闇の章・4−13




13.



 それから一週間ほど後、今度は金の髪の女王候補がクラヴィスの執務室を尋ねてきた。

「エリューシオンに、闇の力を少し送ってください」

「少し……か」

蚊の鳴くような小声の依頼に、闇の守護聖は何の感情も抱かず応じた。

 だが、こちらが気分を害したとでも思ったか、少女は小さく息を呑んだかと思うと、突然、聞かれてもいない事をしゃべりだした。

「エ、エリューシオンのみんながちょっと疲れてしまったって、神官から聞いたんです。転移装置から見ても、本当にみんな頑張っていて、開拓だけじゃなくて、農具を改良したり薬を作ったり、とても忙しそうで、だから、だから……」

何の言い訳をしているのかと、訝しげに見返した闇の守護聖は、少女の表情が一変しているのに気づいた。先ほどまでの自信なさげな様子が嘘のように、両の瞳が情熱的に輝き、頬も紅潮している。大陸の状況や神官の言葉によほど純粋に感応し、何とかして助けたいと思っているのだろう。

 もう一人の女王候補と比べれば未熟さは否めないが、初期段階でここまで育成対象に思い入れを持てるのは、やはり資質の現れかもしれない。



(女王の資質……か)

少女の去った執務室で、クラヴィスは思い出さずにはいられなかった。

 かつて、自己本位な目的のために利用した、金の髪の女王候補。ディアより一際強く感じられたその資質ゆえに、自分は接近した。最初の罪も償わないうちに、また人を傷つけた。

 暖炉の残り火を受けた面が、ヴェールの下の蒼白な面が、取り返しのつかない歳月と共に蘇る。自分だけが苦しんでいるつもりで過ごしてきた時間が、少なくとも二人の人間を傷つけ続け、この罪を更に償いがたくしてしまった。謝罪さえしないまま放置しておいて、今さら何ができるのだ。どうすればいいと、どう償えるというのだ。

 二重の呵責が意識を締め付け、思考を奪おうとする。濁色の痛みが轟音をなして押し寄せ、外界を締め出そうとする。危機に瀕した世界を。無数の命の息づく宇宙、あの優しい音色の属する宇宙を。

(──止せ!)

全霊を震わせて、闇の守護聖は念じた。

 今はまだ、その時ではない。大いなる危機を知ってしまった以上、全てが失われるのをただ待っているわけにはいかない。女王から命令こそ下ってはいないが、守護聖である自分にも、何かできる事があるかもしれないではないか。それを探るのは、少なくとも現況を調べるのは、かつて傷つけた二人にとっても、決して悪い事ではないはずだ。僅かでも償いになればなどと、虫のいい事を考えるつもりはないが。



 新たな考えに奮い立たされるようにクラヴィスは視線を上げ、そして、自分が混乱を遠ざけたのに気づいた。全身に汗をかいているのを感じながら、深い息をつく。失いたくない──いや、失われてはならないという気持ちが支えになって、何とかやり過ごす事ができた。いつまでこれが通用するかはわからないが、とにかく心身が自由である間に、できる事をしなければ。

 だが、実際にどうすればいいのだろう。女王は沈黙を守り、終焉についても救済についても、一切明かす気配がない。自分に調べられるとすれば、占うか、研究院で更に多くのデータを参照するか、あるいは図書館で、昔には見つけられなかった資料を探すくらいしかないだろうか。

(図書館……)

先日見かけたルヴァが旧い書物を抱えていた事を、闇の守護聖は思い出した。もしかしたら地の守護聖も、女王交代以外に何かが起きようとしているのに気づき、個人的に調査しているのかもしれない。前回の交代を知らずとも、あの知識量と経験ならばあり得る事だ。

 ならば、前回を知っている光の守護聖が気づいている可能性は、さらに高いだろう。そう、先日思い出したばかりではないか。ジュリアスが異変を感じているようだと、そしてもう一人、同じ予感を抱いた者がいると、かつて知らせてきた者がいた事を。



 その夕刻、育成を終えたクラヴィスは、研究院のロビーでパスハの姿を探したが、見当たらなかった。職員の一人に所在を問うと、先ほど尋ねてきた占い師のサラと、別室で何事か話しこんでいるという。

