闇の章・4−11




11.

 数週間後、守護聖たちに再び集合がかかった。女王候補たちが聖地に到着したので、対面の場を設けるというのだ。

 クラヴィスが謁見の間に着くと、正面の玉座から包み込むようなサクリアが流れ出しているのが感じられた。いつものように紗幕に覆われているため、姿こそ見えはしなかったが、女王が来室しているのは明らかだった。そして、補佐官を挟んだ手前側には、これも通例どおりに光の守護聖が、背をまっすぐ伸ばした姿勢で立っている。

 覚悟はしていたものの、かつて傷つけた二人の揃う場に入っていくのは、かなり勇気を要する事だった。胸や頭の痛みも呼吸の苦しさも、これまでの比ではなくなっている。倒れないよう慎重に歩を進め、ようやく定位置に着いた闇の守護聖は、誰に視線を向けるも、また逸らすも叶わず、ただ懸命に意識を保っていた。



 ほどなく扉が開くと、瑞々しく、そして、どこか常人と異なる気が流れ込んできた。

(これは……)

旧い感覚が呼び起こされて、闇の守護聖は思わず顔をあげた。確かにこれは、かつての女王候補たちが放っていたものと同じだ。二人のいずれかが、遠からずこれを発現させ、より大きく強いサクリアと共に、女王の座を手にするのだ。

 静かに進み出た少女たちに、補佐官が呼びかける。一人は意志の強そうな落ち着いた声で答え、もう一人は緊張の隠せない上ずった声で、口ごもりながら、何とか言葉を押し出した。

 その落差もまた、クラヴィスに過ぎし日を思い出させた。丁寧な発音ながら、蚊の鳴くような声で答えたディアと、明瞭過ぎるほどはっきりと答えた……アンジェリーク。

 二人の違いは、聖地で過ごす日々が長くなるに従って、いっそう際立っていった。ディアがどのような期待にも着実に応えていく一方で、アンジェリークは型破りなまでに自分を貫いていった。そうして、聖地の者たちに新鮮な驚きを与え続けてきた選考の最後に、前女王は後者を選んだのだった。



 記憶の鮮明さに、闇の守護聖は今さらのように驚いていた。印象が際立って強く、それ以上に、罪の意識が忘れる事を許さなかったからだろう。

(だが──)

クラヴィスはふと、別の可能性に思い当たった。実際に、前回の女王選考から、さほど時が経っていないのではないか。もちろん、聖地外の者からすれば途方もない歳月といえるが、かつて学んだ歴代の在位期間と比べて、現女王のそれはかなり短いのではないだろうか。

 罪にばかり気を取られて、これまで注意が向かなかったが、確か殆どの女王たちの治世は、現女王の倍、あるいはそれ以上だったように思う。守護聖同様、個人差があるものだとしても、この短さは異例ではないだろうか。

(異例……)

自ら思いついた言葉に、闇の守護聖は胸騒ぎを覚えた。



 試験の説明と守護聖たちの紹介が終わると、補佐官から解散が告げられた。既に女王も退出しているらしく、玉座からはサクリアの気配が消えている。

 水の守護聖に促されて謁見の間を出たクラヴィスは、すぐ外の廊下で年少の守護聖たちが話しているのに気づいた。否応なく耳に入る大声によると、どうやら話題は女王試験についてであるらしい。通常の選考では、守護聖は意見を聞かれる程度なのだが、今回の試験では果たす役割がかなり大きくなっている。それだけに、彼らも強い関心を寄せているのだろう。

(これもまた、異例……か)

再び同じ言葉を思い浮かべ、闇の守護聖は謁見の間を振り返った。

 在位期間の短さや選考の方法だけではない。思えば現女王は、その在り方までもが異例といえるだろう。即位直後から極端なまでに人前に出るのを避け、指示や協議を全て補佐官に任せるなど、職務記録の残る歴代女王たち──実際に接してきた前女王を含め──とは、明らかに異なっている。自分の与えた傷が、そのような態度を取らせているとばかり考えていたが、他の異例さと並べてみると、ほかにも原因があるように思われてくる。

 とはいえ、宮殿の奥にこもり続けたところで、サクリアの消耗を抑えるくらいしか、得られるものはないのではないか。それが目的だったとしても、在位期間が著しく短くなってしまったのだから、温存策としては不十分だった事になる。

(あるいは……)

考える順番を、逆にすべきかもしれない。元々、莫大なサクリアを要する何事かが発生していて、それに対処するために、宮殿にこもっていたのだとしたら。そうしてもなお、退位を早めるほどに消耗が激しかったのだとしたら。

