闇の章・3ー4


4.

 永遠の平穏を約束されているかのような聖地にも、節目となる特別な時期がある。その中心たる宮殿を源として、落ち着かない独特の雰囲気に包まれる日々──守護聖交替期間である。




「……ですから前にお話しましたように、次期夢の守護聖オリヴィエとは、依然として連絡が取れないでいるのです。こちらが迎えに行く事は本人に伝えてありますし、宮殿の依頼を受けた者たちが八方手を尽くして探していますが、いつ聖地に迎えられるか、まだ目処が立っていません」

守護聖たちを前にした女王補佐官は、そこで一旦話を切り、現職の夢の守護聖に心配そうな視線を向けた。だが、相手が安心させるように頷いたので、気を取り直したように再び口を開いた。

「とはいえ、夢のサクリアはすでに移動を始めてしまっています。ですから、交替がきちんと執り行われ、新任守護聖が職務に慣れるまでの間、皆様にも協力をお願いしますね」

 この場合の移動というのは、サクリアが現職者から失われ、新任者の内に沸き起こり始める事を指している。たとえ次期守護聖が就任を嫌って姿をくらまそうと、交替時期が遅れようと、そのような人間の事情などおかまいなく、サクリアは宿主を変えていってしまうのだ。

「あのー、ディア……」

遠慮がちに声をかけてきたのは、地の守護聖である。

「その、協力というのは、どういった事なんでしょうか。一つのサクリアを、他の種類のもので補う事はできないはずですが」

「ええ、補うとか代用するという意味ではなくて……ただでさえ交替によって不安定になってきている夢のサクリアが、交替の遅れによって供給不足まで起してしまったら、宇宙のどこにどんなトラブルが発生するか知れません。もしそうなってしまったら、他の皆さんのサクリアを用いて解決していく事になるかもしれませんから、一応、心に留めておいていただきたいのです」

「あくまで一時しのぎの対症療法、という事だな。九人の守護聖が揃っているのが、宇宙の基本なのだから」

光の守護聖が重々しい口調で言うのを聞きながら、クラヴィスはぼんやりと考えていた。

 誰の意志とも関係なく訪れ、そして離れていくサクリア。そのようなものに翻弄される宇宙。その宇宙の、ほんの一片に過ぎない人間の行為が、宇宙の安定を左右しかねないという現状。

 そもそもサクリアという力は、人の身に釣り合うものなのだろうか。これほど弱く脆い存在が持つべき力なのだろうか……

「クラヴィス様」

柔らかな声に呼びかけられて、闇の守護聖は我に返った。

 青銀の髪の若者が、穏やかな微笑みを向けてくる。何の用かといぶかしんだクラヴィスは、その背後で他の守護聖たちが歩き出しているのに気づいた。

(集いが……終わっていたのか)

答える代わりに僅かに視線を動かすと、リュミエールと並んで最後尾を歩き始める。

 部屋を出る時、水の守護聖がふと背後を振り返った。つられてそちらに眼を向けると、ディアとジュリアスの二人が、まだ深刻そうな表情で話し込んでいた。




 執務室のある一角に向かいながら、若者は静かに、しかし強い思いを感じさせる口調で言った。

「早く──何事も起こらないうちに、納得して就任してくれるといいのですが」

数秒の間、クラヴィスは無表情で黙り込んでいたが、やがて呟くように答えた。

「そう……だな」




 水の守護聖と別れて自室の扉を開けると、クラヴィスは一人、闇の中に戻っていった。

 暗色の執務机に就いて、リュミエールが最後に言った事を思い返す。あれこそが宇宙の安定に関わる人間として当然の、そして最優先であるべき願いだろう。

 それなのに自分は、逃避じみた考えにふけって勤めを忘れかけていた。いったい、これほど弱く脆い──サクリアの似つかわしくない人間がいるだろうか。

(だが実際には、まさにその者こそが、史上例を見ないと言われるほど長く、守護聖の任に在り続けているのだ……)

苦く冷たい笑みを湛えた暗紫の瞳を、机上の水晶球が暗く映し出していた。






 幸いにして、宇宙に影響が出る前にオリヴィエは聖地にやってきた。慌しい顔合わせの後、ルヴァが妙に混乱した様子を見せていたが、それ以外は何事もなく交替式が執り行われ、新たな顔ぶれで九人の守護聖が宮殿に揃う事になった。

 だが、その時すでに前任者はサクリアをほとんど失っており、すぐにでも聖地を出なければならない状態だった。そして、代わりに教育係を勤める事になったのが、件のルヴァだったのである。




「……ルヴァだと?」

水の守護聖からその知らせを聞いたクラヴィスは、胸に冷たい痛みが蘇ってくるのを感じた。

 辛うじてリュミエールに退出を命じる事だけはできたが、次の瞬間からはもう、体と心の自由がきかなくなっていた。

 ルヴァが、滅多に見せない積極的な態度で、人と関わろうとしている──

 この前、地の守護聖が同じ態度を見せた時……自分は踏み出してしまったのだ。希望に、光に、誤りに向かって。




(長い闇を抜けられると、抜けられるかもしれないと、一度でも思ってしまった……)

 過去も現在もルヴァに責任は無いが、その振る舞いが記憶を呼び覚ますのは止められなかった。

(勝手な期待が拒まれた傷だけならまだしも、その痛みに耐えかねて、何の罪もない人を──大切に思っていたはずの人を──誰よりも支えるべき時に、傷つけてしまった……)

 光り輝く髪の下から、激しい眼差しが、時を越えて追いかけてくる。

(どれほど長い時を生き続けようと、過去に戻る事も、それを消す事も、出来はしないというのに……)

 全てを凍らせ切り刻む烈風となって、逃げ場を奪い、襲い掛かってくる。




 呻き声を出す力もなく、闇の守護聖はただ痛みに身を任せたまま、その場に立ち尽くしていた。







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