CDでは、二人がどれくらいの間“チェンジ”していたか、はっきり述べられていませんが(2,3日?)、 ここでは『もし数週間にわたっていたら…』という仮定の元に書いています。
男の勲章
ある日、原因不明の事象により、精神の教官ヴィクトールの人格は、庭園の商人と入れ替わってしまった。
だが、解決が王立研究院に一任されたため、とりあえず彼らは、入れ替わる前と同じ生活を続ける事になったのだった……。
さてその夜も、ヴィクトールは寝室の隣にあるトレーニングルーム − として使っている部屋 − に入ると、腹筋・ダンベル・縄跳び・スクワットなど、いつもの“寝る前の軽いメニュー”をこなし始めた。
しかしどうした事か、ダンベル30回ほどの段階で、筋肉が震えだしてしまう。
(変だな、今日は特に力を使った覚えもないんだが……)
怪訝そうにさすった腕は、驚くほど細かった。
「ああそうか、この体は、商人の兄さんのだったな」
思い出したように呟くと、全身の映る鏡の前に立ち、シャツを脱いでみる。
「あいつ、こんなに華奢だったのか……若い男が、こんな事ではいかんな」
備え付けの冷蔵庫からプロテインドリンクを取り出すと、中身軍人はそれを飲み干した。
「よし、これも何かの縁だ。俺が借りている間に、もっと強い体に鍛えておいてやろう!」
同じ頃、寝室に入ったチャーリーは、なかなか寝付けなくて困っていた。
(まあ、昼間は色々とあったさかいにな、俺の繊細な心が落ち着かんのやろ……ふあああ)
いや、あくびが出るほどに眠気は襲ってきている。それなのに、眠れないのだ。
(ちう事は、精神的なものが原因やないんか……)
どこか体の調子でも悪いのだろうかと思った彼は、鏡の前に立つと、目や喉を点検してみた。
「別におかしな所はないみたいやけど……」
呟きながら、あらためて自分の姿を見つめてみる。
がっしりとした、山のような体躯。元々骨太な方なのだろうが、更にその上を、鍛え抜かれた筋肉が厚い層となって覆い、多少の衝撃をあたえた所でびくともしないであろう自前の鎧となっている。
鏡の中の壮観にしばらく見とれていたチャーリーは、はっと気づいた。
これだけの筋肉を維持するには、毎日かなりのトレーニングを必要とするに違いない。逆に言うと、一定の運動をしなければ、この筋肉が眠ってくれないのだ。
試しに腹筋運動をしてみると、恐ろしいほどに軽々と50回を越えてしまった。
(うそ……)
元に戻るまでの間、毎日どんな生活をしなければならないのかを思い、チャーリーは逞しい肩をがっくりと落とすのだった。
月の曜日である翌朝、ヴィクトールとチャーリーは王立研究院に呼び出された。
「お早うございます。早速ですが、お二人とも調子はいかがでしょう……失礼ながら、あまり宜しいようには見えませんが」
主任のエルンストが、いつもの無機的な口調で問いかける。
「そりゃまた、えろう控え目な言い方ですな」
皮肉に返す言葉にも疲労がにじみ出ているのは、逞しい体躯の商人である。
「気持ちは眠うて仕方ないのに、筋肉に付き合うてずっと運動でっせ。体の調子はともかく、精神はもうボロボロや」
「なるほど」
主任は冷静にそれを記録すると、次に青年の体をしたヴィクトールに向き直った。
「そちらはいかがです。どうも、まっすぐ立っていらっしゃらないように見受けられますが」
「ああ……トレーニングは徐々に増やさなきゃならんというのを、つい忘れてしまってな、普段のつもりで寝る前の運動をやったら、この筋肉痛だ。情けない」
「ヴィクトールさん!」
と、ヴィクトールの声で叫んだのは、商人である。
「あんた俺の体で、一体何を……」
「礼には及ばんさ、好きでやってる事だ。ちゃんとプロテインも補給して、体調を崩さずに筋肉を付けてやるから、楽しみにしていろよ」
「や〜〜め〜〜て〜〜〜っ!」
精悍な軍人の顔が、泣き出しそうに歪んでいる。
「どうせ俺は、やせ体質ですわ〜!あんたさんから見たら、そりゃ物足りん体かもしれへんけど、これでもジムでプログラム組んでもろて……やなくて、自分で頑張って鍛えて、理想のプロポーションにしたんですさかい、お願いですから変えんといて下さい!」
「そうなのか?まあ、お前がそう言うのなら、止めておくが……」
「お二人とも、お静かに」
割って入ったのは、エルンストである。
「これからヴィクトールさんは毎日、商人さんは露店を開く日の朝、必ずここに寄って私のチェックを受けていただきます。これは、お二人の健康を守るためのみならず、この現象を解決する糸口を探すためでもありますので……それから、改めて申し上げるまでもないでしょうが、体調には十分注意を払うようにしてください。特にヴィクトールさん、慣れない体で過度の運動などなさらないように」
「はっはっ、大丈夫だ。だいいち過度の運動なんて、やった事もないんだから」
朗らかに笑うヴィクトールに、エルンストもチャーリーも無言だった。
その日は平日だったので、研究院を出たチャーリーは聖地を後にすると、知人に姿を見られないよう苦労しながら、何とかウォン財閥ビルの自室に戻ってきた。
この体でいる間は、朝晩のトレーニング(!)に時間を取られるのが分かっているので、普段以上に効率よく仕事をこなさなければならない。
(……あれ?)
