3.
翌日、水炎二守護聖の交替の儀が執り行われた。
謁見の間に厳かな音楽が鳴り渡る中、任期を終えた二人が前に進み出る。
一段高く奥まった所から、女王は自ら彼らの名前を呼んだ。
歴代の中でも特に人目に付くのを嫌い、通常は守護聖に対してさえ、ディアに代言させている女王だが、今日ばかりは自ら労をねぎらってやるつもりらしい。
流れてくる声を聞きながら、クラヴィスは考えていた。
いつか、自分にその時が来たら……その時、まだ今の女王が在位中であったなら……“彼女”は、やはりこの様に自分の名を呼び、言葉を掛けるのだろうか。
(……決まっているではないか)
何も変わる筈がない。変わる必要もない。
自分が特別だとでも、思っているのか?女王が人目を避けている理由が、自分にあるとでも?
思い出したくもない傷に、意識が引きつけられる。
この同じ場所で、薄いヴェールの奧で、大きな瞳が力一杯見開かれ、涙を堪えていた。
『255代女王アンジェリークよ、私は……』
個人としての愛よりも、女王の責任を選んだ、金の髪の少女よ。
『……御代の平安を祈り、ただ忠誠を誓おう』
この声も眼差しも、冷え切っていたに違いない。全ての幸福から遥か隔たった所にある心を、私は隠そうともしなかったのだから。
緊張に耐え続けていた、まだあどけなさの残る顔が、悲痛な表情と共に色を失う。補佐官になったばかりの、もう一人の少女が、咄嗟に腕を伸ばして支えるのが、視界の隅に映る……
(言ってやるべきだったのか、お前の決断を受け入れたと?
私はいつも側にいる、これからは、お前の支えとなる事を喜びとしよう、と……
そう言ってやるべきだったのか?)
光り輝く髪の下から、激しい眼差しが、時を越えて追いかけてくる。
<忘れた振りをしても、この眼差しからは逃れられぬ……
見るがいい、彼女の悲しみを。
愛する者に対して、その精一杯の判断に対して、お前の為した事を!>
クラヴィスは、耐えかねたように両眼を閉ざした。
こうして守護聖の交替が行われる度に、同じ思いをしなければならないのだろうか。
<罪深き者、悲しみを呼び起こす者、許されざる者……
お前に安らぎや、まして幸福など、望む資格はない>
「……謹んで、拝命いたします」
水色の髪の少年が、澄んだ声で答えるのが聞こえた。
式典が終わると、女王は再び無言の者となって退出し、守護聖たちも順に謁見の間を去っていった。
他の者の後から宮殿を出たクラヴィスは、前庭に馬車が停められ、そこに小さな人だかりが出来ているのに気付いた。
「ああ、あの子たちは、ここでお別れするよう言われたみたいですね」
隣を歩いていたルヴァが、穏やかな笑顔で話しかけてくる。
守護聖たちの中には、門まで見送りにいくために、既に馬車に乗り込み始めている者もいたが、たった今就任したばかりの水と炎の守護聖は、この場でそれぞれの前任者と、最後の別れを交わしているのだった。
陽光眩しい庭にあって、リュミエールの姿は、かき消えてしまいそうに儚かった。誂えられたばかりの執務服さえ重過ぎるように見える華奢な体が、遠目からも分かるほど心細げに立ちつくしている。
それを力づけようとしてか、退任した水の守護聖が両肩に手を置き、何事か語りかけている。
(どのような言葉を残そうと、あの者がこれから過ごす時の重さの前では、意味を成すまいに……)
不機嫌な視線で一瞥をくれると、クラヴィスは彼らに近づこうともせず、再び宮殿に戻っていった。
階段を昇り、体の一部のように使い慣れた扉を開くと、闇が広がっていた。
厚い暗色のカーテンと内装が、外の物事を全て遮り、陽光も交代劇も、時間さえも入り込めない、永き静寂の世界を保持している。
ただ机上に一つだけ、薄い光を放ち続けるものがあった。
手をそれにかざしかけて、止める。
今、中に映るものを見てはいけない、そんな気がしたのだ。
「……水晶球よ……」
記憶さえ途切れるほどの過去から、常に側にあった物の名を、クラヴィスは呟いた。
手すさびとして置いているつもりなのに、いつか切り離せないものとなり、時にはそれに支配されかけている様な気さえする、硬く透き通った球体。
(お前もまた、時を忘れた者なのかもしれぬな……)
闇を吸った瞳には、皮肉めいた親しみの色が浮かんでいた。