闇の章・4−37




37.

 さらに二日後の朝、守護聖や女王候補たちのもとに、地の守護聖の面会が可能になったという知らせが届いた。思ったより早い回復に安堵しながら、闇の守護聖はその日の執務を開始した。



 夜になってようやく書類が片付くと、いつもどおり補佐に来ていたリュミエールが、控えめな口調で話しかけてきた。

「今日もお疲れ様でした。あの……これからルヴァ様にお目にかかりに行こうと思うのですが、よろしければ、ご一緒にいかがでしょうか」

闇の守護聖は少し迷い、それから静かに頭を振った。回復は喜ばしいし、容態を知りたい気持ちもあるが、面会してもどうすればいいのかがわからない。どのみち明日になれば、リュミエールが様子を教えてくれるだろう。

「……宜しく言っておいてくれ」

「かしこまりました」

断られたのを気にする様子もなく、水の守護聖は微笑んで答えた。



 ところが翌朝、リュミエールは酷く焦燥した表情で執務室を訪ねてきた。聞けば面会の折に、クラヴィスからの“宜しく”を伝え忘れてしまったという。

 謝る青年を見ながら、闇の守護聖は不審に思った。伝言自体はどうでもよいが、リュミエールが頼まれ事を忘れるとは、よほどの事情があったのではないだろうか。

「お前が物忘れをするとは珍しい。何かあったのか」

何気なく尋ねると、水の守護聖は、先刻とまた別の焦りを見せた。心当たりはあるものの、そのまま口にするには障りがある、といった表情だろうか。自らの落ち度を隠すような性分ではないのだから、誰か他の者が関っているのかもしれない。

 思い惑っている様子のリュミエールを、闇の守護聖は無言で見つめた。青銀の髪の下、色素の薄い頬が紅潮し、視線が落ち着きなく動いている。あまり見た事のない様子に、クラヴィスは心配を覚えた。

「どうした」

不意の問いに驚いたのか、リュミエールは半ば無意識のように、一つの名前を口にした。

「オリヴィエに……」

青年は、はっとして言葉を止めたが、クラヴィスにはそれで充分だった。数日前に考えていた事を思い出したのだ。地と夢の守護聖たち。互いを想っての行動が裏目に出続け、傷ついた挙句にサクリアを暴走させた二人。では彼らは、想いを伝え合う事ができたのだろうか。そこにリュミエールは、どう関ったのだろうか。

 たたみかけるのではなく、ゆっくり確かめるように、闇の守護聖は尋ねた。

「あの者が、どうかしたのか」

水の守護聖は再度考え、それから、言葉を選ぶように話し出した。

 医療院の前でオリヴィエに会ったので、連れ立って面会に行ったところ、ルヴァはだいぶ元気そうだった。自分以外の二人が、余人を交えず話したそうに見えたので先に帰り、私邸に着いてから伝言を忘れたと気づいたが、時間が遅かったので戻るのを諦めた──と。

「……申し訳ありませんでした」

些細な事を真剣に謝ってくる水の守護聖を見て、クラヴィスは一瞬、胸が詰まるほどの愛しさを覚えかけ、急いで意識を逸らせた。

 そう、ルヴァとオリヴィエだ。はっきり乞われてもいないのに、リュミエールが慌てて退出するほど、特別な雰囲気が生じていたという事は──どのような経緯かはわからないが──恐らく、想いを伝え合えたのだろう。居合わせたリュミエールは、いま一つ何が起きたのかわかっていないようだが。

 とにかく良かった、とクラヴィスは思った。永く重い時間を生きる自分たちにとって、いや、誰であろうとも、想いあう相手が側にいる事は、この上ない支えとなるだろう。

(人への想いというのは、このように叶うものなのか。幸いというのはこのように望み、得るものなのか……)

感慨に耽りかけた自分に気づき、闇の守護聖は深く息をついた。このような事を知ったところで、あるいは羨んだところで、何の意味があるというのか。全く関係ない世界の、羨む資格さえない話ではないか。

「……詮無き事だ」

許されざる感情が再び息づかないよう、意識を厳重に戒めながら、クラヴィスは低く呟いた。



 守護聖たちに、臨時の集いが開かれるという連絡が入ったのは、その午後の事だった。

 闇の守護聖は、不吉な予感を覚えた。通常は聖殿で開かれるものが、今回はなぜか、宮殿の星の間に集まるよう指示されたのだ。この時期にあえて飛空都市を避け、聖地に行かなければならない、特別な理由があるというのか。

 まさかついに、宇宙の終焉が全員に明かされる時がきたのだろうか。女王試験は終盤とはいえ、まだいずれが女王の座に就くかもわからない状態だというのに、もう隠しおおせないほど事態が進んでしまっているのか。だとしたら、果たして救済は間に合うのだろうか。

 暗い考えに陥りかけた次の瞬間、クラヴィスは視界の隅に何かを感じた。脇机の台に置かれた水晶珠が、淡くも揺らぎない輝きを放ち始めたのだ。

 大きく息をつくと、珠に感謝するようにクラヴィスは手を延べた。相変らず何の基準で光るのかはわからないが、少なくとも今は、危ういところで落ち着きを取り戻させてくれたようだ。

 そう、今焦ったところで何の役にも立ちはしない。もしこの考えが当たったとしても、それは来るべき時がきたというだけの事だ。

 役割を終えたと知っているかのように、再び透明な球体に戻っていく水晶珠を見つめながら、闇の守護聖は一人頷いた。



 それから間もなく、誘いに来たリュミエールと連れ立って、闇の守護聖は集いの会場に向かった。

「では、お気をつけて」

飛空都市側の職員が次元回廊の扉を閉ざすと、二人は宇宙間の移動を開始した。いつものように、五感では捉え切れない感覚の中を、飛空都市から聖地に向かって動き始める。

 すると突然、クラヴィスは全身に違和感を覚えた。この感覚には慣れたはずなのに、どうしたのだろうか。いつもと比べて、今日は滑らかさを失ったような、抵抗が増えたような、統制が乱れているような──

 見極める前に出口が現れ、二人は聖地に出た。闇の守護聖は同行者の様子をうかがったが、青年は何も感じなかったのか、いつもの穏かな表情で見返してくるだけだった。

(気のせい……か)

心中で呟くと、クラヴィスは無言のまま会場に向かった。



 驚いた事に、そこには地の守護聖が来ていた。医療院にいるとばかり思っていたが、予想外に回復が早いようだ。

 喜びの言葉をかけてくる年少者たちに相対している姿は、多少のやつれが残っているとはいえ、ずいぶん健やかそうに見える。少なくとも最後に見た、紙束を抱えた様子よりは、よほど平常に近いといえるだろう。

 傍らにいたリュミエールが、軽く会釈してきたかと思うと、入口近くに立っている夢の守護聖の方に歩いていった。昨夜の話でもしているのか、ずいぶん会話が弾んでいるようだと思いながら、クラヴィスは双眸を閉じた。

 ややあって、周囲が静まったのに気づいた闇の守護聖は、徐に眼を開いた。奥から、女王補佐官が入室してくるのが見える。水と夢の守護聖たちも所定の場所に戻り、全員が姿勢を正して整列した。

 しかし、守護聖たちの前に立ったディアからは、彼女のものとは思われない気が立ち上っていた。

(女王の……サクリア!)

クラヴィスは、眼を見開いた。かつて女王候補であったディアならば、確かに、この力を備えていてもおかしくはない。しかし補佐官になった以上、それを表に出す事はないはずだ──通常ならば。

「陛下に何があった」

静まり返った室内に、光の守護聖の低い声が響いた。




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