自分用のコンピューターに向かっていた彼は、ふと右のふくらはぎに、鈍い痛みを覚えた。
ズボンをめくって見ると、そこには、窪んだ太い線が走っていた。
「そういえばこの体、こういう痕がいっぱいあったなあ……」
いつの間にか窓の外で降り出した雨を見つめながら、チャーリーは呟いた。
(あのお人の経歴を考えたら、きっとこの傷痕の一つ一つが名誉の負傷、言うなれば、勲章みたいなものなんやろうな……くうっ、格好良すぎるわ!)
やがて次の週末が来ると、二人はまた研究院で顔を合わせた。
「さて、今日はどんな調子ですか」
エルンストの問いにも答えず、チャーリーはじっとヴィクトールの、つまり自分の体を観察している。
「あれから筋トレなんぞ、してまへんやろうな」
「はっはっ安心しろ、しないと言った以上、責任をもってそれを貫く。運動を控えるのはどうも気持ちが悪いんだが、他に異常があるわけでもないし、しばらくの辛抱だろうからな。それより、お前の方はどうなんだ」
「そりゃもう、ヴィクトールさんの凄さ、身をもって体験させてもろてますって。自分が“もう歯も磨いたし、あとはおねんねするだけや”思うても、この体さんが言う事聞いてくれはらしまへん。仕方のうて起きあがってトレーニングでっしゃろ、終わる頃には気持ちの方がもう半分睡眠状態、スポーツドリンクのボトルくわえたまんま、ベッドに倒れ込むのが日課になってます」
「どちらも、健康的なのか不健康なのか、判断しがたい生活ですね」
記録を付けていた主任研究員が、まじめな顔で呟いた。
「あ、それから」
チャーリーが、思い出したように人差し指を上げた。
「ちょっとお尋ねしますけど、ヴィクトールさんの体って、時々古い傷が疼いたりしまっか?」
「ああ、天候によって、あちこちが……そうか、今はお前が嫌な思いをしているんだな、すまん」
「いえいえ〜、大した事あらしまへんし、異常やなかったらええんです」
頑丈な体をした商人が、愛想のいい笑顔で答える。
すると、今度はエルンストが聞いてきた。
「では私からも、一つお尋ねします。ヴィクトールさんは最近、夜更かしをなさっていますか」
「いや、遅くとも十時には床についているぞ」
「妙ですね……実は数日来、決まって深夜になると、あなたの部屋から妙な物音が聞こえてくると、セイランさんが仰っていたんですよ」
ライトグリーンの髪の青年は、不審そうに眉をひそめた。
「おかしいな、そんな時間には起きていないはずだが」
「そないなもん、大方、夜更かし当本人のセイランさんが、何かを聞き間違えはったんやないですか?」
割り込んだチャーリーの軽口に顔をしかめながらも、エルンストは冷静に答えた。
「可能性としては、それもありえますが……用心のため、ヴィクトールさんのお部屋に熱センサーを付けさせていただきます。宜しいですね」
「ああ、構わんが」
「それでは、以上で解散とします」
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