闇の章・4−3


3.

 痛みに耐え続けるにはあまりに長く、次に来るものを思えばあまりに短い時間が過ぎていく。

 誰も通さないように侍従に命じ、何とか午前中の執務をすませせると、クラヴィスは集合時間を待たずして集いに向かった。

 今や自室にいてさえ、かりそめの安らぎを得るのが難しくなってしまった。あそこには、あの──青年の姿が、なじみすぎている。締め出したところで、その欠落が却って存在の大きさを感じさせてしまうほどに。

 ならば、むしろ先に星の間に移った方がいい。少なくとも他の者が来るまでは、静けさの中に身を置けるはずだから。





 だがその期待は、部屋を出て間もなく裏切られた。中央の階段を通り過ぎようとした時、後ろから呼びかけてくる声が聞こえたのだ。

「おや、クラヴィスじゃありませんか」

心の底からの溜息を吐きながら振り返ると、地の守護聖が廊下を歩いてくるところだった。

「珍しいですねー、あなたがこんなに早く出てくるのは」

「……ああ」 

ルヴァが足を速めて追いついてきたので、クラヴィスは挨拶とも肯定ともつかない声で応じた。

 そのまま肩を並べて進みながら、地の守護聖はいつものゆったりした口調で話し続けた。

「と言っても、私もよく遅刻ぎりぎりになってしまうので、人の事をどうこう言えたものではないんですがね。ええ、自分でもいけないとは思うんですが、うっかりお昼休みに本でも手に取ろうものなら、すぐに時間を忘れて読みふけってしまうもので……ああ、今日はたまたま、何と言いましょうか、落ち着かない気分だったもので、早く部屋をでてきたんですが」

 そこまで言うと、ルヴァは突然慌てたように付け加えた。

「いえ、大した事じゃないんですが、ちょっと気になる事があって、あれこれ考え込んでしまいそうでしてね」

その柔和な面に、珍しく焦りの色が浮かんでいるのにクラヴィスは気づいたが、何を取り繕っているのかは見当もつかなかった。





 程なく目的の部屋に着いたルヴァとクラヴィスは、いくらか気まずい沈黙の中で、同僚の到着と集いの開始を待った。

 やがて女王補佐官が、次いで光の守護聖が姿を現した。ジュリアスは先客を見て何か言いかけたようだったが、炎の守護聖が追うように入室してきたのに気づくと、厳しい表情のまま黙って中央に立った。

 その存在の圧迫感に、覚えず眼を伏せたクラヴィスは、他の守護聖たちが集まってくるのを音と気配で感じていた。

 水の守護聖が到着したのは、それから間もなくの事だった。扉から入ってくる姿も、躊躇いながら自分の傍らに近づいてくる様子も、視線を向けるまでもなく鮮やかに思い描く事ができる。ほんの二日前までは毎日のように側にいたというのに、こちらが意識を閉ざしていたせいで、まるで長い別離を経た再会のように、相手が際立って感じられる。

 だからだろう、この青年の全てが──微かな衣擦れも密やかな呼吸も、清浄で落ち着いた雰囲気も、何もかもが──好ましいのを、クラヴィスは自覚しないでいられなかった。自分という者にとって、それがどれほど身に過ぎた大罪であるかを知った上で、なお否定できないのだと思い知らされていた。

(ならば……)

瞼の奥の闇に、リュミエールがかつてその中で見せた不屈を思い出しながら、クラヴィスは考えた。

 来る宇宙の異変に対し、万一にでも対応が遅れるような事があったら、その重要な一部であるリュミエールとて、無事では済むまい。半端に己を守ろうとして意識を閉ざしたところで、罪が消えることも罰が已む事もないならば──

 いっそ自衛などやめて、全力で異変に備えるべきではないだろうか。





 己の中から、かつてないほど能動的な考えが現れた事に、クラヴィスは驚いた。だが同時に、自らがその考えに向かって、覚悟にも似た気持ちを固め始めているのに気づいていた。





 間もなく集いは予定通りに始まり、特に変わった事もなく進行していった。そして、ほどなく終わろうとしていた流れを、意外にも光の守護聖が遮ったのだった。

「待ってくれ──クラヴィス、ルヴァ、そなたたちからは何かないか」

やはり、ジュリアスもあの兆しを感じ取っていたのだ。ただ、確信には至っていないので、二人に同じ事が起きていないか確認してきたのだろう。

 先に答えたのはルヴァだったが、言葉でこそ否定しながら、表情と口調が見事にそれを裏切っていた。彼が先刻言っていた“落ち着かない気分”という言葉を思い出しながら、クラヴィスも頭を振ってみせた。

 それを見た光の守護聖もまた、何も言い出そうとはしなかった。彼自身、今の時点ではっきりした肯定を期待していないのだろう。むしろ今後、より兆しがはっきりしてきた時に話がうまく流れるよう、証人に事欠かないこの場で、三人が同じ立場だと伝えておきたかったのかもしれない。

 そのような彼らの様子を、女王補佐官ディアは、黙って見守っていた。同じように──あるいはより鮮明に予兆を覚えていたとしても、やはり今の時点では、それを公にするつもりはないようだった。





 集いが終わると、クラヴィスはいよいよ追い込まれたのを感じながら執務室に戻った。今や、宇宙に大事が起ころうとしているのは確実になった。これからより慎重に、また意識を研ぎ澄ませて状況をつかみ、対処しなければならなくなるだろう。

 裡なる責苦を受け続けているこの状態のまま、心を閉ざす事も意識を逃がす事もせず、むきだしの深淵を常に感じながら、異変を探っていかなければならないのだ。

 戦慄を覚えながら、闇の守護聖は伏せていた双眸を上げた。執務机の前の空間に、かつて苦しみに打ち勝った少年の姿を思い浮かべてみる。

 あの者を目の当たりにすれば、自分も少しは強くなれるだろうか。あの音色を耳にすれば、心を落ち着かせられるだろうか。たとえこの身が罪を重ねる事になろうと、それが宇宙の危機を防ぐ力の足しになるのであれば──





 もはや、リュミエールが側に来るのを拒む理由はないだろう。


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