 クラヴィスは、戦慄した。そこまで女王が力を費やさなければならない要因があるとするなら、宇宙の危機しか考えられない。それも、歴代に類を見ないほどの。

 前回の女王交代時とは何かが違うと、ずっと思っていたが、これが原因だったのだろうか。だとしたら女王は、遅くとも即位直後にはこの危機を知り、対処に備えるべくサクリアを温存し始めた事になる。そうして宇宙を守り続けたために、早くに力を奪われ、退位しなければならなくなったのか。

 ならば、前例のない女王試験を執り行う事にも、説明がつく。危機を乗り切る力を持つ、特別な後継者を見出すためには、それにに相応しく特別な方法が必要なのだろうから。



 考えに突き動かされるように、闇の守護聖は執務室に戻り、タロットを繰り始めた。以前、漠然とした不安のまま占った時には見えなかったものが、カードの表面にはっきりと現れていく。

“世界……衰退……寿命……崩壊……”

そして、“終末”。

(宇宙の……終末)

示された事態の途方もない大きさに、クラヴィスは愕然とした。

 宇宙の始まりや成長については教えられてきたが、終末について特に学ぶ機会はなかった。まだ向学心のあった頃、わざわざ図書館で調べた事もあったが、僅か数冊の書物に、末期には女王のサクリアが著しく消耗する事、それによって宇宙が均衡を失う事、延命にも限りがあり、再生は不可能である事などが、ごく簡単に記されていただけだった。

 不安にかられた自分は次に、過去の女王がいかにしてその危機を乗り切ったのか、あるいは宇宙の終末というものが、実際にはまだ一度も起きた事がないのかを調べた。だが答えは見つからず、また人に尋ねるのも気が退けたので、きっと関わる事もない遠い先の話だろうと、無理に心を落ち着かせたのを覚えている。

 それがまさか、間近に迫っていようとは。自らの終末ならばいつでも迎え入れようが、宇宙の崩壊など、どうして受け入れられるだろうか。ここには、まだ存在し続けなければならないものが、断じて消滅させてはならないものがあるというのに。



「クラヴィス様」

静かな声に顔を上げると、前方に青銀の髪の青年が立っていた。

 相手はなおも話し続けているようだったが、闇の守護聖は幻でも見ているかのような心持ちで、近づいてくる相手を眺めるだけだった。この美しい心、この大切な存在が消滅するというのか。宇宙と共に虚無の空間に吸い込まれてしまう、いや、無そのものと化してしまうというのか。

「……ならぬ」

口をついて出た言葉に驚いたのか、水の守護聖はかすかに身体を強張らせた。その姿の優しさ、声の柔らかさ。手を伸べれば温かい生命が、素直な青銀の髪を通して伝わってくる。こうして触れている事が、二度とはない奇跡のように思われてくる。このような者が、失われてよいはずがない。失われてはならない。

「ならぬ、決して許さぬ……そのような事」

いかなる手段を取ってでも、止めなければ。たとえ、罪人には許されぬ行動に出る事になろうとも。それによって、どれほど罰が重くなろうとも。



 激しい想いにかられながら青年を凝視するうち、クラヴィスの胸を、ふと星が流れるように、もう一つの宇宙の存在が過ぎった。

(新……宇宙……)

闇の守護聖は、心が僅かに凪ぐのを感じた。

 この危急の時にあって、女王が無意味な事をするとは思われない。試験の場に新宇宙を選んだのは、終末を乗り越える助けになるものが、そこにあるからではないだろうか。試験を通じて、この宇宙を救うために、何らかの手立てを打つつもりなのではないだろうか。



 望みともいえない僅かな可能性だったが、いくらか平常心を取り戻したクラヴィスは、ふと自分が水の守護聖の髪に触れているのに気づいた。唐突な振る舞いに不快な表情も見せず、抗いもせず、ただ心配そうに見つめてくる相手の優しさに、罰とは違う苦しさを胸に覚える。

(リュミエール……)

この手で救えるものなら、何をしてでもお前を救いたい。だがもしも、女王の力でしかできない事ならば、救う方法を──それも無理ならばせめて、方法があるかどうかだけでも──確かめたい。

 先日データを調べた時はわからなかったが、終末を意識して再度見直せば、あるいは何かがつかめるかもしれない。それともいっそ、パスハやディアに直接聞いてみてもいい。理由があって伏せているのだろうから、すぐさま教えてもらえるとまでは思わないが、手がかりくらいは得られるかもしれない。



 そこまで考えると、闇の守護聖はリュミエールから手を離し、竪琴の演奏を所望した。

 美しい調べが聖地の水のように、滅びかけているものたちを──救わなければならない宇宙と、そして、いま少しだけ保たなければならない自らの心を──癒してくれるよう願いながら。




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