祝福の章・13




13.



 暖炉で燃えていた手紙は、間もなく、白い灰になって崩れ落ちた。

 無言のままそれを見届けたジュリアスは、携えてきた書類を執務机に置き、出て行こうとした。

「……待ってくれ」

クラヴィスが声を絞り出すと、光の守護聖は振り返った。

 今さらどうしたところで、この同僚への罪は償えないだろう。それでも、できる限りの事をするしかない。当時の女王や補佐官に対しては、もう何一つできる事もないのだから、せめてジュリアスにだけは。

「すまなかった」

思いつくただ一つの言葉を、闇の守護聖は告げた。

 返ってきたのは、長い沈黙だった。断罪を待つクラヴィスにとっては耐え難い時間だったが、これと比べ物にならないほどの歳月、自分が罪を放置してきたのだと思うと、いっそう申し訳ない気持ちになってくる。

 どれほど経っただろうか、光の守護聖の、淡々とした声が耳に届いた。

「やはり、そうだったか」

意外な言葉に。闇の守護聖が呆然としていると、ジュリアスは重々しく口を開いた。

「あの事件について、話しておく事がある」





 光の守護聖が口にしたのは、クラヴィスが書類を焼いてから、しばらくたった日の出来事だった。重罪にも関らず同僚に咎めがなかった事を、密かに不満に思っていた彼は、当時の女王に召され、このように告げられたという──

『ジュリアス、そなたは幼くして聖地に呼ばれたが、心配していたほどの問題もなく、守護聖としての生に馴染んでくれた。外界での育みの賜物であろうが、それは、私にとっても喜ばしい事だった。

 だが、先例に気を良くしたあまり、クラヴィスも同じだろうと思い込んだのは、私の大きな誤りだった。覚悟も知識も持たぬまま運命を背負わされたあの者に対し、あまりにも配慮が足らず、眼が行き届かなかった。

 今回の件の裁きをつけるべく、時間を掛けて話してみて、初めて私は気づいたのだ。クラヴィスの心に、聖地に来た時にはなかった深い傷が、いつの間にか生じていた事に。

 すぐさま原因を探ろうとしたが、既に傷そのものの存在が、意識の下に封じられていた。恐らく痛みが大きすぎたため、本能的に隠してしまったのだろうが、無理に立ち入れば取り返しのつかぬ深手を負わせかねないと気づき、私は癒す事を諦めねばならなかった。

 その傷と不自然な封印が、あの者の心を不安定にし、書類を焼かせたのだと私は考えている。ゆえに、今の状態で罪を咎めても意味がないと判断したのだ。

 ジュリアス、お前には納得がいかぬかもしれないが、怒るも責めるも、どうか時を待ってほしい。

 今も傷はクラヴィスの心を縛り、蝕み続けているようだ。しかし、いつかあの者が誰かに心を開く事があれば、自らそれに向かいあい、解放されるかもしれぬ。どうか私に免じて、その時まで……』



 前々女王の言葉を、真剣な口調もそのままに、光の守護聖は伝え終わった。

 クラヴィスは、ただ眼を見開くばかりだった。前女王ばかりか第254代女王までもが、そこまで自分を気に掛けていたなどとは、思ってもみなかった。そしてまた、この同僚が、いかに女王の命とはいえ、こんなにも長きに渡り、自分を待っていてくれたとは。

「混沌に向かう前、お前は初めて私を正面から見て、“約束する”と言い切ったな。それで、時が来たかもしれぬと感じたのだ」

光の守護聖はクラヴィスに一歩近づくと、確かめるようにその面を見つめた。

「とはいえ、正直に言えば半信半疑だった。人がそこまで変わるとは、なかなか思われなかったからな」

 無理もないと思いながら、闇の守護聖は項垂れた。これまで永らく、意志も責任も持たないような態度でいた者が、言葉一つで信用を取り戻せるものではないだろう。

「だが、今なら理解できる。人は、誰かに心を開くと……変わるものだ」

最後の部分が、まるで独り言のような口調になっているのに気づいて、クラヴィスは思わず同僚を見た。

 光の守護聖は、なぜか慌てた表情で咳払いしてから、再び重々しい口調に戻った。

「ともかくだ、己の所業を悔いる気持ちがあるのなら、償いとして、もっと闇の守護聖らしい振る舞いを心がけるのだな。きっと、前々陛下もそれをお望みだっただろう」

 驚きと畏敬の気持ちに打たれて、クラヴィスは言葉も出なかった。それが、償いだというのか。あれほど傷つけられ、反省の色もなく放置されてきたというのに、それだけしか求めないつもりなのか。少年の日の怒りも失望も、永年の忍耐も、全てそれで購えるというのか。

 何という大きな度量を、この男は持っているのだろう。期待に応えられるかどうかわからないが、こうなれば、力の限り努めるしかない。報いる手段などあるはずもないと思っていたのに、それが与えられたのだから。

「……努力する」

懸命に言葉を探し、闇の守護聖はようやく掠れた声を絞り出した。

「うむ、聞いたぞ」

ジュリアスは僅かに表情を綻ばせて頷くと、普段と変わらぬ様子で部屋を出て行った。



 静寂の戻ってきた暗色の空間で、クラヴィスは崩れ落ちるように、床に膝を落とした。力の抜けた指を組み、虚空に向けて祈りを呟く。それは唇から失われて久しかった、救いへの感謝だった。

 育ててくれた、見守ってきてくれた、周囲にいてくれた全ての人たち、全ての命に向けて、彼は祈りを捧げ続けた。




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