闇の章・4−14




14.

 僅かな灯りのみが点された闇の執務室で、クラヴィスは双眸を閉ざし、竪琴に耳を傾けていた。

 静寂よりも心安らぐ音、孤独よりも心地よい状態。かつて想像さえし得なかったそれらに意識を浸していると、全ての悪しき事が夢であるかのように思われてくる。宇宙の終末など遠い未来でしかなかった、誰かを傷つけた事もない、幼い子どもの頃に戻った錯覚に陥りそうになる。

(子ども……)

胸の奥深くに鈍い感触を覚え、闇の守護聖は瞼を上げた。

 まるで旧い層に埋もれていた岩が、命を得て身じろいだかのような、微かだが重い感覚だった。そのような場所に、何があるというのだ。まさか幼子だった頃にまで、自分は罪を犯していたとでもいうのか。

 戸惑う視線が机上の水晶球を捉えると、漠然とした不安が胸を過ぎった。集中さえできれば、あるいは原因を突き止められるかもしれない。しかし今、二つの罪に猶予を求めるだけでも精一杯な状態で、宇宙の危機回避に役立つとも思われない私亊に力を費やしていいものだろうか。

 透明な珠を見つめながら迷っているうちに、部屋を満たしていた演奏が、余韻を残して終わった。

「クラヴィス様、そろそろ参りましょうか」

竪琴を床に置いたリュミエールが、控えめに話しかけてくる。闇の守護聖は少し考えてから、補佐官主催の茶会が間もなく始まるのを思い出した。

「……もう、そのような時間か」

億劫そうに立ち上がると、クラヴィスは物思いを断ち切り、水の守護聖と共に歩き出した。



 会場を飾る花々に、リュミエールは喜んでいるようだった。聖殿の花壇から集められたのであろうそれらは、新宇宙の生命力を誇っているかのように健やかで瑞々しかった。

(生を受け成長していく宇宙と……寿命を迎え死にゆく宇宙、か)

青銀の髪の青年の、その笑顔の美しさに、かえって事態の深刻さが思い出される。優しさを司る繊細な心に、いずれ終焉の影が落ちるのを思うと、居てもたってもいられない気持ちになる。親睦のための茶会など、開いている場合なのだろうか。全てが終わってしまうまで、どれほどの時間が残されているのだろう。そしてこの試験は、女王の計算どおりに進んでいるのだろうか。

 現在のところはロザリアの大陸の方が発展しているようだが、まだアンジェリークにも、可能性は大いに残されている。いつまでに試験結果が出れば、どちらの少女が女王になれば、宇宙の終末に対応できるのだろう──



「どうかしましたの、ジュリアス」

ディアが光の守護聖に話しかけるのが聞こえて、クラヴィスの意識は現実に引き戻された。補佐官の視線を追うと、和やかに茶菓を楽しむ一同の中、ジュリアスが気難しそうに女王候補たちを見つめていた。

 光の守護聖は徐に口を開き、女王候補たちから守護聖全員への質問の場として、この茶会を利用したらどうかと提案した。女王や補佐官の主催行事に口を挟むのは、ジュリアスとって極めて珍しい事だったが、提案は問題もなく受け入れられた。

 まずロザリアが立ち上がり、質問をした。女王にとって必要なのは何かという、非常に単刀直入な問いである。

 最初に答えた光の守護聖は、いかにも彼らしく、高い見識だと答えた。

「加えて──その折々の宇宙の状態に応じた資質もまた、求められるであろうがな」

 重々しく続けられた言葉の底に、押し殺された焦りがにじみ出ているのに気づき、クラヴィスは直感した。やはりジュリアスも、宇宙の終末が近い事に気づいているのだ。だからこそ、危機に対処できる資質を持った女王が一刻も早く現れ、即位するよう、切なる思いで願っているのだ。

 自分の感覚や占いだけではなく、パスハやサラ、それにルヴァやジュリアスまでもが次々と、終焉の到来を裏付けるような言動を見せていく。背筋が寒くなるのを覚えたクラヴィスは、動揺を抑えるべく両眼を閉じた。



 ややあって、リュミエールが困惑したように呼びかけるのが聞こえてきた。どうやら、答える順番が巡ってきたらしい。闇の守護聖は少し考えると、ロザリアに対し、あえて厳しい言い方で質問の意図を問いただした。

 純粋に向上心や積極性からの質問だろうとは思うが、万一にでも安易な考えでいられては困る。当人たちが知らぬ事とはいえ、宇宙の存亡をかけた試験を受けているのだ。この程度の詰問に答えられないようでは、到底、重い使命を全うする事などできないだろう。

 だが、ロザリアの返答は、文句のつけようもないものだった。非凡な精神力と知識に裏打ちされた意識の高さを感じさせ、大いなる資質が備わっている事が、その内容と態度から伝わってきた。

(この者が、宇宙を救う一助となるのだろうか……)

双眸を上げて一瞥をくれると、少女の青い瞳が眩しげに煌いていた。



 続いて、アンジェリークが立ち上がった。言葉がうまく出ないのか、何度も躊躇いながら、ようやく疑問を口にする。

「……どうして女王様や守護聖様は、生まれた時から決まっているんじゃなくて、普通に暮らしてきた人の中から選ばれるんでしょうか」

 その場にいた全員が、息を呑むのが感じられた。

(どうして選ばれるのか……だと)

