祝福の章・12
12.
夢の執務室の典雅な椅子の上で、オスカーは涙を浮かべて耐え、何とか熱い紅茶を噴出さずに飲み下した。
「どうして、お前がそれを知ってるんだ!」
大きな叫び声が、部屋中に響き渡る。
「あら、図星さしちゃった?」
部屋の主は空いた手で軽く頬杖をつき、妖艶に微笑んだ。
「即位式の前後あたりから、ジュリアスの雰囲気が、何か変わった気がしてたんだよね。あんたも浮き浮きしてるし、もしやって思ってたんだけど……そっか、なるほどねえ」
「貴様、謀ったな!」
いきり立つ炎の守護聖に、リュミエールは狼狽するばかりだったが、オリヴィエは平然と紅茶を飲み干すと、聞き返した。
「で、どっちを助ける事にした?」
はっとしたように口をつぐむオスカーを見て、夢の守護聖は真面目な声で続けた。
「すぐ思い出したって事は、何度も思い返してたんだね。そう、あんたに昔聞いた質問だよ。ジュリアスと別の人と、どっちかしか助けられないとしたら──あの時は、“俺は、ジュリアス様が命じた方を助ける”なんて言って胸張ってたけど」
炎の守護聖は、背もたれにどさっと身を倒した。赤い髪をくしゃくしゃにかき回してから、半ば自棄のように口を開く。
「思い出すようになったのは、補佐を禁じられた後だ。その度に、自分の答に自信が持てなくなってきた。俺ともあろう者が」
「ふうん。あんたも、終焉に追い詰められて自覚しちゃったんだ」
「簡単に片付けるな」
相手を一睨みすると、オスカーは大きく息をついて続けた。
「あの大移動があってすぐ、俺はジュリアス様を探したんだ。侍従の一人が、聖地に行かれたようだと言うので、急いで回廊室に向かった──ちょうど、入口でクラヴィス様とすれ違ったな。あちらは気づかれなかったようだが」
「そうだったのですか」
リュミエールは、相槌を打ちながら考えていた。
自分から少し遅れて、この同僚もまた、光の守護聖を追っていたのだ。もし順序が逆だったら、混沌に入っていたのはオスカーだったかもしれない。そうであれば、自分が闇の守護聖の肉体に入る事も、痛みの正体を知る事もなかったのだろう。巡りあわせの不思議さというものを、リュミエールは改めて思い知ったような気がした。
一方、赤髪の青年は辛い記憶が蘇ったような表情でしばらく黙り込んでいたが、やがて重い口調で話し始めた。
「回廊室で、床に倒れたジュリアス様を見た時の気持ちは、一生忘れられない。無理にでもつき従うべきだったと、後悔に胸がつぶれそうだった。だが、あの方が眼を開けられて、それは決意に変わった」
アイスブルーの力強い視線が、まっすぐ同僚たちに向けられる。
「忠誠も恋も諦めず、全力で炎を燃やし続ける。たとえ命令に逆らう事になろうと、絶対にジュリアス様を幸せにする。これが、俺の出した答だ」
しばしの沈黙の後、オリヴィエが半ば呆れたように言った。
「……まさかその場で、そんな暑苦しい言い方で、告ったんじゃないだろうね」
炎の守護聖は、普段の不敵な様子に戻ると、はぐらかすように答えた。
「もちろん、最高にロマンチックな場所と言葉を選んださ。そしてあの方は、俺の気持ちを受け入れてくださった。これだけ言えば充分だろう」
「良かったですね、オスカー」
水の守護聖は、素直に同僚を祝福した。
肩をすくめるオリヴィエも、開き直ったように胸を張るオスカーも、充実感に溢れているのがわかる。自分には手の届かない幸せだと思うと切ないが、それより、彼らが長年の想いを実らせたのが嬉しかった。どちらも状況が状況だったとはいえ、勇気を出して気持ちを伝えた甲斐があったというものだろう。
(私などには、とても……)
無理な事だと思いかけて、リュミエールは微かな違和感を覚えた。どうしたのだろう、想いを打ち明けた事もなければ、そのような勇気を持ち合わせているはずもないのに、何が引っかかっているのだろう。
思い出そうとしていると、元気なノックの音が聞こえてきた。
「お入り……」
返事が終わらないうちに飛び込んできたのは、栗色の髪の少年だった。
「オリヴィエ様、書類を持ってきました……あ、オスカー様、リュミエール様、こんにちは」
「元気そうですね、ランディ。怪我の方は、もういいのですか」
骨折したばかりのはずの少年が、あまりに張り切っているのに驚きながら、水の守護聖は声を掛けた。
「はい、明日から、またオスカー様に剣の稽古をつけてもらうんです」
眩しい笑顔で言い放つランディに、炎の守護聖は人差し指を立てて見せた。
「忘れるなよ。俺は、医者がいいといえば、と言ったはずだぜ」
「この後で診てもらう事になっていますけど、全然痛くないから、たぶん大丈夫ですよ!」
眼にも心地よい機敏な動きでランディが退出していくと、夢の守護聖は肩をすくめて言った。
「あんたの弟子、ちょっと張り切りすぎじゃない?」
「診断に従うって言うだけ、少しは成長したとは思うぜ。ま、一人前の男までは、まだまだ先が長いがな」
冗談めかした言葉と裏腹に、オスカーの眼差しは温かかった。
「あんたみたいなのを一人前っていうんなら、永遠にならなくていいけどね」
「うるさいぞ、極楽鳥」
軽口を叩き合う同僚たちを、水の守護聖は微笑みながら見つめた。
平穏が戻ってきてよかった。宇宙中の生命が終焉から逃れられてよかった。その中に、大切な人と自分がいられてよかった。
(大切な……クラヴィス様……)
リュミエールの脳裏に、飛空都市の湖の夜景が浮かんだ。
やはり、大事なことを忘れているような気がする。混沌から戻ったばかりで、平常心ではいられなかったあの時、自分はいったい何を言ったのだろうか。幾度考えても思い出せないが、いつか、わかる時がくるだろうか。
そうであってほしいと思いながら、水の守護聖は香りのいい紅茶に口をつけた。