迷惑な密室事件・4



4.

 夕方、三人は再び夢の執務室に集まり、成果を伝えあう事にした。

 珍しくもリュミエールが最初に話したいというので、オスカーとオリヴィエは順番を譲ったが、その報告はあまりに衝撃的だった。

「鍵だって!」

炎の守護聖が、思わず声をあげる。

「何て事だ。話が全然違ってくるじゃないか」

「いやいや、おかしいよ。私が行った時は、鍵なんて──そうか」

反論しかけた夢の守護聖が、何かを思いついたように言葉を止める。

 水の守護聖が、静かに後を引き取った。

「ええ、あなたの話によると、セイランは盗難に気づいたばかりでしたね。さぞ動揺していたでしょうし、ロザリアの所に行こうと急いでいたのですから、日頃の習慣が抜け落ちてもおかしくありません。あの時の事は、例外と考えた方がよいのではないでしょうか」

 顎に手を当てたオスカーが、続けて言う。

「だが、普段は鍵が掛けてあったとなると、ジュリアス様やルヴァ、それにティムカは、学習室までしか入れなかった事になるぜ」

「じゃあ、誰も残らないじゃない。何これ、いつの間に密室事件になっちゃったわけ?」

オリヴィエは両手を広げ、途方にくれたようにうなだれた。

「確かに密室だな。ティムカの言葉を信じるとすれば、だが」

炎の守護聖が両腕を組み、リュミエールに視線を向ける。

「偽りを言ったところで、セイランに聞けばすぐわかる事です。あの賢い子が、わざわざそんな嘘をつくとは思えません」

悲しげに頭を振りながら水の守護聖が答えると、夢の守護聖は、何かを思いついたように顔を上げた。

「だったら逆に、セイランがティムカに嘘を教えたとか」

「そんな事をして、何の得があるんだ」

オスカーが、即座に聞き返す。

「それは、うーん、例えば……」

しばらく考えを巡らせてから、オリヴィエは白旗を揚げた。

「だめだ、考えつかない。ああ、やっぱり最初から推理し直さなきゃならないって事?」

夢の守護聖が、美しく染め分けた髪をかきむしった、その時。

 執務室をノックする音が聞こえた。

「勝手に入れば?」

部屋の主がやけ気味に答えると、扉はすぐに開き、白い衣の若者が姿を現した。

「セイラン……!」

 青藍の髪の芸術家は、三人の凝視も気にならない様子で部屋に進み入り、薄く微笑を浮かべた。

「まるで、密談中みたいな雰囲気ですね。お邪魔しちゃいけなかったかな」

「お前には関係ない」

動揺を隠すように、オスカーが無愛想に答える。

 だがセイランは、臆す様子もなく、逆にいっそう大きく破顔した。

「関係ない、ですか。あっちこっちで、人の事を尋ね回っておいて」

 探偵たちは、互いの眼を見交わした。そういえば、誰にも口止めをしていなかった。というより、雑談を装っていたため、口止めできなかったのだ。

 しばしの沈黙の後、立ち上がったのはリュミエールだった。

「許してください、セイラン。私たちはただ、盗まれた油絵を、早く貴方の手元に戻してあげたいという一心で、勝手にこの密室事件を捜査していたのです」

「うわっ、全部話しちゃったよこの人」

万事休すとばかり、オリヴィエは片手で顔を覆い、オスカーは天井を見つめて息をついた。

 しかし、芸術家は予想外の反応を見せた。怒りも冷笑も見せず、きょとんとした表情で、ただ聞き返したのだ。

「油絵とか密室とか、いったい何の事です」

「えっ……」

固まってしまった水の守護聖のかわりに、腹をくくった夢の守護聖が答えた。

「ごめん。実はさっき私、あんたとロザリアの通話を聞いちゃったんだよ。で、準備室を見たら、油絵具の付いたイーゼルだけがあって、キャンバスがないじゃない。これは油絵の盗難だなって気づいて、折角だからお節介してみようかな、なんて──」

「イーゼル……ああ、なるほど、そういう事か!」

感性の教官はぷっと噴きだすと、一人で笑い始めた。

「何がおかしい」

むっとした表情で、オスカーが立ち上がる。

「勝手な事をしたのは認めるが、笑われる筋合いはないぞ」

芸術家は懸命に笑いを抑え、涙をぬぐって息を落ち着けた。

「失礼しました。お詫びに、僕が事件を解いてさし上げますよ」





 状況が飲み込めない三人の前で、空いた椅子に掛けると、感性の教官は話し始めた。

「最初に言っておきますが、盗まれたのは油絵じゃありません。僕の弦楽四重奏曲です」

「曲……」

水の守護聖が、蒼ざめながら繰り返す。

「ええ、いわゆる盗作、盗用ってやつです」

セイランの冷静な表情の奥に、ちらりと怒りの色が走った。

「今日の午後、外出から戻ると、通信機にメッセージが入っていたんです。僕のマネージメントオフィスからで、去年発表した弦楽四重奏曲がほぼそのまま、流行歌のバックに使われているという連絡でした」

