闇の章・1ー4
4.
その光はクラヴィスにとって、苦手という言葉などでは表され得ぬほどの痛みを与えるものだった。
特に一対一となった時、それは、残酷なまでに鋭く射してくる。まるで闇を切り裂き、消滅させる意図を持つかのように。
「クラヴィス、そなた、また報告を怠ったな!」
庭園の噴水前で出くわしたのは、輝きを運命づけられている者だった。
「そうだったか……?」
話題とされているのは恐らく、サクリアの状態についての定期報告の事だろう。特に義務づけられているわけではないが、少なくとも光と闇の守護聖だけは報告を欠かすべきではないと、彼ジュリアスは考えているようだ。
曖昧な返答が気に入らなかったのか、金の髪の青年はしばらく相手を睨んでいたが、やがて怒りの籠もった声で話しだした。
「それだ、その目だ。いつか言おうと思っていた − そなたは私と話す時、なぜこちらを見ようとしない」
「……見ているが?」
「違う!私をごまかせると思うな。それはただ、視線を向けているだけであろう、意識をどこかに飛ばしたままでな!」
黒衣の守護聖は、心の中で長い溜息をついた。
そこまで要求されるのか。対峙するだけで、酷く消耗してしまう相手に。まともに見る事さえ耐え難く、斜に構えた返事をするのが精一杯な相手に。
だがそれは、自分でさえ理解しがたい反応なのだ。ましてや他人であるジュリアスになど、察する事も配慮する事も、期待できようはずがない。
「話は……それだけか」
自分の脆さ、卑しいまでの弱さを改めて思い知らされ、クラヴィスはただ嗤うしかなかった。
この輝きの前では、一層深く闇を纏わねばならない。傷を隠し、最も濃き闇から逃れるために。闇の痛みを知らぬ者によって、それを見極めよとばかりに照らし出されるのを避けるために。
曇りなく碧い瞳に浮かんでいた光が、怒りからやがて、苛立たしげな軽蔑へと変わる。
「言うだけ無駄だったようだな……行くぞ、オスカー」
声と足音が、沈む日のように、遠ざかっていった。
黒髪の青年は、まだ刺々しい空気が残っている噴水を離れると、庭園の東にある林に向かった。
木々の間から見えてくる小川の手前には、縦にも横にも、人が10人並べないほどの、小さな岸辺がある。
狭いからこそ人が近づく事もなく、せせらぎと時折の小鳥の声だけの静かな世界に浸っていられる場所。
そこに立ち、水面を見つめているだけで、疲れが洗い流されていくのを感じられる……
「クラヴィス様」
せせらぎと同じ色の声が聞こえた。
振り返ると、林を抜けたばかりの所に、若き水の守護聖が立っている。
(……リュミエール)
声をかけられたのは初めてだが、この岸辺で彼を見たのは初めてではなかった。
(そうか……ここに来たからといって、必ずしも一人になれるとは限らぬのだったな……)
今更のように気付くと、闇の守護聖は不思議な気分になった。一人になれないと分かれば、この場所に来る気も無くなりそうなものだが、何故かそうはなっていない。
「……私も、ここにいていいでしょうか」
「別に。私一人の岸辺ではない……」
遠慮がちな問いかけに答えながら、クラヴィスは珍しく、自分の心を測り始めていた。
なぜ……ここを好む気持ちが失せないのだろう。
出会う相手が、リュミエール − 決して邪魔をしようとはせず、ただ目礼して立ち去っていく、物静かな少年 − に限られているからだろうか。彼の持つ水のサクリアが、小川の流れに同調してでもいるのだろうか。
(……水…………)
そう言えば先刻、この者は噴水の前にいた。ジュリアスとのやり取りも、当然、耳に入っていたはずだ。
(さぞかし、呆れた事だろうな……)
水面に向けられた紫の瞳が、少しく焦点を失う。
他の者と同様、リュミエールもまた、この疲労を理解し得ないだろう。そして、自らの痛みを恐れ、原因を探る事さえ諦めてしまった者には、それを悲しむ資格もないのだ。
(……だが)
切れの長い瞼を伏せ、闇の守護聖は微かに首を振った。
己の内なる闇を見定められる者など、現実に存在するのだろうか。
今さら自分を正当化する気はないが、闇を持たぬ者、知らぬ者ならいざ知らず、闇への恐れを常に心に抱く者に、その様な事ができるものだろうか。
光り輝く髪の下から、激しい眼差しが、時を越えて追いかけてくる。
耐え難い痛み、消えない傷。
時間と共に、薄らぐどころか一層深まっていくそれらから、ただ眼を逸らし続ける以外に、いったい何ができるというのだろうか。
庭園での疲れは癒されたようだが、心を支配する闇が薄らぐ事はない。
そろそろ、馴染んだ場所に戻るべき時間かも知れない − そう思って歩き始めたクラヴィスの背後から、叫ぶような問い掛けが聞こえてきた。
「あの……私も、ご一緒していいでしょうか!」
青銀の髪の少年が、まるで縋るような眼差しで、こちらを見つめている。
その様子に仄暖かさを感じる自分に気付き、黒髪の青年は動揺を覚えた。
「構わぬが……」
答えかけた時、脳裏に走ったのは、戒めだった。
<お前には、安らぎや喜びを求める資格など、ない。>
「私の行く先を、お前は知っているのか」
聞き返しながらクラヴィスは、少年の前任者の言葉を思い出していた。
(『……お前の話をする時だけは、落ち着いたいい表情に変わる……』)
「……いいえ」
リュミエールは、殆ど聞き取れないほどの声で答える。
だが、きびすを返して歩き出した闇の守護聖は、背後に少年が着いてくる気配を感じ取った。
(『……恐らく心から慕い、頼っているのだろう……』)
無言で歩を進める黒衣の青年は、心の裡に、ある考えを固めていた。