闇の章・4−27




27.

 王立研究院に着くと、クラヴィスは風の力の、聖地と新宇宙の両方における放出記録を調べた。交代時期が迫るなどしてサクリアの弱った守護聖には、よく追加放出の指示が出る事がある。指示通りに力を送ったつもりでも実際には足りておらず、思わしい育成効果が出ないためだ。もし最近、風の力の追加指示が多くなっていたとしたら、ランディの力が弱まっている事の裏づけになるだろう。

 しかし予想に反して、追加指示は増えていなかった。それどころか、育成予定を超える効果があったという記録が、最近とみに増えてきていたのだ。特に聖地では、ここ数週間もの間、毎回過大な効果があがっていた。これは、通常起こりうる誤差とはかけ離れたものだ。

 試しに緑と鋼、炎、そして地の守護聖についても調べてみると、ランディほど極端ではないものの、やはり同じ現象が起きていた。五人ともサクリアが、特に聖地にいる時に、増大でもしているかのようだ。

(聖地……か)

彼の地に、何か要因があるのだろうか。このところあまり戻っていないが、すぐにでも足を運び、自分で調べてみるべきだろうか。

 だが今は、補佐官の指示のために、以前のように自由な行き来や滞在はできなくなっている。まさか、このように調べられるのを見越して、報告を義務付けたわけではないだろうが。

 闇の守護聖は頭を振り、閲覧していたデータを閉じた。とりあえず今日は情報を見直して、聖地にいくべきかどうかも含め、落ち着いて考えてみる事にしよう。それに今頃は、リュミエールが聖地に赴いて、ランディと面会しているはずだ。明日、部屋に来た時にでも尋ねれば、彼の地の様子もいくらかわかるだろう。

 しなやかで引き締まった肩の感触を思い出しかけて、クラヴィスは振り切るように、データ閲覧室を出た。



 記録を調べるのに、思ったより時間がかかっていたらしい。研究院のロビーに出ると、既に日が落ちているのがわかった。往来する者も少なくなった空間を横切ろうとして、闇の守護聖は近くにパスハが立っているのに気づいた。こちらに横顔を見せ、何かを握った片手を胸に当てながら、壁に掛かったモニターを見つめている。

 足音に気づいたのか、竜族の青年は手にしていた物を胸元にしまってから振り向いた。一瞬、赤い紐のようなものが見えたが、大切そうな様子からして、護符か何かだろうか。

「クラヴィス様。このような時間まで、お疲れ様でした」

「いや……」

視線を逸らせ、闇の守護聖はモニターを見た。新宇宙の観測映像にしては、中央の惑星が、妙に成熟しているように思われる。

「主星の研究院から運んできた映像データです。私の故郷、龍の惑星の」

 驚いて相手を見つめたクラヴィスに、青年は言葉を続けた。

「サラが今、帰郷しているのです。緊急の政治的な用向きができたので、陛下から特別許可をいただきました」

声は平静そのものだが、隠し切れない深い憂慮が、その眼差しに現れている。

(このような時に……帰郷?)

よほどの事がなければ、試験中に許可などおりないはずだ。もしかしたら龍の惑星には、既に危機が迫っているのだろうか。女王から離れた辺境ほど、終焉による衰えは早く進むだろうから。それを救うべく、占師の女性は一人、捨てたはずの故郷に戻ったのかもしれない。恋人に贈った護符に、祈りと想いを託して。

「申し訳ありません、私事でお耳を煩わせてしまいました」

パスハは一礼すると、モニターを新宇宙に切り替え、ロビーの奥に去っていった。

 ここにもまた、誰より大切な相手を想いながら、その者のためにもと、破滅に挑む者がいた。守るべきものを持つがゆえに、より不安になり強くもなるのは、どうやら自分だけではなかったようだ。

 大きく息をついてから、クラヴィスは先刻よりいくらか力強い足取りで、出口へと向かった。今夜は疲労や痛みに負ける事なく、夜を徹して考え続けられるかもしれない。この事態が何なのか、どう立ち向かえばいいのかを。



