闇の章・4−24




24.



 その夜、闇の守護聖は私邸の庭を散策しながら考えていた。

 同僚たちの異変に、何か共通点はないだろうか。もし法則のようなものが見つかれば、原因や対処法を探る手がかりになるかもしれない。



 しかし、答えは簡単に見つかりそうになかった。

 炎、風、鋼、そして緑の守護聖たちは皆、嫌悪から極端な行動に出てしまったのだろう。だが、嫌悪の対象は一人ひとり異なっている。なぜオスカーは無鉄砲と表裏一体の弱さを、ランディは“意気地なし”と呼ばれる事をあれほど拒んだのか。もっともこれらは、程度はともかく、誰しも受け入れ難いものではあるが。

 一方で、ゼフェルが以前気に入っていた庭を、マルセルが様々な機械を忌み嫌うのは、どうにも理由がつかめない。先の二人と後の二人には、別の法則が働いているのだろうか。

 他にも、ルヴァが図書館に行かなくなった件がある。永年の習慣が変わるというのは、見方によっては最も大きな変化といえよう。しかし、別に嫌悪を露にしている訳ではない点が、四人とは異なっている。果たして、他の者の異変と同じように考えていいものだろうか。



 しばらく考えるうち、クラヴィスは強い疲労と無力感を覚えた。目的を持ち、筋道を立てて物事を考えるなど、どだい自分には荷が勝ちすぎるのだ。今まで永い間、そのような事は避け続けてきたのだから。

 何かを考えようとするたびに、割り入ってくる罪悪感に押し流され、激しい痛みに襲われ続けてきた。それを繰り返す間に、いつか感じず考えず、心を虚しくしているのが常となっていたのだ。

 同僚たちの異変を目の当たりにしても、このような危急の時でなければ、恐らく気に留めなかったはずだ。だが今は、一人の守護聖の力が弱まる事さえ、命取りになりかねない事態だ。もし誰かが自分を見失い、そのために救済が失敗に終わるような事があったなら……



 全ての命が、宇宙と共に終わりを迎えるだろう。その後を考える必要もない、再生も循環もありえない、完全なる消滅を遂げるのだ。命も物も、時間も空間も、温度も意味も存在しない、大いなる真空となって。誰の力も及ばない、力などという概念さえ生じない永遠の闇。単純にして絶対なる虚無。

 それこそが、究極の平安なのかもしれない。誰も敵わない圧倒的なものに、自らを明け渡すのだから。いつか宇宙が生まれた時の、更に前に戻る。無から生じたものが無に帰る。これに勝る正当な流れがあろうか。思い煩う事も無く、失う物も傷つく事もなくなるというのに、なぜ抗う必要がある。ただ身を任せさえすれば、何もかもが終わるのだ……



 酔ったように思いを巡らせ、歩き続けていたクラヴィスの視界に、突然、見覚えのある形が飛び込んできた。一本の直線と、その両端から発する二本の優美な曲線。

(竪……琴……)

凍てつく砂の奥深くから、血のように温かく息づく想いが湧き出してくる。と同時に、切望と絶望、それに自責の苦痛もまた、蘇ってきた。

 息の詰まりそうな痛みを覚え、闇の守護聖は我に返った。危うく、終焉に見入られるところだったようだ。完全なる安らぎに支配されたなら、リュミエールの存在も消えてしまうというのに。

 そのような事を、望みはしない。許しもしない。この命が千条に裂かれようと、お前は無事でいなければならない。お前の愛する世界、愛する者たちと共に、損なわれる事なく永らえなければならない。

 クラヴィスは大きく息をつき、目の前の“竪琴”に歩み寄った。落ち着いてみれば枝の重なりの、月光を受けた部分が、たまたま似た形を取っているに過ぎなかった。といっても、大まかな輪郭程度の類似である。それを錯覚したのは、よほどこの形が深く心に刻み込まれていたためだろう。

(また、お前に救われた……か)

手を伸ばして触れると、“竪琴”はあっけなく形を崩し、どこにもある木の枝に戻った。

 飛空都市に育つこの木も、庭のほかの木々と同じく、緑の祝福を受けて生まれてきたのだろう。いずれ聖地と同じように、鋼の守護聖に嫌われる事になるかもしれないが。



 ぼんやり浮かんできた考えに、闇の守護聖は自分で違和感を覚えた。

 そうではない。庭や木々自体ではなく、ゼフェルは手を入れていない状態を非難していた。自然のままの緑が、受け入れられないと言っていたのだ。一方マルセルは、人の技術の賜物ともいえる機械類を嫌っていた。まるで二人が互いに、相手の司る力を否定しているかのように。

