特別な日


 「……そういう訳でクラヴィスには、次の月の曜日から水の曜日まで、惑星Tへ出張していただきます。詳細はこの書類に記してありますから」

ある金の曜日、集められた守護聖たちに、撫子色の髪の少女が告げた。

 「承知した」

黒衣の青年が書類を受け取ると集いは解散となり、守護聖たちは全員、扉に向かった。

 「あの、クラヴィス……」

最後に退出しようとした闇の守護聖が振り返ると、そこには、申し訳なさそうに口ごもる補佐官の姿があった。

「ごめんなさい。急に入ってしまった用件なので、どうしてもこの日程しか組めなくて……」

 クラヴィスには、何を謝られているのか分からなかった。

 だが、問い返した方が良いと彼が気付く前に、ディアは他の者に用事で呼ばれ、会釈しながら立ち去ってしまった。




 やむなく執務室に戻ると、ちょうど昼休みを報せる鐘が鳴った。

 カウチに掛けタロットを繰るクラヴィスの前に、執務室付きの従僕が、低いテーブルと飾り気のない艶消しの銀食器を並べ始める。

 盛られている軽食 − 身長を考えれば決して充分とはいえない量だが、それさえも、気分によっては手もつけない事がある − を摂り、濃いコーヒーを飲み終えると、従僕が食器とテーブルを下げた。

 ちょうどその時、軽いノックの音が聞こえてきた。

「……開いている」

 この時間にこうしてやってくる者は、一人しかいない。

 聖地に来てやっと暦が一巡りしようとしている、若き水の守護聖、リュミエール。

「失礼いたします。お食事は、お済みでしょうか……」

 他の者には分からない程微かな頷きを見て取り、少年は言葉を続けた。

「では、よろしければ、始めさせていただきますね」

 リュミエールは、カウチから数歩離れた床に腰を下ろすと、携えてきた竪琴を奏で出した。

 細い金属の線にしなやかな指が触れると、輝く音の粒子が、銀河となって室内を流れ始める。

 闇を溶かすように、満たすように、和らげるように響くそれは、クラヴィスにとって束の間の癒しであり、無彩色の時間の中にあって唯一の、淡い彩りであった。




 「そろそろ休憩時間も終わりますので、私はこれで……」

 こう言って静かに立ち上がった少年は、いつもの挨拶を口にする前に、一瞬、淋しそうに目を伏せた。

 闇の守護聖は、この日二度目の不審を覚えかけたが、すぐにリュミエールが顔を上げ、

「では、次は……出張からお帰りになった翌日、木の曜日の昼休みに、お邪魔してよろしいでしょうか」

と聞いてきたので、いつも通りに − 都合が悪い場合は、軽く顔を横に振れば、別の日の都合を尋ねてくる様になっている − 頷いてやった。

 「ありがとうございます。どうぞ、お気をつけて行ってらっしゃいませ……失礼いたします」

少年は小さく微笑むと、今度こそ部屋を出ていった。

 何がどうという訳ではないが、どことなく違和感がある。

 無言で部屋の扉を見つめていると、やがて昼休みの終わりを告げる鐘が聞こえてきた。




 午後の執務時間が始まって間もなく、やや間の空いたノックの音と共に、ターバンを巻いた青年が入ってきた。

「えー、クラヴィス、失礼します。惑星T−の地のサクリアに関する資料を持ってきたんですが」

「……ああ」

「はい、ではお渡ししましたからね……でも、出張がちょうど5月の2日からだなんて、何というか、本当に、残念ですねー」

(残念……?)

 クラヴィスが怪訝そうな眼をしたところに、またノックの音が聞こえてきた。

 「開いている」

という声に応じて姿を現したのは、緑の守護聖カティスである。

「クラヴィス……何だ、ルヴァも来ていたのか」

「あー、こんにちは、カティス」

 ルヴァに笑顔で頷くと、カティスは手にしていた書類を執務机にばさっとおいた。

「惑星T−の緑のサクリアについての資料だ。とりあえず、地と緑だけは前もって確認しておいた方がいいと思ってな」

「……分かった」

種類に乏しい返答の一つを、クラヴィスは繰り返す。

 「それから」

カティスは、部屋の主の顔を正面から見つめながら、続けた。

「リュミエールに、何か言付かっておく事はあるか」

 (リュミエール……?)

