闇の章・4−9




9.

 ディアが発表したのは、女王交代だけではなかった。聖地での直接審査の代わりに、試験を行って次期女王を決定すると告げたのだ。

(前代未聞の方法だが……やなり今回の交代には、何か特別な事情が隠されているのか)

考え込んでいたクラヴィスの前方に、不意にスクリーンが現れた。気づかない間に話が進み、補佐官が女王候補を紹介し始めたようだ。

 その一人の姿と名前が、心に突き刺った。女学院の制服に身を包んだ、金の髪の女王候補、アンジェリーク。暗合や偶然と呼ばれるものの容赦のなさに、闇の守護聖は思わず面を伏せた。

 これもまた、罰なのだろうか。ならば──もっと続くがいい。過去だけでなく現実までも罪の記憶に重なって、この心を幾条にでも裂くがいい。

 自棄的に考えていたクラヴィスは、ふと、背に添えられた手が震えるのを感じた。傍らを振り向けば、先刻から身を支えてくれている青銀の髪の青年が、まっすぐスクリーンを見つめている。えも言われぬ柔らかなその表情に見とれながら、しかしクラヴィスは、心に奇妙な空虚さが生じているのに気づいた。常に助けとなってきてくれた水の守護聖が、どこか知らない時空に思いを馳せていた、それだけの事が、どうにも認めがたく不快なのだ。

 この期に及んで人の思いに好悪を覚えるとは、どこまで身の程を弁えないのかと、自らに呆れながら、闇の守護聖は青年の面から視線をはずした。



 間もなく集いは終わり、補佐官は退出していったが、守護聖たちはすぐ執務に戻る気になれないらしく、その場で女王交代について語り合っていた。

 動く力が戻るのを待ちながら、聞くともなしにその会話を聞いていた闇の守護聖の耳に、突然、ジュリアスの言葉が飛び込んできた。

「そのような事、あろうはずがない。そもそも神聖なる女王選考に不祥事などと、考える事自体が不謹慎ではないか!」



 光り輝く髪の下から、激しい眼差しが、時を越えて追いかけてくる。

 険しい眼をした金の髪の少年が、瞳を震わせた金の髪の少女が、罪の重さとなって心を圧してくる。



 彼らに対する残酷な仕打ちと、それを忘れた振りをして、罪から逃げ続けていた卑劣さ。いかなる罵倒も処罰も追いつかぬほどの所業。そのような者が、どうして今ここに、こうしていられるのだ。安泰な身分で、ぬくぬくと生き延びていられるのだ──

 押し寄せる罪悪感に崩れ落ちそうな躯を、クラヴィスは傍らの青年の力でようやく支えていた。



 落ち着きを取り戻した時にはもう、室内に他の守護聖たちの姿はなかった。

 闇の守護聖は、ゆっくりと息をついた。背から腕から伝わってくる、温かく力強い感触。眼を向けずとも感じられる、どこまでも優しい水のサクリア。

(……頼るしかないか。しばしの間でも)

人として感情を向けるのは許されないとしても、しばらくはこの癒しによって心身を保っていくしかないだろう。勝手に設けた猶予のために罪は更に重くもなろうが、この任に就いた者として、限りなく大きなものを支える一人として、今、自分を失うわけにはいかないのだ。

 やがて女王交代が終わり、再び宇宙が安定したならば、水の守護聖にも接近を禁じ、今度こそ心を二重の呵責に委ねよう。ここまで弱っている以上、恐らく崩壊は免れまいが、少なくとも守護聖である間は、心身が完全に潰える事はない──そのようにできている──はずだ。

 たとえ自我を失おうと、単なるサクリア発生装置と化して残る任期を過ごせばいい。その後の事など、考える必要もない。消え去ろうがどうなろうが、誰も困る者はいないのだから。



 途方もなく長く感じられる廊下を歩きとおし、何とか執務室までたどり着いた闇の守護聖は、ここまでを支えてくれた青年を振り返った。

「リュミエール……竪琴を、聞かせてくれ」

 水の守護聖の端正な面に、驚きと喜びの表情がひろがっていく。それを好ましいと思う気持ちを、今ならば否まなくともよいのだ。今だけは、苦しみや痛みを隠しもせず、素直に癒しを求めればいい。いずれ、二重の呵責に蹂躙を許した後は、感情も感覚も失われるだろうから。この青年の表情も音も、力強いぬくもりさえ、認識できなくなるだろうから。

 清らかにして慈しみに満ちた調べが、闇の部屋を流れ始めた。音に込められた奏者の資質が、温かく包むように伝わってくる。この身がどれほど醜い考えを抱き、どれほど酷い振る舞いをしてきたかも知らずに、ただ労わりの思いで周りを満たしている。

 今度こそ戻って来られないであろう転落の前のひと時を、この美しい音色と共に過ごせるのは、身に過ぎた僥倖というものだ。一心に竪琴を奏でる青年を見つめながら、クラヴィスは心中で呟かずにいられなかった。

 お前がいてくれて良かった、と。




闇の章4−10へ


ナイトライト・サロンへ


闇の章4−8へ