闇の章・2ー3
3.
なおも熱心に確認を続けている光の守護聖から離れ、クラヴィスは観測室の一隅に移った。
これくらい離れていれば、常にジュリアスに対して感じている、この異様なまでの居心地悪さを、抑え続ける事ができそうだ。
(一体、いつからこれ程になってしまったのか……)
為す事もないままに、いつか意識が、内側へ向かって流れていく。
(相対するサクリア故の反発……本当に、それだけだろうか)
もしそうならば、ジュリアスにも同じ感覚があるはずだが、その様子は見受けられない。それに、出会った頃は、異質さを覚えこそすれ、苦痛など感じなかった……ように……思……
<……何を考えている!>
胸の奥から響いてきた言葉に、紫の瞳が見開かれる。
<何を見ている>
<己の心をか。痛みの源を明らかにして、平穏を得ようと>
<その様な事が、許されるとでも思っているのか!>
(……私は……私には……)
空いた椅子に掛けられていた白い手が、縋るようにそれを掴む。甲にも節にも、たちまち、無惨なほど削げた輪郭が浮き出してきた。
<見てはならない><触れてはならない><考えては、近づいては……>
<……さもなくば!>
「っ……!」
凄まじい恐怖と拒絶感に襲われ、闇の守護聖は思わず息を詰めた。
職員達が慌ただしく行き来する大観測室の中、伏せられた蒼白な面が苦しげに歪むのにも、丈高き身体が、見えない敵を恐れるかのように不自然に強ばるのにも、気付く者はいなかった。
肩に、柔らかな感触があった。
「クラヴィス……クラヴィス、大丈夫ですか?」
温かく心配そうな声に、撫子色の髪と衣装。
「……ディア……か」
「ええ」
若き女王補佐官は、安心したように表情を緩めると、相手の肩に触れていた手を下ろした。
「ジュリアスに呼ばれて、たった今来ましたの……気分が優れないのですか、クラヴィス、顔色が良くありませんわ」
黒髪の青年は、大きく息をつく。
「……何でもない」
「でも……」
なおも言葉を継ごうとする少女に、職員が呼び掛けるのが聞こえた。
「失礼いたします。ディア様、第五惑星のデータが、あちらに出ましたが」
「分かりました、ありがとう」
気遣わしげな一瞥を残し、補佐官は教えられたモニターに向かった。
彼女に気付いたジュリアスが、数人の職員と共に歩み寄り、何事か話しかけるのが見える。
ぼんやりとそちらに目を遣ったクラヴィスは、自分の心に先刻の状態が戻ってこないのに気付くと、もう一度息をついた。
(大丈夫だ。それに……もう、充分だ)
埒の開かない、そして再び恐慌に陥る危険のある思考は、避けなければならない。
彼は再び、眼前で起きている事に意識を集中させた。
あらためて室内を見渡してみるが、ディアが呼ばれた以外、事態は大して進展していないようだ。
(しかし……)
この規模の事件に対して、それも、これほど不確かな時点で補佐官を呼び出すのは、異例ではないだろうか。
(確かに、最初にあの惑星を見た時は、単なる数十人の行方不明とは思われない異変を感じたが……)
その事は、まだジュリアスには伝えてない筈だ。
(ならば……あれ自身が、この事件に特異なものを見出したか)
今は計器の前に立ち、数字と通信機に厳しい眼差しを向けている光の守護聖を、クラヴィスは無表情に見やった。
自分が執務室に戻っていた間、恐らく彼は、非常な集中をもって、第五惑星を観察していたのだろう。職務を放棄した(と思われた……無理もないが)同僚への怒りはひとまず抑え、当面の異常について、その能力の限りを尽くして取り組む姿が、目に浮かぶようだ。
この宇宙でも、女王や補佐官に次ぐ重い任に就き、他者には推し量る事さえ難しいほどの誇りと使命感をもって、それを負い続ける者。
(女王……)
再び闇の腕に囚われぬよう、クラヴィスは目を半ば閉じ、心を空しくした。
危険を避けるために……何も、考えずにいるために。
光の守護聖が、重々しい口調で言うのが聞こえてくる。
「ディア、理由も無いのに、こういう事を言うのもおかしいかも知れぬが、私は……私には、この事件が何か非常に忌まわしいものを秘めているように感じられるのだ」
「まあ」
補佐官は、美しい眉をひそめて、少しの間考え込んだ。
「あなたがそんな言い方をするなんて……でも、それだけに、重要な事かもしれませんわ。確か、まだ宮殿に残っている守護聖たちがいたはずですから、彼らにも協力してもらいましょう」
その言葉を聞いて初めてクラヴィスは、すでに執務時間が過ぎているのに気づいたのだった。
宮殿に連絡を取っているディアの傍らを抜け、一人の職員が早足でやってくる。
「ジュリアス様、先ほど行方不明者が、第五惑星上で発見されました。しかし、本人たちが、そこを離れようとしないそうです……もう、いつ地盤が崩壊してもおかしくない段階だというのに!」