切れの長い紫の眼が、不審そうに細められる。

 「ああ、そうでした。私もそれを伺おうと思っていたんですよ……クラヴィス、出発前か帰った後に自分で渡すつもりならいいんですけどね、その、もし、どうしても当日渡したいと思うのでしたら、私かカティスに預けて下さっていいんですよ」

 闇の部屋を、しばらく沈黙が支配した。

 そして、それを破ったのは、珍しくもクラヴィスその人だった。

「……何の事だ」




 カティスとルヴァが部屋を出ていって数時間、闇の主は相変わらず表情のない面のまま、彼らの置いていった書類を読み、執務を続けていた。

 静寂に包まれた部屋の中には、二人が呆れたような顔で残していった言葉が、まだ響いているようだ。

『お前まさか、3日がリュミエールの誕生日だって知らなかったのか?あれだけ会ってるんだから、何かのついでにでも、話に出そうなものだが』

『は?“話などしない”って…………あのー、クラヴィス、それ、どういう意味でしょう』

『おいおい、それじゃお前たちは、毎日顔を合わせていながら、挨拶の他は一言も交わした事がないっていうのか?』

『あー、言われてみれば、ありえない話ではありませんねー。クラヴィスは無口だし、リュミエールは遠慮しているでしょうから』

『まあ……俺も、他人の付き合い方に口を挟むつもりはないが、とにかくお前は、あいつの誕生日を知らなくて、言付けるようなプレゼントも用意していない、という事だな。やれやれ……』

『え、プレゼントですか?ですから、その、お誕生日を迎える人への感謝や親愛の気持ちを込めて、喜んで貰えそうな物を贈る習慣があるんですよ。でもまあ、気にしないで下さい、当日は有志でカティスの家に集まって、お祝いの夕食会をする事にしていますから……本当は、あなたにも来ていただきたかったんですが、ね』




 やがて執務時間が終わっても、クラヴィスは机を離れようとはしなかった。

 時折その唇から漏れる溜息が、机上の水晶球を、束の間曇らせていく。




 誕生日。

 自分のために奏でられた、素朴だが華やいだ旋律が、耳に蘇ってくる。

(あれが、プレゼントだったのか……)

 水色の髪の少年は、“特別で大切な日”だと言っていた。

 リュミエールが生まれた日……その日もきっと、自分はここで執務をしていたのだろう。

 感覚も失われるほど永い時間の中の、どこかの一点を特別視する理由は、思い当たらない。

 (だが、あの後……)

 祝い歌を奏でたリュミエールが、普段と違う様子で出ていったのを、クラヴィスは思い出していた。

 もうこの部屋には来ないだろうと思うと、妙な不快感が心を襲ったものだった。

 元の状態 − 少年が通ってくるようになる前の状態に、戻るだけだというのに。

(……どのようなものだったのだろう)

 クラヴィスは試みに、元の状態というのを思い出そうとしたが……できなかった。

 次に、リュミエールが来なくなった状態を想像しようとしたが、それもできなかった。

(習慣とは、恐ろしいものだ……)

 自分が無意識のうちに、その想像を拒んでいる事にも気付かず、彼はただ低い苦笑を漏らしながら考えていた。

 守護聖の任に堪えぬ繊細な少年が、ただ安らぎを求めて通ってくるだけのはずだったのに、いつの間にか自分もまた、この習慣を快いと感じるようになっていたらしい、と。

(それでは、やはり……リュミエールにも、その生まれた日にも、感謝しなければならないのだろうな)

 ここに至ってようやくクラヴィスは、少年に何を贈ったらいいか、思案し出したのである。




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