闇の章・4−10




10.

 女王交代が発表された翌日から、前例のない試験準備が始まった。

 考査の舞台として選ばれたのは、少し前に誕生が観測されたばかりの──聖地の者にとっては、だが──新宇宙だった。二つの宇宙の間には次元回廊と呼ばれる路が開かれ、女王の選んだある惑星の上空に、観測用の浮遊島が造られていた。女王候補たちはここに移り住み、惑星の大陸をそれぞれ一つずつ育成する事になったのだ。



 浮遊島は飛空都市と名づけられ、聖地に模した施設が次々と建てられていった。観測所は拡張されて王立研究院の正式な分院となり、守護聖の執務室を備えた聖殿や女王候補たちの寮といった試験関連施設、それらで働く人たちのための住居、さらには聖地から運んだ水を用いた湖までもが造られた。試験とはいえ、仮にも育成を行う場所となる以上は、それに相応しい環境でなければならないという事だろうか。

 やがて完成が近づくと、ディアから守護聖たちに対し、現地を視察するようにとの指示が下った。試験中は、本来の職務と試験用の育成とを並行して行わなければならないため、少しでも不自由がないように、数日内に確認してきてほしいという事だった。



 二三日後、クラヴィスは職務の合間を見て飛空都市に赴いた。

 次元回廊を抜けて通路を出ると、すぐ近くに見覚えのある施設が建っていた。よく見れば外装があまりに新しいので、それが飛空都市の研究院だと察しがついたが、規模も造りも聖地の院とほとんど違いがない。

 それは、他の施設や戸外環境についても同じだった。聖殿とその執務室、仮住まいとなる私邸、その間の森や川など、別宇宙の人工都市というのが信じられないほど聖地に似せて造られ、見事に調和している。よほど技術の粋を集めて建造し、細心の注意を払って整備したのだろう。どのような場所でも文句を言うつもりはなかったが、ここまで丁寧に整えられているのならば、職務にも生活にも支障をきたすことはなさそうだ。

 だが、準備が念入りであればあるほど、なぜそうまでして聖地外で試験を行うのかと、改めて疑問がわいてくる。しかも、試験の場所と対象に、まだ調査も尽くされていない新宇宙を選ぶとは。

 何とは言えないが、この女王交代には、漠然とした不安と違和感を覚える。そう思うのは、自分だけだろうか。心身が弱っているから、あるいは罪の深さから気を逸らそうとして、余計な事を考えてしまうのだろうか。



 判断に迷いながら再び次元回廊を抜け、聖地に戻ると、若々しい声が出迎えた。

「お疲れ様でした!」

回廊からつながる通路に、あけっぴろげな笑顔が見える。風の守護聖が、数人の職員と共に立っているようだ。

「俺、なかなか仕事が片付かなくて、やっと今から行くところなんですよ。クラヴィス様が行って来られたって事は、俺が最後かなあ。ディア様に叱られないといいけど」

最後は独り言に近くなった言葉にただ頷き、傍らを通り過ぎようとした時、クラヴィスは職員の一人が控えめに口を挟むのを耳にした。

「大丈夫ですよ、まだルヴァ様がいらっしゃっていませんから」

「えっ、そうなのか」

ランディは驚きの声を上げ、それから思い出したように言葉を続けた。

「そういえば、マルセルが言ってたな。ルヴァ様が、ずっと図書館にこもったきり、出てこられないって。何の調べものか分からないけど、大変そうだなあ」

 闇の守護聖の脳裏に、閃くものがあった。このような大変な時期に、個人的な興味のために図書館にこもるほど、ルヴァは自己本位な人間ではない。だが、職務のための情報が必要ならば、研究院か補佐官に請求した方が早く入手できるはずだ。

 もしかしたらルヴァも、自分と同じく前回の試験を知る者として、不安と違和感を覚えているのだろうか。何か悪い事でも起きないかと危惧し、手がかりを求めて文献にあたっているのではないだろうか。



