闇の章・2ー2
2.
「クラヴィス……そうか、今日はそなたの観測日であったな」
光の守護聖から掛けられた言葉に答えようともせず、振り向こうとさえせず、黒髪の青年はただ、溜息をついた。
(この声が聞こえてくると、いつも気が散じてしまう…)
クラヴィスはモニターに一瞥だけくれると、静かに立ち上がり、観測室を出ていこうとした。
「待て」
呼び止められ、億劫そうに足を止める。
「観測は済んだのか?」
「……いや」
「ならば何故、席を立つ!」
非難を含んだ憤りが、澄んだ紺碧の両眼を、険しい形にしている。
「戻って観測を続けるのだ。終わるまで、私も立ち会おう」
苛立ちを抑えた様子で、ジュリアスは言葉を続けた。
だが、闇の守護聖は頭を振る。
「異常らしきものは感知した……が、集中が途切れてしまった。誰かが来たのと同時にな」
「何だと!」
首座の守護聖の声が、一段階大きくなっている。
クラヴィスもそれに気付いたが、あえて応じる気にもなれなかった。ありのままを告げて怒りを買うのはいつもの事だ。
「これ以上、ここにいても意味がない」
そう告げると、相手の返事を待たず、クラヴィスは退出していった。
厚い木の扉。
その中には、観測機器の音にも、人工的な照明にも煩わされぬ、静かな闇がある。
執務室に戻ると、クラヴィスは黒い布に覆われた卓の前に座り、一組のカードを手に取った。
先刻感じた異常を心に蘇らせながらシャッフルし、水面に浮かべるかのように静かに並べていく。
黒い空間の中、一つの真実が、幾つもの角度から照らし出されていく。
(大きな終末……別れ……喪失……)
第947星系の終焉と合致した内容だ。
(……窮状……悲しみ……祈りや願い……愚かさ)
これらは、住民の心理状態を表しているのだろうか。
(結束……希望……依存…………)
クラヴィスは、その長い指を最後の一枚に置いたまま、しばし考え込む。
ややあって表に返されたそれには、“欺瞞”を意味する絵柄が描かれていた。
再び観測室の扉を潜ると、第五惑星の映し出されたモニターの前に、ジュリアスが座っているのが見えた。
「クラヴィス様」
職員が呼びかけたのが聞こえたのだろう、黄金の頭が素早くこちらを向く。
「そなたは!」
激しい口調を制するように、闇の守護聖の低い声が流れた。
「この惑星を、数種類の方法で占った……結果は、ほぼ一致していた」
「…………そうか」
安堵と微かな疲労の現れた表情を見て、クラヴィスは、この首座の守護聖が、先刻の自分の退出を職務放棄と受け取った事、それを咎めるより緊急の用件として、自ら第五惑星の異常を見出し対処するために、ずっと観察を続けていた事を悟った。
「それで、結果は」
ジュリアスが、徐に答を促す。
「……“いくつもの欲望と怖れ、愛と悲しみが、一つの間違った希望に束ねられている”……大体、こういう事のようだ」
黄金の髪の守護聖は、心持ち顎を引いて考え込んだ。
「“間違った希望”とは、良からぬ響きだが……いま少し、具体的にならぬものか」
クラヴィスは、黙って頭を振る。
その時、一人の職員が慌てた様子で割り込んで来た。
「お話中、失礼いたします。特別観測中の第五惑星に関して、ただ今、緊急連絡がありました」
ジュリアスが、職員に向き直った。
「何があったのだ」
「はい。第五惑星から脱出した民の数よりも、移住先に到着した数が、僅かに少ないとの事で、ただ今、派遣軍と研究院で状況を確認中です」
「僅か、とは」
「ええ……現在確認されているのが、67名です」
問い返された職員が、急いで書類を確認する。
「67名……か」
闇の守護聖が、乾いた呟きを洩らした。
守護聖が感知した異常だからといって、必ずしも全宇宙規模の大事であるとは限らない。
いや、むしろ、そうでない方が多いのだ。
億どころか百にも満たぬ数の民がどうなろうと、ここで王立研究院や守護聖が動くほどの事とは思われないが − そもそも、守護聖も研究院も万能ではないのだから、全ての災害を予想し回避できる訳ではないし、更に言えば、自然が起こす災害を予測によって防ぐのが、果たして宇宙の理に適っているのかどうか、クラヴィスには判断が付きかねていた − それでもこうして調査し、対処に全力を挙げている。
一度発見された異常は、それがどれほどの規模であろうと看過できない、というのが、聖地にある者に共通した職務の原則であるらしい。
(……全く、熱心な事だ)
更に詳しい状況を得ようと問いただすジュリアスに、通信機に向かう職員に − そして先刻、幾つもの占いでこの異常に迫ろうとしていた己に対して、クラヴィスは皮肉な感慨を洩らした。