 飛空都市の夜空を、新宇宙の月が照らしている。私邸の庭を巡りながら、闇の守護聖は同僚たちに起きてきた変化と、今日得た情報を思い返していた。

 風、緑、鋼、炎の守護聖たちは皆、それぞれのサクリアへの、短絡的で激しい執着を見せるようになった。また、ここ数週間の放出では、予定をはるかに越えた効果が出てしまっている。いずれも、サクリアの急な増大がもたらした可能性がある。無自覚のうちに強まった力を、うまく制御できていないために、このような弊害が起きたのかもしれない。

 ただ放出に関しては、聖地と新宇宙でなぜ違いが出るのかがわからない。それに、どうしてこのような時期に、幾人ものサクリアの増大が起きるのかもだ。

 更に不可解なのは、地の守護聖の問題だ。放出に関しては他の四人と同じなのに、サクリアに執着するどころか、知の宝庫とも言うべき図書館を避け続けている。どうして一人だけ、正反対の言動をとるのか。他の者たちとの違いは、どこにあるのだろうか。就任してからの歳月、年齢、経験……

 経験。この中でただ一人、前回の女王試験に参加したという、経験──



 見えない髪がさらりと流れ、輝きの残像と共に胸に痛みが走る。罪もない女王候補の心に刻んだ深い傷。それをもって隠そうとした、やはり罪もない同僚の少年への、残酷な裏切り。渦を為す星雲のように、小さな輝きがクラヴィスを取り囲み、巻き込み、裂いていく。

(だめだ、まだ……!)

息の詰まるほどの痛みが、頭から全身に広がっていく。怯えながら耐え続けるよりも、全てを闇に委ねて倒れる方が、まだ楽なのかもしれない。

 それでも今は、猶予をもぎ取らなければならない。終焉を、来るがままにさせるわけにはいかない。深淵にはしばし待ってもらい、意識を保ち続けるのだ。焦らずとも、いずれそちらには落ちていくのだから。



 長い時間をかけて、クラヴィスはようやく意識を自分の元に戻す事ができた。もたれていた木から身を離し、夜風に流されるように歩き始める。

 考えるのだ、まだ夜は終わっていない。

 そう、地の守護聖について、考えていたはずだ。あの者の何が、一人だけ違っているのかを。これまでの言葉や行動から、思い当たる事はないだろうか。自分などよりよほど早く異変に気づき、その正体も起き得る事も見越していたほどの者だ。手がかりになるような事を、少しでも言っていなかっただろうか──

(そう……か!)

闇の守護聖は、思わず足を止めた。

 異変に気づいていた事、これこそが、他の四人と違っていた点ではないか。地の守護聖ならば、宇宙の終焉が何らかの作用をして、サクリアを増大させる事は予測できていただろう。それによって、自分がどのような影響を受けるかも。

 だから、前もって手を打っておいたのだ。知に執着し、知に関するものには依存すらしかねない危険を見越して、本や図書館に近づかないようにしていたのだ。その甲斐あって、他の四人のような極端な行動に出るのは避けられたのだろう。さすがに、放出の制御までは難しかったようだが。

 地の守護聖の周到さに感心しながら、クラヴィスは新たな疑念がわいてくるのを覚えた。では、他の守護聖たちは大丈夫なのか。無自覚のうちに、強まったサクリアに翻弄されてはいないだろうか。自分は、そして──

(リュミエール……)

よりによって今、聖地に行っている、水の守護聖。

 朝になれば執務室を尋ねてくるだろうが、それまで無事で居るだろうか。もし聖地の作用を受け、水のサクリアが増大してでもいたら──内省的なあの者の事だ、優しさが悲観や自責となって、無用の苦しみを覚えなどしていないだろうか。

 早く夜が明けてほしいと、これほど一心に願った事はなかった。




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