闇の章・4−23




23.



 執務時間が終わっても、リュミエールは訪ねて来なかった。もうしばらく待っていたいところだが、集いの連絡を無視するわけにもいかない。

 重い足取りで集いの間に着いたクラヴィスは、水の守護聖が奥に立っているのに気づいた。端正な面を蒼白にして、今にも透き通ってしまいそうなほど心細げな様子である。まさか、この事件に関ってでもいるのだろうか。そのために、訪ねて来られなかったのだろうか。

 いつものように隣に歩み寄ると、リュミエールは一瞬明るい表情になったが、すぐ躊躇うように視線を外し、心持ち身を離した。闇の守護聖は怪訝に思い、掛ける言葉を探した。しかし、それが見つかる前に、頭の芯に痛みが走った。光の守護聖が、重々しく話し始めたのだ。

「ランディが聖地の崖から転落したのは、皆、知っているな」

ジュリアスは、少年が肋骨を折っただけですんだと告げ、その場に居合わせた水と鋼、そして緑の守護聖から事情を聞きたいと言い出した。

(やはり、か……)

闇の守護聖は、痛ましさのあまり双眸を閉じた。人一倍心優しい青年にとって、どれほど衝撃だった事だろう。できるなら、このような人前で改めて思い出させ、話させるなどしたくはない。今回の事件がただ事でないのはわかるが、そうまでする必要があるのだろうか。

 同じ考えを抱いたのか、ゼフェルが話に口を挟み、この場で話す必要性を問いただした。しかし、再発防止のためといわれると、誰にも文句がつけようがない。

 しばらく沈黙があってから、リュミエールが静かに話し始めるのが聞こえた。湖のほとりにいる時に気分が悪くなり、闇の執務室に連絡を入れた後で──昼の演奏を休んだ理由が、これだったようだ──研究院の係員やオスカーから、年少者たちが聖地に来ている事を聞いたという。彼らの様子が気になって探し始めると、まずゼフェル、次いでマルセルを見つけたが、既にランディは崖を登っている最中だった。降りるよう声をかけて間もなく転落したと話すと、リュミエールは震える声で続けた。

「呼びかけたのがこの事故の一因だとしたら、私にも責任があります」

思いがけない自己告発に、闇の守護聖は思わず声を上げかけたが、ジュリアスが判断を保留したので、ひとまずは安堵した。

 それにしても、リュミエールはなぜ年少者たちを探したのだろうか。補佐官の指示が有名無実に近くなっている今、彼らが聖地に来ていたところで、気にするほどの事ではないはずだ。

「僕たちの……後を追って?」

当事者であるマルセルもそう思ったらしく、不思議そうに呟いたが、答えたのはリュミエールとは別の声だった。

「こいつはな、近頃お前たちの様子が変だって、ずっと気にしていたのさ。なあ、オリヴィエ」

眼を開けると、炎の守護聖が同僚の姿を求めて室内を見回しているところだった。

 クラヴィスは、愕然とした。気づいていたのか、年少者たちの微妙な変化に。炎の守護聖の口ぶりからすると、さすがに宇宙の終焉にまでは思い及んでいないようだが、少なくとも年中の三人は異変を感じ、原因を探ろうとしていたようだ。そうとも知らず──知っていたからといって、終焉が近づいていると明かすわけにはいかないが──自分たち年長者だけの危惧だと思い込んで、リュミエールを悩むがままにさせていたとは、何と迂闊だった事だろう。

 多少緊張の解けた、しかし悲しげな水の守護聖の横顔を見つめながら、クラヴィスは自らを責めずにいられなかった。 



 ジュリアスは次に、緑の守護聖に話すよう促した。すると、マルセルはいきなり涙声になり、自分が治療機を捨ててしまったために手当てが遅れたと言い出した。

 一同のざわめきの中で、闇の守護聖は、研究院で見かけた少年の言動を思い出していた。確かにあの時も、機械を避けている様子は伺えたが、人命に関りかねない設備を廃棄するというのは、話が別だ。正常な判断ができなくなるほどの嫌悪を、一体いつから、何故に抱くようになったのだろうか。

 考えている間にマルセルは落ち着きを取り戻し、風の守護聖を見つけたくだりを話し始めていた。だが、ランディが転落の直前に何と言っていたか、はっきりと思い出せないようだった。助け舟を出そうとしたリュミエールも記憶が判然とせず──状況を考えれば無理もないが──結局、答を出したのは鋼の守護聖だった。

「……聞こえたんだ。“俺は、意気地なしなんかじゃない!ってな」

その声が、クラヴィスに過日の会話を思い出させた。かつては昼寝するほど寛いでいた闇の庭を、少年は耐え難い場所のように非難したのだった。

 だが回想に耽る暇もなく、集いは思いがけない方向に展開していった。ランディが無謀な崖登りをした原因は自分にあると、炎の守護聖が言い出したのだ。“意気地なし”とは彼が今朝、風の守護聖に対して使った言葉だった。しかもそれが、相手にとって、最も言われたくない言葉だという事も知っていたという。

「それでも……我慢できなかったんだ。がむしゃらに切りかかってくるばかりで、どう言っても態度を改めようとしないランディの──あいつの、弱さが」

赤い髪の青年が、苦渋に満ちた声で言う。

「弱さが……我慢できぬ、か」

クラヴィスは、低く呟いた。

 弱さと、オスカー。“意気地なし”という言葉と、ランディ。ゼフェルと闇の庭、マルセルと機械。朧気に見えてきたものがある。人だけでなく、忌避する対象だけでなく、それらの組み合わせが重要なのかもしれない。ルヴァが図書館に行かなくなった事も含め、全てをもう一度よく考えてみれば、今何が起きているのか、その手がかりがつかめるのではないだろうか。



 集いは間もなく、炎の守護聖に謹慎が言い渡されて終わった。オスカーはジュリアスの執務増加を理由に、補佐だけでもさせてほしいと言い張り、地の守護聖もそれに賛意を表したが、認められなかった。

 一同に先んじて、光の守護聖は、いつものように堂々たる歩みで退出していった。息の詰まるような圧迫感が薄らいだのを覚えながら、クラヴィスは傍らのリュミエールに眼を向けた。

 水の守護聖は、ジュリアスの後ろ姿を、憂いに満ちた眼差しで見つめていた。あのような栄光に満ちた存在を、思いやっているというのか。執務が増えたとはいえ、補佐を断るほど自信がある者を、わざわざ心配する必要などあるのだろうか。むしろ今は、リュミエール自身こそ、癒されるべきであろうに。

 せめて労わりの言葉でも掛けてやれたらと、闇の守護聖は再び眼を閉じて考え始めたが、何を言えばいいのか全く思い浮かばなかった。




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