 回廊室を出たクラヴィスは、まっすぐ図書館に向かおうとして、思いとどまった。こもったきり出て来ないのは、まだ答えが出ていないからだ。地の守護聖が、確証もない段階で、単なる疑念を口にするとは思われない。気にならないといえば嘘になるが、今接触したところで、得られるものはないだろう。

 やむなく執務室に戻ると、闇の守護聖はタロットカードを繰り始めた。意識を集中させながら切り混ぜ、一枚ずつ卓上に伏せていく。全ての位置にカードが置かれると、彼は長い指でそれを反していった。

(……だめだ)

何かが起きかけているのは確かなようだが、問題が漠然としすぎているせいか、答えらしきものが読み取れなかった。宇宙について、最近の細かな異常について、女王交代について……繰り返し占ってみても、結果ははかばかしくない。

 ふと時計を見れば、すでに執務時間を過ぎていた。日を改め、もう少し手がかりをつかんでから、占い直すしかないのだろうか。今日の時点で自分にできる事は、他にないのだろうか。

(いや……まだある)

重い躯を椅子から引きはがすように立ち上がり、闇の守護聖は侍従に馬車の用意を命じた。

「……研究院に行く。そのように、御者に伝えよ」



 王立研究院は、いつになく人の動きが激しかった。飛空都市の分院に運ぶ準備だろうか、書類や機材を手にした大勢の職員たちが、広いホールを行きかっている。

 彼らを監督し、また口々に寄せられる質問に答えているのは、竜族の青年パスハだった。かなり責任のある立場に就いているようだが、これほどの慌しさの中で、迅速かつ冷静に事を進めている様子をみれば、それも適任だろうと思われた。

 独特の衣装に包まれたその姿が、不意にこちらを向く。

「クラヴィス様」

大またに、だが器用に人を避けて歩み寄ると、青年は礼をとった。

「何かご用でしょうか。ご覧のように混み合っております上、試験の関係で一部の機器を移動しましたので、必要な情報のある場所まで、私がご案内いたします」

「……うむ」

実務そのものが渦を成しているようなこの場所で、直感だけに基づいた憶測を口にするのも、またそれを確かめたいと申し出るのも、ひどく場違いに思われる。だが、パスハは迷惑そうな表情もせず──そもそも感情を出す方ではないようだが──ただ、用件を告げられるのを待っている。これ以上待たせては、業務に遅れが生じるに違いないが、ごまかす言葉も思いつかない。

 やむなくクラヴィスは、訝しまれるのを覚悟して答えた。

「最新の宇宙全体の概況と、それに……前回の女王交代時の、同じデータを出してほしい」

「えっ」

どのような問いにも淀みなく答えていた竜族の青年が、言葉を詰まらせた。鋭い面差しには何の動きも現れなかったが、闇の守護聖は、その眼の奥に一瞬、動揺が走るのを見逃さなかった。

 だが、パスハはすぐ平静な態度を取り戻した。

「……かしこまりました。こちらへどうぞ」

長い腕で方向を指し示すと、青年は先導するように歩き出す。

 逸れないよう後に続きながら、クラヴィスは相手の広い背を見つめた。そこにはまるで、予期していなかった、そして不本意な事にでも直面したかのような緊張が現れていた。



 間もなく求めていたデータを入手すると、クラヴィスはそれを丹念に調べた。だが、前回の女王交代時と現在との宇宙に、際立った違いは見出せない。今回が特別だというのは、思い過ごしだったのだろうか。

 しかし、ならばなぜ、パスハはあれほど動揺したのだろう。聖地や研究院に不慣れなところに、女王試験という大事の一端を任されて、落ち着きをなくしていたのだろうか。その程度の事で動揺する者には見えなかったが。

 一つの疑問が解決する前に、また新たな疑問──疑念と呼んだほうが相応しいだろうか──が湧いてくる。闇の守護聖はデータを閉じながら、我知らず長い息をついていた。




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