闇の章・4−25




25.



 どうやらルヴァは、終焉に関して多くを突き止めただけでなく、既に彼なりの対処を始めているようだ。それなのに自分は、周囲で起きている事の意味さえ、未だにつかめていない。しかし、地の守護聖に教えを請うても無駄だろう。当人も言っていたが、女王が沈黙を守る以上、独断で終焉を口にするわけにはいかないのだ。

 八方塞がりの状況に息をついた時、扉を叩く音が聞こえてきた。控えめな響きが誰が来たのかを告げ、芳しい大気のように胸を満たす。

「……開いている」

喜びを覚えるのを恐れながら答えると、リュミエールが静かに部屋に入ってきて、いつものように補佐を申し出た。

 その微笑を見、声を聞くだけで、厚く積もった疲労が解けていくのが感じられる。終焉について思い悩む日々の中、この青年がいてくれる事が、どれほど救いになっているか知れない。もっともそれは、今のような非常時でなければ許されない救いでもあるのだが。

 闇の守護聖は、急いで手元の書類を読み始めた。これ以上見つめていると、眼を逸らせなくなってしまいそうだったからだ。



 しばらくしてクラヴィスは、横顔に視線を向けられているのを感じた。眼を動かさず、意識だけを視界の隅に遣ると、水の守護聖がこちらを見ながら立ち尽くしているのがわかった。微動だにしないところをみると、書類の内容について考えているのかもしれないが、それにしては悄然とした様子なのが気にかかる。闇の守護聖は少し迷ったが、思い切って声をかけてみた。

「どうした……ずっと、その姿勢でいるようだが」

思いやりの欠片もない言葉だと自分で幻滅していると、案の定、リュミエールは動揺して答えた。

「申し訳ありません、つい考え込んでおりました」

どうしてこうなってしまうのだ。感謝こそすれ、責めるつもりなどあるはずもないというのに。

「書類に不備でもあったのか」

「いいえ、ただ……」

青年は柔らかな声を一旦止め、少し躊躇ってから続けた。

「……クラヴィス様のお仕事が、ずいぶん多くなったと、それを驚いておりました」

 言葉につられるように、闇の守護聖は手元、机上、そして傍らの卓の書類に眼を向けた。そういえば確かに、試験開始の頃とは比べ物にならない量の書類が発行され、届けられるようになってきている。

 自分たちの宇宙に関する書類が増えているのは、少しでも多くの情報と守護聖たちの助言を得て、破滅を遅らせようとしているからだろう。一方で、新宇宙関連の書類も、それに劣らぬほどの量になってきている。フェリシアとエリューシオン以外には、まだ原始的な生命しか誕生していないのに、女王はかなり慎重に育成を進めているようだ。

 やはりこれも、救済のためなのだろう。以前考えたように、女王が新宇宙から力を得ようとしているのなら、それに適した成長を遂げるよう調整しながら育成を進めているのも、納得がいくというものだ。

「やむを得まい」

呟いてから、闇の守護聖はリュミエールが表情を変えたのに気づいた。終焉について何一つ知らないのだから、仕事の増えた理由がわからなくても致し方ないが、それだけでここまで悲しい眼になるのだろうか。強い感情を抑えているような、思いつめた翳りさえ差している。一体、何にここまで心を痛めてしまったのだ。何が、お前を傷つけているのだ。

『“クラヴィス様の”お仕事が、ずいぶん多くなったと、それを驚いておりました』

聞いたばかりの言葉が蘇り、稲妻のように胸を打つ。

(まさか……)

この自分の身を案じてくれていたのか。そのために、こうも深い憂いを覚えてくれているのか。いや、ありえない。あり得るはずもない。

 否定しようとした時、水の守護聖は小卓の方に向き直ってしまった。勘違いだったと断じる事もできないまま、あれほどの悲しみを抱いたまま。

「リュミエール」

焦りを感じながら立ち上がり、呼びかけると、水の守護聖は驚いたように見返してきた。

 感じやすく傷つきやすく、だがその底に、誰より強いものを湛えた、青い眼差し。まっすぐで諦めを知らないのに、他人のためには幾らでも尽くしてしまい、しかしそれを心の底から喜びに思える、リュミエール。

 他の全てが、クラヴィスの意識から消えた。分かるのはただ、リュミエールがここにいるという事だけだった。

 知らず伸ばした指先が、凛と張った肩の手応えを、裡を流れる血の温もりを伝えてくる。これが、この途方もない幸福が、お前がいるという事なのか。もっと強く、もっと長く感じたい。悲しみも優しさも全て我が手に収め、この身の熱を尽くしてでも守り、そのまま封じ込めてしまいたい。

 手にもっと力を籠めようとした時、部屋に無骨な打撃音が響いた。

 闇の守護聖は、半ば意識を引き戻されて、狼狽した。自分がリュミエールに近づき、しかも肩を掴んでいるのに気づいたのだ。いったい何をしていたのか、しようとしていたのか。心身の裡に沸き立っている、この荒々しい波は何なのか。

 その間にも、扉からは音が鳴り続けている。少なくとも、それが来訪者を知らせている事だけは明らかだった。答えを出す前に、対応だけはしなければならないだろう。

 大きく息をつくと、クラヴィスは手を下ろし、声を掛けた。

「……開いている」




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