 しかし、炎と風の守護聖たちには、この構図があてはまらない。彼らが拒んでいたのは、勇気でも強さでもなく、弱さと“意気地なし”──そう、それぞれのサクリアの欠如ともいうべきものだ。

 という事は、マルセルとゼフェルも相手と関係なく、自らのサクリアに反するものを拒んでいたのだろうか。自然の豊かさに反するものとしての機械を、人の器用さに反するものとしての自然を。

 だがまだ、地の守護聖の問題がある。対になるサクリアは夢のはずだが、ルヴァは美しさを否定するどころか、図書館という知の場所を避けているではないか。これはまた、別の異変なのだろうか、それとも考え方が間違っているのだろうか。



 闇の守護聖は、重い歩みを止めた。やはり、そう簡単に答が見つかるような事ではなさそうだ。頭も躯も、ほとんど限界に近いほど疲れてしまっている。このまま続けても、倒れて意識を失うのが関の山かもしれない。

 寝室まで戻る力を使い果たさないよう、続きは明日にした方がよさそうだ。





 翌朝、執務を始めたクラヴィスを最初に訪ねてきたのは、そのルヴァだった。

「本当に、続きになったな……」

「はい?」

地の守護聖は柔和な表情で問い返したが、何でもないというように頭を振って見せると、気にした様子もなく書類を差し出してきた。

「新宇宙に関する資料です。どうやら全体に、いい感じで成長しているようですねー」

クラヴィスは、無言で書類を受け取った。この飛空都市の下──フェリシアやエリューシオンのある惑星以外にも、新宇宙には数多の星が生まれ、育ち続けている。それらの育成もまた、補佐官指示によって守護聖たちが執り行っているのだ。

「成長といえば、女王候補の二人の成長ぶりも、素晴らしいと思いませんか。特に、あんなに頼りなかったアンジェリークが、今や国規模の民の進む道をしっかり考えて、干渉も放置もしすぎない絶妙の力加減で支えているんですからね。ここに来てから、よほど勉強したんでしょうねー」

「勉強……か」

「ええ、これはロザリアもですが、よく私のところから、参考になりそうな本を借りていくんですよ。飛空都市には図書館がありませんからね」

 図書館。その言葉を聞いて、闇の守護聖は険しい眼差しになった。

「ルヴァ……」

「何でしょうか」

こちらの表情に気づいたのか、地の守護聖は怪訝そうに応じた。

「……本が嫌いになったのか」

一瞬、相手の灰色の眼が虚ろになったのを、クラヴィスは見逃さなかった。

「まさか、そんな事あるはずないじゃありませんか。ええ、相変らず……本の虫、ですよ」

穏やかな返答にも、どこかぎこちなさが潜んでいるように聞こえる。

 闇の守護聖は、思い切って疑問をぶつけてみた。

「図書館の者から、最近お前が来ていないと聞いた。いくら忙しくとも、これまでそのような事はなかったはずだ。何があった。“段階”とは何だ」

 ターバンに包まれた頭が項垂れ、肩がゆっくり上下する。動揺しているのか、葛藤しているのか、それとも両方か。見つめているクラヴィスに知る術はなかったが、少なくとも、相手が知っている全てを口にするつもりのない事だけは見て取れた。

「……クラヴィス」

ややあって地の守護聖は、落ち着いた声で、しかし項垂れた姿勢のまま、答えた。

「最も多くを知り、全てに責任を負う方が沈黙する限り、私は多くを語れません。ただ、嫌いなものを避けたり好きなものに近づくという、人としてごく自然な事が危険となる……そんな段階に来ているのではないかと、考えているんです」

「危険……?」

闇の守護聖は、思わず聞き返した。許される範囲で、できるだけ誠実に答えようとしているのだろうが、遠回しすぎて今一つ意味がつかめない。

「ええ。ですからせめて、自分にできる限りは、回避しようとしているんですよ」

ルヴァはやつれた面を上げると、いつもの穏やかな口調で暇を告げた。

「それではクラヴィス、あなたも気をつけて」




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