クラヴィスは心中で、苦渋に満ちた呟きをもらした。疑問に思った事さえなかったが、言われてみれば、今の制度こそが不自然なのかもしれない。“普通の人”から選ばれた者が、その基準からかけ離れた使命や生活を強制されるのだから、程度の差こそあれ、無理が生じて当然だ。超人的な強さと高潔さを生まれ持った特別な種族でも存在すれば、女王や守護聖といった任も、難なく務められるのだろうが。

 もしそうであれば、怯え続ける科人に安らぎを司らせるような、悪趣味なまでに皮肉な状況など、生じはしないのだろうが──



 考え込んでいた闇の守護聖の耳に、ふと周囲の話が入ってきた。気づかぬうちに話の流れが変わり、今は各人が、どのように使命を受け入れていったかを語っているようだ。

 聞くともなしに聞いていると、“守護聖という立場には戸惑っていたが、サクリアの種類についてだけは納得がいった”というのが、同僚たちに共通する最初の反応だったらしい。司る力が自分に相応しくと思えるとは、どのような気持ちなのだろう。だが本来ならば、九人全員がそうあるべきなのだ。例えば優しさを、これ以上似合いな者がいるとは思われないリュミエールが司っているように。

 そう思っている間に、水の守護聖に順番が回ってきた。だが、どういうわけか青年はなかなか言葉を発せず、「私は」と言ったまま黙り込んでしまった。

(……リュミエール?)

自分と違って、およそ疚しいところなどないであろうに、なぜ躊躇っているのだろう。懸命に言葉を出そうとしているところから見ると、答えようという意志はあるようだが、何かが気後れと動揺を引き起こしているようだ。

 闇の守護聖は座したまま青年を見やり、裡なる力に意識を集中した。リュミエールのためにできる事などほとんどありはしないが、心を落ち着かせる助けくらいにならば、なれるかもしれない。

 密かに放った安らぎの力は、間もなく相手に届いたらしく、水の守護聖が動揺の収まった表情でこちらに目礼するのが見えた。

「私も……オリヴィエたちと同じように、守護聖になると告げられた時は意外でしたが、やはり聖地に来てから、少しずつ自覚が生まれきたように思います」

思い切ったように話し出した水の守護聖は、しかし続いて、意外な言葉を口にした。

「けれど違うのは、司るものが水である事が、未だに理解できないという事です。優しさの素晴らしさを知り、憧れるほどに、自分がそこから遠く隔たっているのを感じるのです」

クラヴィスは、青年をまじまじと見つめた。これほど自らのサクリアを体現している者も珍しいと、改めてそう思ったばかりなのに、まさか当人が違和感を覚えていようとは。

 他の守護聖たちも、いっせいに驚きの言葉をかけていったが、いつかそれは、リュミエールへの追及へと変わっていった。司るサクリアの種類に自信が持てないのは──守護聖としての自覚に欠けるという意味でであろうが──女王に盾突く事になるというのだ。

 そう言われるのも覚悟していたのだろう、水の守護聖に傷ついたような表情は現れなかったが、さすがにその面は蒼白になっていた。

(何という……意味のない事をしているのだ)

青年の横顔を眺めながら、クラヴィスは滅多にない憤りを覚えていた。自信どころか納得も受容もできず、また、しようともしないまま過ごしてきた者が隣に座しているというのに、なぜリュミエールがこのような目にあわなければならないのだ。非難されるべきは、他ならぬこの自分ではないか。

 異議を唱えようと顔を上げると、水の守護聖を見つめるジュリアスの面が、視界に飛び込んできた。



 薄暗い部屋の中で、僅かな光を受けたその髪だけが輝いていた。

 激しい眼差しが、時空を越えて心を苛み続けている。



『──反逆者め!』



 胸に暗黒の渦が広がり、旧い罪がたちまち蘇る。虚を突かれたクラヴィスが、足元に開いた奈落に墜ちようとした時、少女の言葉が聞こえてきた。

「私、あの……いけない事を聞いてしまったんでしょうか」

か細く震えていながら力を秘めた声に、一瞬、渦が止まる。闇の守護聖はその機を逃さず、アンジェリークに向けて言葉を放ち、意識を保った。

「案ずるな。このやり取りに、大した意味などない」

 すぐさま咎めてきたのは、光の守護聖だった。声といわず言葉といわず、その存在そのものが、雷光の輝きを放って心に突き刺さる。かつて償いようもないほど傷つけた同僚、それを思い出した以上は逆らえるはずもない相手。今にも深淵に吸い込まれそうな意識を辛うじて保ちながら、クラヴィスは自分こそが非難に値する者だと訴えると、挨拶にもならない言葉を残してその場を逃げ出した。

 

(聖地の……水……)

裂け崩れかけた心が、癒しを求めて足を動かしている。公園の噴水、湖──いや、元が同じだといっても、この飛空都市の水では、もはや癒しきれまい。

 聖地に移動し、あの岸辺に急ぐのだ。意識を失う前に、何としても。




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