祝福の章・11




11.


 リュミエールの去った謁見室で、闇の守護聖は書類を待っていた。

「クラヴィス、こちらへ」

呼びかけたのは、新女王だった。職務上の書類は補佐官から受け取るのが常なので、クラヴィスは怪訝に思いながら、玉座の前へ進み出た。

「これを」

紋章も飾りもない白い封筒が、差し出された。

「前陛下から、この手紙を言付かりました。あなたに渡してほしいと」

 闇の守護聖は双眸を見開き、それから、呟くように尋ねた。

「彼女……前陛下は」

「もう、聖地を出ました。ディア様と一緒に」

「……そうか」

緊張と厳しさの交錯する表情で手紙を受け取ると、クラヴィスは上の空で礼をとり、退出していった。



 扉が閉まると、アンジェリークは心配そうに呟いた。

「何か……重いものを負っているようね、クラヴィスは」

「でも、大丈夫ですわ」

ロザリアが、穏やかながら確信に満ちた声で答える。

「一人ではありませんもの」

一瞬、驚きの表情で補佐官を見た新女王は、すぐ理解したように頷いた。

「そうね、ロザリア。あの人たちなら、きっと……幸せになれるわ」

「ええ、アンジェリーク」

歳若い女王と補佐官は、顔を見合わせて微笑んだ。

 いずれも少女の瑞々しさを残しながら、大いなる慈愛と英知の現れた、この上なく美しい微笑だった。



 執務室に戻った闇の守護聖は、手紙を前にしばらく瞑目した。

 即位式の直後に、前女王とディアは再び行方をくらませていた。女王の座を降りた者は人知れず姿を消すものだと伝えられているため、聖地では特に騒ぎにもならなかったが、クラヴィスは出来る限りの手段で探し続けていた。

 結局見つける事はできなかったが、こうして言葉を残してもらえたのは、幸いと思うべきなのだろう。どのような非難があろうと、どれほどの苦しみを綴った内容だろうと、自分にはそれを受け止める責任があるのだから。

 闇の守護聖は、覚悟を決めて封筒を開いた。



“クラヴィスへ


 一人の人間として旅立つ前に、伝えなければならない事があります。

 あなたが長い間、私に対して罪の意識を抱いているのは知っていました。忠誠を誓う場で恨みをぶつけた事に、心を痛めてきたのでしょう。

 確かにあの時、私は強い悲しみを覚えましたが、あなたの言動に傷ついていたのではありません。自分が何もできなかった、何もわかっていなかったと思い知ったのです。


 出会った時から私は、あなたの暗い眼差しが気にかかり、もし心に痛みを持っているのなら救ってあげたいと思っていました。女王候補に過ぎない少女が守護聖を救うなど、おこがましいのはわかっていましたが、生来の性分に従って行動してしまったのです。

 今思えば、考えの足らない事でした。あなたがどれほど弱っているかも考えず、苦しみを理解しようともせず、私はただ明るい方へ導こうとしていただけでしたから。

 そのうちに、あなたは私に執着するような態度を取り始めましたが、私の心はそれに応える事ができませんでした。女王になる運命を感じていましたし、何よりあなたの視線が、私ではなく、遠いどこかを見ているのに気づいていたからです。

 ただ、あなたがなぜそのような態度を取るのかが、わかりませんでした。


 そして時が至り、私は即位しました。あなたは声と表情をもって私を責めましたが、全てを言い終わった時に見せた眼差しは、自らを傷つけた人のようであり、また、どこか安堵したようでもありました。

 求めていたのは、あなた自身を害する事だったのでしょうか。それが、いくらかの救いになっていたのでしょうか。


 あなたを助ける事も、理解する事もできなかったと気づいた私は、即位後、できるだけ人前に出ないように過ごしました。既に知らされていた終焉に備えるため、また、徒にあなたに“罪”を思い起こさせないためにも、そうした方がいいと思ったのです。

 けれどその間、私はずっと迷っていました。恨み言で傷ついてなどいないと告げるべきか否か、判断がつかなかったのです。真実を知れば、あなたはこの犯してもいない“罪”に苦しむ必要はなくなるでしょう。けれど、もしそれが、安堵を奪う事になるのなら──


 やがて宇宙に終焉が迫ったため、私は皆の助けを得て大移動を行いました。

 その後、元宇宙を封じて即位式に向かった私は、あなたを見て驚きました。以前のような翳りが、感じられなくなっていたからです。

 何があったかはわかりませんが、あなたはもう、自分を傷つけて救いを得る人ではなくなったのでしょう。それで私は、真実を告げようと決心したのです。


 これが、あなたに対して思ってきた全てです。私の軽はずみな行動や勝手な思い込みが、あなたを傷つけていたら、心からお詫びします。


 最後に、お礼を言わせてください。

 あなたとリュミエールが危険に陥った時は、とても心配しましたが、無事に帰ってきてくれて、本当に嬉しく思いました。新女王からも感謝の言葉があったでしょうけれど、私からも同じ気持ちを贈ります。

 願わくはこの手紙によって、あなたの心が少しでも安らぎますように。これからのあなたの生に、多くの幸いがありますように。


 アンジェリーク”



 読み終わった手紙を卓に置き、クラヴィスは長い息をついた。つい先ごろまで女王であった女性の、その思慮深さと寛大さに、胸を打たれる思いがした。

 そこまで、気づいていたのか。察し、考え、沈黙を守ってきたのか──

 伝えるすべのない感謝と謝罪の気持ちが、前を向く力となって自分に根付いていくのを感じながら、闇の守護聖は卓上の手紙に深い礼を取った。


 しばらくしてクラヴィスは立ち上がり、暖炉に火が入っているのを確かめた。彼女のためにも、この手紙は残しておかない方がいいだろう。書かれていた内容は、心にしっかりと刻まれたのだから。

 封筒と紙片を炎の中に落とした時、外から扉を叩く音がした。

「……開いている」

返事を聞いて入ってきたのは、首座の守護聖だった。

 その青い眼が、暖炉で燃える紙を捉えたのに気づき、クラヴィスは息を呑んだ。




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