ノヴァ・3
3.
その夜遅く、黒衣の守護聖は、水の館へと馬車を走らせた。
主が不在と分かっているせいか、どこか精彩を欠いて見える瀟洒な館の敷地に入ると、先に連絡を受けていたからという家令が、普段のように恭しくクラヴィスを出迎えた。
案内された部屋には、あまり見覚えがなかったが、どうやら予備の客室として作られたらしく、内装と揃いの青いカーテンが窓に下ろされている。
飲み物の申し出を断ると、家令は黙って下がったので、クラヴィスは改めて部屋の中を見回した。
すると、正面のカーテンに、メッセージの印字された紙が止められているのが目に入った。
“お開けになり、ご覧下さい − 美しいものとして”
どっしりした織りのカーテンを片手で寄せると、そこには開かれた窓と星空、そして窓枠に斜めに掛けられ、胸元の高さで交差して美しく結ばれたリボンがあった。
(香炉に使われていたものと、同じリボンのようだが……この星空を、見せたかったのか?)
窓辺に立ったまま、思いをめぐらせていたクラヴィスは、突如、空の一角に発した赤い輝きに目を見張った。
「ノヴァ……!」
数日前に発生したノヴァの光が、今、この聖地に届いたのだ。
(あの近くに、お前が……)
黒衣の守護聖はしばし恋人を思い、生まれたばかりの巨大な恒星のような、その輝きを見つめていた。
だが、ノヴァを贈り物とするとは、どういう事なのだろう。
(あれほど、恐れ悲しんでいたお前が……)
考え込みながら、もう一度メッセージカードを眺める。
”美しいものとして”
どこかで聞いた、いや、自分が口にした言葉のように思える。
リュミエールが、特別許可を取ってまで伝えたかった事……贈りたかった輝き……
『誰が悪いのでもない、定められた最期に与えられる輝き……何故と思う』
闇の守護聖の言葉に、リュミエールはしばし考え、そして恐る恐る答えた。
『運命が贈り与えたのだとしたら……これまで生きて来た事、あるいは、これから土に還り、新たな命の源となる事への、賞賛や報奨、でしょうか……』
クラヴィスは、静かに頷くと、若者の手を取って立たせ、そのままバルコニーの手摺際に連れていった。
『他愛もない想像といえばそれまでの解釈だが、私には、そのように思われるのだ……いや、思えるようになった、と言うべきか』
闇の守護聖が、再び外に視線を向けたので、若者もそれに倣った。
小さな明滅が、小さな命の最後の輝きが、自らを誇示するように舞い続けている。
精一杯生きた事への労い、大きな命の輪の中で、死ではなく生へと向かう一歩、そう考えれば、同じ輝きも、貴く喜びに満ちたものに感じられてくる。
そして何よりも、死と終焉を司る職務に倦み疲れてきたこの人が、そう考えるようになった事が、リュミエールには嬉しかった。
『何も知らぬ者のように、ただ美しいものとして、この輝きを愛でれば良い……これらの命も、そう望んでいる事だろう』
『美しいものとして……』
若者は、黙って蛍を見つめながら、肩に掛けられた手の温もりを感じていた。
「蛍……」
水の館の客間で、星空を見つめながら、クラヴィスは一人呟いた。
「美しいもの……ノヴァもまた、同じだという事か……」
その規模において、比較にならないほどの違いがあっても、どちらも終末を目の前にした輝きである事に変わりはない。
ノヴァもまた蛍の光のように、そこに在った生を讃え、また、新たな命の源となる行程を祝って、運命から贈られたものだと、リュミエールは伝えたかったのだろう。
そして、それに気付いた彼がもう、徒にノヴァを恐れ悲しみはしないという事も。
(リュミエール……)
自らの力を疎んじる気持ちが晴れ、新たな命を得たかのような喜びが湧いてくるのが、心の奥に感じられる。
(……ありがとう)
窓に掛けられたリボンをそっと解くと、黒髪の守護聖はそれを手にしたまま、じっとノヴァを見つめていた。
その日の予定を全て終え、また与えられた寝室で一人になると、リュミエールは、離れた恋人に思いを馳せた。
(クラヴィス様は、館に来て下さったでしょうか……)
たしか誕生日の夜、闇の守護聖に予定は入っていないはずだったし、仮に誰かが祝いの席を設けたとしても、平日に遅くまで引き留めるような事はないだろう。
ノヴァの光が聖地に届き始めるのが、ちょうど今日のこの時刻あたり − 聖地時間にすると、十一日の夜半頃 − と分かってすぐ、ロザリアに伝言を頼んでおいたから、来て下さっていれば今頃は、あの窓からこちらを眺めていらっしゃる所かもしれない。
慌ただしく送った伝言だったが、家令は指示通りに動いてくれただろうか。
そして、あの言葉の意味が、ノヴァを誕生日祝いとした気持ちが、伝えられただろうか。
(きっと、大丈夫……そう願って奏でましょう、蛍を見た、あの宵に弾いていた曲を)
ノヴァの続く星域の、とある惑星の貴賓館を、美しい竪琴の調べが満たしていく。
同じ頃、その旋律は、あたかも遙かな距離を超えて届けられたかの如く、聖地からノヴァを見つめ、蛍の夜を回想するクラヴィスの胸にもまた、蘇っていたのだった。
FIN
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