水を見つめながら、青年は、珍しくも気弱そうな溜息をついていた。

 これまで恋だと思っていた幾つかの経験など比較にならないほど、強く惹かれる相手と巡り会ったというのに、どう頑張っても週に一日しか接触できないというのだから。

(酷や、酷っちゅうしかない!)

 自宅で使っているよりかなり小さいマットと毛布に、上下のシーツだけ持ち込みで − 疲れをとるには、肌触りのいいリネンが一番だ − 掛けたベッドに座り込み、チャーリーは運命の無慈悲さを呪っていた。

 今日は土の曜日なので、彼は聖地に一番近い町の、とある中流ホテルの一室に来ている。

 契約では原則として、日の曜日にしか聖地に入れない事になっているため、商品の準備などするために、便利で目立たないこの部屋を借りっぱなしにしていたのだ。

 (平日に連絡とろう思っても、聖地の外からだとめっちゃ厳しい規則があるし……その上、全部終わって聖地を去るまで、本名や身分は明かすなっちゅう指示やもんな。混乱を避けるためや、いうのはよぉわかるんやけど、名前も呼んで貰えんのは、何かさびしいわ)

 チャーリーは、沈んだ気分を振り切るように頭を振ると、取り寄せたばかりの大きな本を手に取った。

 “セイラン画集”

 タイトル文字を指先でなぞりながら、嵐の夜を思い出してみる。

「細かったなあ……肩も腰も……」

宙に向かって呟きながら画集を開くと、“画家略歴”という見出しが目に入った。

 読むともなしに眺めていた青年の表情が、突然輝いた。

 視線を素早くカレンダーに走らせ、それから画集に戻す。

 「いょっしゃああ!」

さして広くもない部屋いっぱいに、嬉しそうな声が響いた。

「俺は、ツイてる!!」




 そして、翌日。

 聖地の庭園に現れた謎の商人は、普段にも増して楽しそうだった。

「はいはい、そこに並んでるもんは、特別に勉強しますさかいに、好きなのを選んどくれやす〜。そちらさんは……おや、お客さんも運がええわ、それは今日、特別半額セールやさかい……」

「……何だか、全部が特別みたいだけど」

 背後から突然流れてきた声に、チャーリーは体のバランスを崩し掛けながら振り返った。

「セイランさん、いらっしゃいっ!!!」

「そんな大声出さなくても聞こえるよ……あっ」

 瑠璃色の髪の若者は、商品棚の一番奥に置かれた小瓶を見つめていた。

「あれは……」

「はいな、沙ナツメの香水です。女王候補さんに、あんたさんがお好きだって聞きましたによってな、いや〜もう、あちこち捜しましたで」

「そう。一瓶もらおうかな」

 セイランは表情も変えないまま、伝票にサインしようとペンを取りだした。

「いや、サインなら、こっちのにしてほしいんやけど」

 店主が差し出した紙には、『本日2月13日午後9時、聖地門の外で』と書かれていた。

「……何、これ」

 つり上がり気味の大きな瞳が、憮然と見返してくる。

「何って、書いてあるとおりですわ」

 青年は涼しい顔で答え、それから少し声を低めて続けた。

「今日はセイランさんの誕生日やろ。その香水はプレゼント、それから、その紙はディナーのご招待や」

 「誕生日……?」

若者は少し考え、それから呆れたように呟いた。

「そう言えば、そうなっていたっけね。やれやれ、どこで調べてきたのやら」

 拍子抜けしそうな反応だが、本人が忘れていたくらいだから、恐らく聖地では誰にも誕生日を知らせていないのだろう。という事は、他に誕生祝いを言い出す者がいない訳で、チャーリーにとっては幸運といえる状況だった。

 「なあ、どうでっしゃろ。このお誘い、乗ってくれまっか」

「“美味しいもの”を食べさせてくれるならね……言っておくけど“高級なもの”って意味じゃないよ」

 商人は拳を肘で挟み、ガッツポーズで答えた。「そりゃもう、任せといて下さいって!」





 門から出てきたセイランは、チャーリーと同じく、薄手のコートを羽織っていた。聖地外主星の季節は冬になっているのだ。

 「当日の外出許可を取るのが、あんなに大変だって知ってたら、約束なんかしなかったよ」

「すまんな、面倒掛けて。それに、俺の店の片づけのせいで、夕食がこんな時間になってもうて。レストランはすぐ近くやさかい、もうちょっとだけ堪忍な」

 今は客と商人の関係ではないと気付かせたくて、言葉遣いを少し変えてみる。

「構わないよ。もっと遅くなる事も、食べない事もよくあるから」

 何も気付いていないのか、気付かないふりをしているのか、セイランは普段と変わらない様子で答える。

「そりゃ、あかんって!よっし、今夜は思いっきり食べて、夕食抜いた日の分も取り返すぞっ」

「誰の分を取り返すのさ」

普段なら皮肉に見える微笑が、柔らかみを帯びて見えるのは、暖色を帯びた街灯のせいだろうか。

 軽口を叩きながら、チャーリーは頭の中で、今夜のプランを確認していた……





 まず、馴染みの店でゆっくりと食事をとって(所要時間2時間強)、それから町の見渡せる丘まで連れていく(徒歩約15分)。ちょっと寒いかもしれないが、星がとてもきれいな場所だから、きっとセイランも気に入るだろう。

 そして12時を回ったら、こう言うのだ。

 『昔寄った、ある惑星の話やけど……そこでは、2月14日はバレンタインデー言うて、特別な日なんやて。恋人同士が贈り物をして、愛情の証とするための、な』

 近年ではその意味も薄れ、単なる友情くらいの意味で贈り物をする人も増えてきているのだが、その辺りはあえて省略しておこう。

 それから顔をぐっと寄せて、あの綺麗な瞳を見つめながら、決めゼリフ。

『今日は、俺達のバレンタインデーや。俺はあんたにこの星空をあげて、あんたは俺に素敵な時間をくれた……もう、返品は効かへん』


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