「外界とのやりとりは、禁じられているんじゃないのか」

炎の守護聖が口を挟むと、感性の教官は素直に頷いてから、続けた。

「基本はそうですが、緊急と認められた場合は、研究院経由でメッセージを送受信できるんです。今回は販売差し止めのため、急いで書類に署名する必要があったので、許可が下りたようですね」

眼を見開き、珍しく無言で見つめてくるオリヴィエをちらりと見やってから、セイランは続けた。

「それでロザリア様に相談して、すぐ書類を取り寄せられるよう手配してもらったんです。署名をしたら、侍従にオフィスまで届けさせて下さるそうですよ」

「待って」

ようやく、夢の守護聖が声を発した。

「去年の曲のはずないよ。準備室で手を加えてるとか、ようやく完成しそうだとか言ってたじゃない!」

「ああ、それも聞いていたんですね」

若き芸術家は、もう一度微笑んだ。

「実は今、あの曲をピアノ用に編曲しているんです。こんな騒ぎが無ければ、今日にでも完成していたところだったので、つい愚痴を言ってしまいましたが……そうか、毛布には触っていないんですね。良かった」

「ソファの毛布……ですか」

驚いたようにリュミエールが言うと、セイランは肩をすくめて答えた。

「寝転んで書いた楽譜が何枚か、あそこに巻き込んであるんですよ。もちろん、後で清書するつもりですけど」

 納得できない表情のオリヴィエが、再度口を開いた。

「けどあんた、執務服に絵具が付くとか言ってたよね。それに、あの空のイーゼルは何さ?」

「それは、別の作品です」

事も無げに、セイランが答える。

「編曲と同時進行で、油彩作品を製作しているんです。これは盗まれたりしていませんから、どうぞご安心ください」

「そんな物、準備室のどこにも見当たらなかったぞ」

抗議するオスカーに、芸術家は誇らしげに答えた

「ありますよ。皆さんがご覧になった、あのイーゼル……まだ塗り終わっていませんが、あれこそが僕の新たな立体作品『形の平等、または視線を得る影』です」





 数日後、オリヴィエに書類を届けにきたセイランが、ついでのように言い出した。

「例の盗作騒ぎですが、無事に差し止めと提訴ができましたよ。興味があるかわかりませんが、一応ご報告しておきます」

「ありがとう、良かったねえ」

オリヴィエは妙に甘い声で答えると、何かを企むように片眉を上げた。

「あの時は、ずいぶん骨を折ったんだよ。お節介だったかもしれないけど、あんたのためになりたいっていう気持ちだけは、認めてくれるよね」

 警戒するように、セイランは一歩後ろに下がった。

「だったら、どうなんです」

「そりゃあ……」

音も無く立ち上がると、夢の守護聖は来客に詰め寄った。

「ね、やっぱり一回、メイクさせてよ。芸術家なんだからさ、身をもってアートを経験してみても、絶対損はないと思うよ。さ、そこに座って、遠慮しないで──」

「最初から、それが目的だったんだな」

目にも留まらない速さで、感性の教官は踵を返すと、華麗な部屋を飛び出しながら叫んだ。

「絶対にお断りです。お節介どころか、大迷惑ですよ!」





 一階の廊下を歩いていた炎の守護聖は、走ってくるセイランを見て、思わず道を空けた。若き芸術家はわき目も振らず、まっすぐに遠ざかっていく。

 その姿を見送りながら、オスカーは考えていた。苦手意識を無くすどころか、新たな引け目を負ってしまったように思えるのは、気のせいだろうか。

「何だオスカー、そこにいたんだったら、あの子を捕まえておいてよ。もう、今日こそメイクできると思ったのに」

セイランを追いかけてきたオリヴィエから、八つ当たりのような愚痴が飛んでくる。

 炎の守護聖が大きな溜息をついていると、廊下の向こうからリュミエールがやってくるのが見えた。

「ああ、揃っていてよかった。二人とも、事件ですよ」

「何だって?」

夢と炎の守護聖たちが異口同音に聞き返すと、水の守護聖は不思議そうに答えた。

「困っている人を助けるのが、中堅探偵団ではありませんか。先ほどランディから、困り事を抱えていると聞いたので、私たちが力になると教えてあげたのです」

 オスカーはオリヴィエを睨みつけ、オリヴィエは視線を宙に彷徨わせた。戦力として巻き込むため、適当に口にした理由が、リュミエールの中では微妙に変化して消化されていたらしい。

「部屋で待ってもらっていますから、一緒に話を聞きましょう。さあ!」

断る言葉も思いつかないまま、二人は水の執務室へと押されていく。

 廊下の大きな窓越しに、今日もうららかな聖地の陽光が、探偵たちを温かく包んでいた。

FIN
1912


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