闇の章・4−8




8.

 眩しすぎる朝日に耐えながら闇の執務室に着くと、急ぎの知らせが届いていた。執務開始時間になったら星の間に集合するようにとの、補佐官からの指示である。女王交代の正式宣言だろうと察したクラヴィスは、心の底に重い感触が蘇るのを感じた。

 躯を椅子から引き剥がすように立ち上がり、扉に向かう。この場に留まっていれば、また意識が呵責に支配されてしまうだろう。気は進まないが、今すぐ部屋を出て、他事に意識を逸らさなければならない。虚しい時間稼ぎではあるが、宇宙が安定を取り戻すまでは、何としても自分を保たなければならないのだ。

(宇宙……安定……?)

自ら心中で発した言葉が、クラヴィスは妙に気になった。

 意識を深淵に落とさぬよう、慎重に記憶を手繰りよせてみる。

 女王の交代時期に宇宙が不安定になるのは、当然といえよう。前回の交代時にも、宇宙の至る所で小異変が報告されていたのを覚えている。確か、それらが大災害につながらないよう、研究院による調査と派遣軍による防災措置が取られていたはずだ。今回、リュミエールの助けを得て調べてきた数々の異変も、同じものと考えるのが妥当だろう。

 それなのに、違和感がある。前回とは、どこか違うような気がしてならないのだ。異変の規模といい頻度といい、今のところ大きな差はないようだが──



 考えながら歩を進めていた闇の守護聖は、突然、壁にでも突き当たったかのように立ち止まった。星の間の、開け放たれた扉の奥に、ディアとオスカー、そしてジュリアスの姿が見える。



 薄暗い部屋の中で、僅かな光を受けたその髪だけが輝いている……



「クラヴィス、早かったのですね」

補佐官の声に我に返った闇の守護聖は、僅かに頷くと、誰とも眼を合わさないようにしながら星の間に入っていった。

 ジュリアスがいつものように、鋭く険しい視線を向けてくるのが感じられる。その表情の奥にいかなる記憶が刻まれているかを思い、クラヴィスは身震いした。傷つけただけではなく、あまりにも長い間、それに気づかない振りをしてきた卑劣さ。単なる不機嫌と思い込もうとし、なおも漠然と感じられる不安さえサクリアの性質のせいにして、ひたすら逃げ続けてきた愚かさ。

(だが、それも……終わりだ)

安堵とも絶望ともつかない息が、闇の守護聖の唇からもれていく。

 遅すぎはしたが、こうして思い出した以上は、いずれ報いを受ける時がくるのだろう。できる限りの贖罪を遂げてもなお余りある罪に、のたうちながら心を壊していくのだろう。サクリアがなければ、自分など価値のない人間だと思っていたのが、思い上がりだったのだ。本当は、無よりもはるかに下にある、負の存在なのだから。たまたま守護聖という地位にあるために、人の世では栄華ともいえる生活を送ってはいるが、その本体は、幾重にも打ちすえられてしかるべき罪人──



 消えかけていた記憶が、聖地に来るよりずっと前の光景が、おぼろげに蘇ってきた。

 誰かに手を引かれながら、疲れた足を引きずって歩いている。どんよりとした空と不潔な泥の間、粗末な木の札の下に、ぼろの塊のようなものがうずくまっている。時おり低いうめき声を出していたので、汚れた縄で縛られたそれが生きている事だけは分かったが、通りかかる者の誰一人として近づこうとはしない。クラヴィスは自分の手を引く者に、それが何なのか尋ねようとしたが、相手は拒むように顔をそらすと、歩みを速めてその場を通り過ぎてしまった。

 当時は分からなかったが、恐らくは土地の掟を破った科人が打ちすえられ、その罪状を書いた札と共に、人前に晒されていたのだろう。

(あれこそが、私の本来の姿なのだ……)

苦々しく自らに告げながら、クラヴィスは記憶の中の光景を見つめ続けた。誰とも思い出せない流浪の群れ、果ての見えない彷徨。この手を引いていた者の顔さえも……

 途端、冷たい手で心臓を鷲づかみにされたかのような苦しさが襲った。圧迫感に息がつまり、全身から熱が失われていく。躯が傾いていくのがわかるが、支える力が入らない。

 倒れると思った瞬間、全身が何かに包まれた。

「……どうぞ、私にお捕まりください」

力強く背を支えてくる腕がある。

「クラヴィス様のご気分が、優れないようです。お休みいただくか、せめて侍従を呼んで、ここに椅子を運ばせてはいけませんか」

耳もとで聞こえる声が、せせらぎのように心を癒してくれる。

(水……聖地の水……)

闇の守護聖は、傍らに誰がいるのかを悟った。

 リュミエール。何よりも、誰よりも心身に働きかけてくる、この上なく嬉しく尊い、だが許されざる癒し。

「……いらぬ」

ディアとリュミエールの呼びかけにも答えず、クラヴィスは搾り出すように言葉を続けた。

「無用だ……それより、早く話を始めるがいい」

できるならば、水の守護聖の腕も振りほどかなければならないところだったが、思うように躯が動かない。ならばせめて、己の被害者であり証人でもある者の一人に、意識を向けておこう。光に身を晒し、あの科人の木札のようにくっきりと、心に罪状を記しておこう。

 ジュリアスの存在を、正面に痛いほど感じながら、クラヴィスは開会の言葉を聞いた。

「全員揃ったようですね。では……今日の集いを始めます」




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