祝福の章・5




5.



 クラヴィスの肉体に宿るリュミエールは、その永い罪の回想を、全身で触れているかのように生々しく感じ取っていた。

(何という……惨い……)

驚きと悲しみに、胸塞がれる思いがする。

 落ち度もない光の守護聖や女王を傷つけた罪は、それを忘れていた事も含め、簡単に許されるものではない。

 だが全ては、死の床にあった母親を見てしまった事から──無意識に記憶を封じるという、凄まじい自衛作用が起きてしまった事から、始まったのだ。あれは、守護聖としての生命力だったのだろうか。幼い心が崩壊し、闇の守護聖が失われるという事態を避けるための。

 しかし、代償としてこの方は、理由のわからない心痛に、絶えず晒される事となった。それが徐々に精神を弱らせて、さらなる罪へと導いてしまったのだ。

 いったいどれほどの痛みを抱きながら、この方は永い歳月を過ごしてきたのだろう。そして記憶が解放されてしまった今、この方はどうなってしまうのだろう。もう、かなり現在に近いところまで、回想が進んできている。幼い頃ほど脆くないとしても、これだけの厳しい過去を、果たして受け止められるのだろうか。

“あの眼は……あの時と、同じ……”

先刻、感じ取った呟きが、不意に思い出された。

 混沌で再会した時、喘ぐように漏れ出た言葉。あれは、どういう意味だったのだろう。封じていた母親の姿が蘇ったのは、その直後だった。まるで、何かが呼び水になったかのように。

(──まさか!)

リュミエールは、恐ろしい事に気づいた。

 あの時の自分の眼差しと、死の床にあった母親の眼差しを、同じと言っていたのだろうか。容貌こそ似ていないが、表情だけでいえば、たしかに重なるようにも思われる。そのようなはずはないと否定すればするほど、違いが見出せなくなっていく。

 自分のせいだったのか。封印を解き、この方を危険に晒してしまったのは、自分だったのか。もしもそれで、この方の精神が崩壊するような事があったら、失われるような事になったなら──



 狼狽していると、突然、小さな輝きが眼の前に飛んできた。

(何……?)

思わず、注意がひきつけられる。

 虹色を帯びた銀の煌きを放ちながら、それはリュミエールの宿る肉体の、すぐ傍らの空間で静止した。小さな宝玉か、あるいは夜空の星を映した水滴だろうか。手を伸ばすだけで触れられそうな距離だが、身動きが取れない状態ではどうしようもない。

(どういう……事でしょう……)

戸惑うリュミエールの視界に、一つ、また一つと同じ輝きが飛来してきた。どこか別の場所に、吸い込まれるように消えていく物もあったが、殆どは最初の物と同じ場所に飛んできては静止していく。視線を巡らせられる限りで追うと、どうやら湖と滝の方から飛んできているようだ。

 止まる所を知らぬように集まり続けた輝きは、ついに人の大きさほどの塊を成すようになった。宝玉に覆われた巨大な繭にも見えるが、なぜか懐かしく温かい気配が、その内側から伝わってくる。

『……リュミエール』

どこからか、呼びかける言葉が聞こえてきた。混沌の中で受け止めた、あの女性たちの意思と同じ響きだ。

(陛下……)

『私たちから、祝福を送ります。さあ、心を開いて……』

慈愛と力に満ちた言葉に従って、リュミエールは意識を緩め始めた。身動きもとれない自分には、他にどうしようもない。今は、全てを委ねるしかないのだ。

 愛しい人の安泰だけを祈りながら、彼は眠りに落ちるように、自らを手放していった。



 再びの激痛と熱、圧迫と極寒。一度経験していたからか、前回ほどの恐怖はなかったが、それでも、いつ終わるとも知れない苦しさに、もう少しで望みを失いかけた頃、リュミエールは急に解放された。



 大きく呼吸してから、眼を開く。先刻と同じ星空が見える。滝の音が聞こえ、草の感触が伝わってくる。

(私……は……)

傍らに向けた視線が、横たわる闇の守護聖を捉えた。瞼は開いていながら、まだ表情は凍りついているようだ。

 その脇では水晶珠が仄かな光を放ち、地面に広がる水の執務服と青銀の髪を照らし出している。力を入れると袖が持ち上がり、紛れもない自分の手が動くのが見える。

 恐る恐る身を起こし、肩や面に触れてみたリュミエールは、自分が肉体を取り戻したのに気づいた。もう、違和感も抵抗もない。混沌に踏み出した時そのままに、服装まで再現されている。今度こそ本当に、全てが元に戻った。生還したのだ。

(ありがとう……ございます)

ゆっくり跪くと、リュミエールは女王たちに感謝の祈りを捧げた。




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