闇の章・4−7


7.

 静寂の中で、クラヴィスは眼を開いた。見慣れた寝室の調度が、周囲の闇に薄く浮かび上がっている。私邸に戻った記憶はないが、誰かに運ばれて来たのだろうか。躯中が痛み、背一面に寒気を覚えるのは、高熱か悪夢にでもうなされていたのだろうか……

 そこまで考えたところで、意識が完全に覚めた。高熱も悪夢も及ばぬ現実を、思い出したのだ。



 何と卑怯に、無責任に、永い時を過ごしてきてしまったのだろう。現女王だけではなく、前代の女王と補佐官、それに光の守護聖をも傷つけ、しかも──たとえ故意でなかったとしても──その記憶を、ずっと見失っていたとは。

 思い出す機会が、全くなかった訳ではない。苦しみの最中に幾度か、何かを忘れてきたような感覚に囚われた事があったのだから。だがそれも、探ろうとする度に激しい痛みに襲われて、結局は突き止められないままだった。

 そうして、無意識の自衛さえ乗り越えられないまま、加害者である自分は、のうのうと罪を忘れ続けていたのだ。その間に、被害者たちのうち二人はこの地を離れ、一人とは対面する機会がほぼ失われてしまったというのに。

 残った一人は、いったいどのような心持ちで自分を見ていたのだろうか。

(そう……か……)

もはや衝撃を感じる力もなく、クラヴィスはただ悟った。

 光の守護聖への、苦手というには強すぎる拒絶反応。サクリアや相性のためだけではなく、自らの罪にも原因があったに違いない。裏切りの記憶は封じても、罪悪感だけが潜在意識に残り、理由の分からない苦痛として表れていたのだ。それなのに、自分は愚かにも、まるで逆恨みでもするかのように、被害者意識を抱き続けてきた。

 ここまで身勝手に生きてきた者に、謝る資格が、償う術があるだろうか。何をしたところで、また誰かを傷つけてしまうのではないか。他を害するより他に、自分には何もできないのではないか。

 取り返しのつかない罪。戻しようもない時間。不幸をもたらし人を傷つけるしかできない、存在自体が呪われた者、禍々しき毒。

(そうか、私こそが……災いだったのか……)

悲しみと後悔が、自らへの憤りが豪雨のように襲いかかり、呵責となって心の芯まで刻みつくしていく。自分が苦しんでいるのか、この苦しみが自分なのか、クラヴィスにはもうわからなかった。



 不意に、何者かが側にいるのを感じた。

(誰……だ……)

長い時間をかけて視線を定めると、傍らの小卓から一条の光が、こちらに向かって射しているのがわかった。

(あれは……)

水晶球が、自ら輝きを放っている。淡く弱々しいが、揺らぐ事なくまっすぐに。

 呆然と見つめていると、その中に、知っている光景が映し出された。



 部屋の中で……その髪……が……輝いている……



「──止めろ!」

自分のものとも思われない力で、クラヴィスは水晶球を払いのけた。透明な結晶が絨毯に落ち、僅かに転がって止まる。肩を震わせながら、闇の守護聖は双眸を閉じた。永らく手元に置いてきた、唯一自分の物と言えるこの球までもが、罪を暴き立てるというのか。

 その時、扉の外から低い声が聞こえてきた。

「……ヴィス様、クラヴィス様、ご起床の時間でございます」

それを煩わしいと感じた時、闇の守護聖は自分が混沌を脱しているのに気づいた。

 ゆっくり頭を巡らせ、床に落ちた水晶球を見つめる。自分を救ったのか、苦しめようとしていたのか、そもそも意思を持つものなのか。所有し続けてきた身にさえ、これについては見当がつかない事が多い。ただ一つ確かなのは、結果的に混沌から引き出してくれたという事だけだ。

 クラヴィスは、大きく息をついた。

 今は、それでいい。混沌をなすほどの罪に、いずれ向き合わなければならないとしても、今はその時ではない。女王交代を迎えた宇宙は、平常時以上に“闇の守護聖”を必要としているのだから。たとえそれが、どのような者であろうと、どのような状態であろうと。

 余計な事を考えず、とにかく職務のできる状態を保たなければならない。心身を、道具のように動かしていくのだ。



 呟くように入室の許しを与えると、家令が扉を開け、一礼して入ってきた。身支度の世話をしようとするのを待たせて、クラヴィスは重い躯を起こし、床に落ちた水晶球を拾い上げた。

 瑕一つない透明な球体には、しかしもう、何も映し出されてはいなかった。





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