 闇の守護聖は取り次ぎを断り、その場で考え込んだ。竜族の女性占い師のために、飛空都市には専用の館が造られ、女王候補たちが相談に来られるようになっているという。聖地に来て日の浅い者にとっては異例ともいえる厚遇と大任だが、そこまで女王から信頼されている者ならば、当然、宇宙の終焉を感じ取る力も持っている事だろう。

 救済の手段を講じるために、女王は自らの感知以外にも、多くの情報を必要とするはずだ。竜族の二人はそれぞれ、データ分析と占いにおいて秀でた能力を持つといわれているから、特別に危機を伝えられ、女王を助ける任を受けていてもおかしくない。

 そこまで考えた時、長身の男女がロビーの奥から姿を現した。

「クラヴィス様……」

赤毛の占い師が、近づいてくる闇の守護聖に気づき、驚いたように一礼する。

 パスハも礼を取ると、礼儀正しくも平板な声で言った。

「申し訳ありません、すぐお取次ぎしなければならなかったものを」

「いや、私が断ったのだ。お前たちの用はもう終わったのか」

サラの持つ書類入れに視線を向けながら、闇の守護聖は尋ねた。

「ええ、終わりましたわ。では、私はこれで」

「待て」

クラヴィスは、立ち去ろうとする占い師に声をかけた。

「お前たち二人に訊きたい事がある」

パスハは同族の女性と一瞬眼を見交わした後、応接室を手で指しながら言った。

「では、こちらへ。中でお話した方がよろしいかと思いますので」



 相変わらず簡素な応接室に入った闇の守護聖は、勧められた椅子に掛けると、端的に切り出した。

「女王交代が告げられる前の事だが、私がここに来て、宇宙に異常が観測されていないか尋ねたのを覚えているか。あの時お前は、データには現れていないが、ジュリアスやこのサラが何かを感じているようだと言った」

「はい」

冷静に答える主任を、占い師は心配そうに見つめている。同じ竜族でも、こちらはずいぶん感情が顔に出る性質のようだ。

「しばらくして女王交代が発表されたので、私はそれが自分の感じたものの正体だと思った。だが、お前たちの出した答えはまだ聞いていない。あの後、観測に異常が現れたかどうかもだ」

パスハに話しかけながら、クラヴィスはサラの黄金色の眼に視線を走らせたが、表情に変化はなかった。重要な点については感情を抑えているのか、あるいはこの質問を予期していたのかもしれない。

 短い沈黙の後、二人は相次いで口を開いた。

「研究院としては、具体的に何かが起こる前兆だという結論には、未だ達しておりません。またあの後、大きな変化は観察されていません」

「私もまだ、どこで何がという答えは見つけていませんわ。占い続けてはいるのですけれど」

いずれの答えも、不誠実にならないぎりぎりの範囲で曖昧にされている。悪意で隠し立てをするような者たちではないのだろうから──もしそうならば、聖地が信頼するはずがない──このような言い方をするのは、上に立つ誰かの指示によるものだろう。

(女王と、補佐官……)

闇の守護聖は黙って頷くと、椅子から立ち上がった。

 こうして陰で彼女たちの意思が働き、口止めをしているという事自体が、そのまま自分の疑問への答なのだろう。やはり女王は、宇宙の終焉を知っている。その上で、サラとパスハにも協力を仰ぎ、何らかの手を打とうとしているのだ。



 王立研究院を後にしたクラヴィスは、暮れ始めた空を見上げた。飛空都市から見えるこの空は、夜をはさんでいずれ新たな朝を迎えるだろう。だが遠からぬ将来、自分たちの生まれたあの宇宙には朝の来ない夜が、いや、夜さえ存在しない、全くの虚無が訪れるのだ。

(そのような時に、女王試験……か)

闇の守護聖は一瞬、皮肉げにその面をゆがませた。

 だがそれが、他でもない女王の命で始まったのを思えば、宇宙の救済と無関係とは考えられない。この新宇宙と同じように、あの女王候補たちのいずれか、あるいは双方が、宇宙を救う鍵となるのかもしれない。

 ロザリアとアンジェリーク。すでに非凡な素養を見せている少女と、どういう偶然か現女王と同じ名を持ち、資質の兆しを見せ始めた少女。闇の守護聖は、初めてそれぞれの名と共に、二人の面差しを思い返していた。




闇の章4− 14へ


ナイトライト・サロンへ


闇の章4−12へ