祝福の章・3




3.

 だが、リュミエールの意識は途絶えなかった。元の世界に戻ったと感じた瞬間から、強烈な圧力と激痛が繰り返し襲ってきたのだった。肉体を失っての死とは、ここまで苦しいものなのか、どれほど続くのかと、彼は恐れ戦いた。

 そして突然、それらは潮が引くように去った。



 気づけば、懐かしい感覚が全身を覆っていた。

 まだ力が出ないのか、指一本動かす事はできないが、夜空に星が輝いているのが見える。小さな灯りでもあるのか、地面からうっすらと光が立ち上り、少し離れた所からは滝の音が聞こえてくる。湿った草の手触りと、土の匂い。どうやら、どこかの湖畔に横たわっているようだ。

(……生き返ったのでしょうか)

ぼんやりと思った瞬間、しかしリュミエールは、全神経に拒絶反応を覚えた。痛みこそ感じないものの、決して受け入れられない、強烈な違和感。細胞の一つ一つが自分ではないと叫び、居てはならないほど近くに誰かがいるような、危険で異常な感覚がある。

 どうしてしまったのかと困惑していると、急に何かが──だれかの精神が、目覚めるのがわかった。接した肌から熱や動きが伝わるように、それが何をしようとしているのかが、直に感じられるのだ。

 その精神は、リュミエールも知っている、ある場面を思い出していた。



 青銀の髪の青年が、眼の前で嘆いている。絶望の激しい眼差しで、こちらを凝視している。

『お側になど、通わなければよかった。近づかなければよかった。いっそ、出会っていなければ──!』



(これは、私……けれど……)

この記憶は、叫んでいる側ではなく、言葉をぶつけられた側から見たものだ。

 クラヴィスのものだろうか。それが、どうして自分に感じられるのだろうか。そして、精神が居場所を間違えたような、この違和感は──



(……まさか!)

ありえない事だが、他に考えられない。

 自分はクラヴィスの肉体に、その精神と同居する形で、入り込んでいるのではないか。一つの肉体に二つの精神が宿るなど、あってはならない事なのに。

 リュミエールは、混沌の中で聞いた言葉を思い出していた。

『クラヴィスなら大丈夫です。あなたも……少し我慢してください』

女王たちの力によって、闇の守護聖の精神を肉体に戻すと同時に、自分もここに移されたのだろうか。肉体を持たない者の、仮の棲み処として。

 だとしたら、二つの精神が衝突しないのは、たまたま今クラヴィスの意識が凍り、現を離れているために過ぎない。いつまでも、こうしていられるものではないだろう。いずれ本来の意識が戻った時には、どのような事態が起こるかわからない。

 とはいえ、留まろうにも出ていこうにも、今の自分にはその力がない。女王たちがどう計らうつもりなのかわからないが、全てを流れに委ねているしかないのだ。

 愛する人の回想が、その感情を伴って、こちらに伝わり続けている。混沌では酷い事を言ってしまったと悔やみながら、リュミエールは、相手の心に浮かび続ける記憶と感情を、共に辿っていた。



“あれは……”

隣り合った精神が、喘ぐように呟いている。

“あの眼は……あの時と、同じ……”



 この肉体の主が、さらに深い回想に、墜落するように入り込んでいくのがわかる。永らく踏み入れる事のなかった古い領域。近づく事はおろか、その存在を認めるさえ恐ろしくて叶わなかった、最奥の領域。



 それは聖地に来て間もなく、クラヴィスが水晶珠を通して見た光景だった。




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