闇の章・1ー2
2.
確かに少年は、新参の楽士などではなかった。
「ディア、集合の連絡は、確かにクラヴィスにも伝わったのだろうな」
侍従が扉に手をかけるのと同時に、ジュリアスの苛立った声が聞こえてきた。
ディアが何か答えている様だったが、入室しようとしている青年の耳には、意味ある言葉として届かなかった。
集いの間の奥に、こちらに背を向けて、二人の少年が立っている。その一人の姿が、彼の意識を捉えていたのだ。
水色のローブに包まれた、華奢な肩。青銀の髪。
(あれが……)
近々交代があると聞かされていた、水の守護聖。
(……なるほど)
それならば、先刻感じた清い流れも、水のサクリアの現れとして説明がつくだろう。黒髪の青年は、そう考える事によって、平静をとりもどした。
とは言え、今まで出会ったどの水の守護聖からも、あのような感覚を得た事はなかったのだが。
「何事も、最初が肝心だというのに……一体どこに行っているのだ、あの者は!」
音量を増した怒号が響き、青年はため息混じりの言葉を返した。
「……ここにいる」
引き継ぎには、かなりの日数が掛かっているようだった。
尋ねもしないのに説明してくれたルヴァによると、特に今回は水と炎という、相反する力を司る守護聖が同時に交代するので、それらが平衡を失う事のない様に、細心の注意が払われているという事である。
「ですからね、あの新しく来た子たちには、普段の引き継ぎの時以上に厳しい修練と学習が必要とされているらしいんですよ。でも、二人ともとても良くやっているみたいですし、きっといい守護聖になる事でしょう、ええ」
一人嬉しそうに頷くルヴァに、クラヴィスは何も答えようとはしなかった。
そして、ようやく新守護聖たちの就任が翌日に迫った、その夜遅く、思いがけない客が、闇の館を訪れた。
あと一晩の任期を残すのみとなった、水の守護聖である。
親しくした覚えも無い相手が、まさか自分との別れを惜しんで来た訳でもなかろうが、かと言って追い返すわけにもいかなず、クラヴィスは訝しげな表情のまま客間に向かった。
本来の用途に使われた試しがほとんどないその部屋に、しばらく無言の時間が過ぎる。
やがて客人は、話のきっかけを掴むのを諦めたのか、唐突に切り出した。
「……お前に一つ頼みがある。私などに義理もなかろうが、少しでも縁あった者の、最初で最後の願いとして聞いて貰いたい」
驚きと不審を隠そうともしないクラヴィスに、仕方ないというように小さく頷くと、水の守護聖は真剣な眼差しで続けた。
「リュミエールの力になってやってくれないか」
「……何?」
「あの子はあまりに繊細過ぎる。いずれ強くもなっていくだろうが、守護聖の任はまだ、荷が勝ちすぎるかもしれない。だが……お前の話をする時だけは、落ち着いたいい表情に変わる。恐らく心から慕い、頼っているのだろう」
闇の守護聖は言葉も出ず、ただ異様な物でも見るように、相手を見つめていた。
(……慕う……頼りに思う……それはいったい、何の事なのだ)
一体誰が、この自分を頼ろうなどと考えるものか。その上……慕うだと?忌避する者こそあれ、近寄ろうとする者などいた試しのない闇の守護聖を。
しかもそれが、リュミエール……よりにもよって、あの……
闇の守護聖の瞳が、微かに光ったように見えた。
だが彼は、短い沈黙の後、
「……考え違いだ」
とだけ言い残し、部屋を出て行ってしまった。
後に残された水の守護聖は、ただ、気遣わしげなため息を洩らしていた。