闇の章・4−38





38.

 超然としていたディアの表情が、いつもの柔らかさを取り戻すと同時に、悲しげに曇った。

「陛下は……」

慎重な言葉遣いで告げられたのは、女王の思いがけない状況だった。サクリアの必要量が日増しに大きくなってきた結果、ついに昨夜からは、意識を全て宇宙に向けなければならなくなった。補佐官である自分も力を呼び覚まして助けているが、代替わりまでこの状態は続くだろう、というのだ。

 闇の守護聖は、慄然とした。女王が全意識を宇宙に向けるというのは、人としての感覚も意思も失い、力を送り出す装置と化してしまう事を意味する。食や睡も、僅かな休憩さえ取れなくなるばかりか──そこまでなら数日前のルヴァと同じようなものだが、更に危険な事には──命の限界が近づいても気を失う事すらできず、力尽きるまで、ひたすら力を出し続けるしかなくなるのだ。

 年少者たちが驚きの声を上げ、すぐに新宇宙にサクリアを放出しようと言い出した。人為的に試験を終わらせて、一刻も早く女王を解放しようというのだ。気持ちは痛いほどわかるが、そのような方法で新女王が選ばれたのでは救済の力にならず、結局は破滅を招くだけだろう。むろん、終焉も救済も知らされていない彼らには、知る由もないのだが。

 止めようとする炎の守護聖と少年たちが言い合っているのを、暗い気持ちで聞いていると、背後から威厳ある声が響いてきた。

「戻りなさい。あなたたちにはまだ、伝える事があります」

補佐官が、再び女王の力を呼び覚まして発したのだった。

(ついに……来たか)

終焉が告げられると察したクラヴィスは、傍らの青年に眼を向けた。優しい面差しからは血の気が引き、眉が悲しげにひそめられている。女王の現状に、さぞ胸を痛めているのだろう。

 この繊細な心が、これから伝えられる事実をどのように受け止めるかと思うと、闇の守護聖は居たたまれない気持ちになった。



 そして、ディアは一同に語った。女王はあと数日を持ちこたえてみせると言い残したので、少なくとも今日明日は心配しなくて良い。だが、そもそもこのような状態に成った原因は、女王交代ではない。

 宇宙が終焉を迎えている事にある、と。

 予想していたとはいえ、補佐官の口からはっきり伝えられると、改めて事態の重さが心に圧し掛かってくる。クラヴィスは、水の守護聖が自分を見つめているのを感じた。衝撃と絶望に襲われて、反射的に安らぎを求めたのだろうか。助けてやれるものなら、いくらでもサクリアを放ってやりたいが、今は気休めにすらならないだろう。

 だが、続けて補佐官は、いたずらに恐れずともよいと告げた。女王は今、終焉を遅らせると同時に、宇宙中の生命を救おうと試みている。意識を捧げるほど大きな力が必要とされているのは、そのためなのだ、と。

 安堵しかけた守護聖たちに、ディアは半ば女王の、半ば補佐官の声で話を続けた。

「しかし、陛下のお力をもってしても、もはや終焉による綻びを全て止める事はできなくなってきました……」

守護聖のサクリア暴走も綻びの一つだと、補佐官は明かした。九つの力は本来、女王の白の力で制御されるものだが、今や全ての力を宇宙に向けているため、制御に充てる力がなくなり、抑えがきかなくなってしまったらしい。

 それを聞いた一同は、それぞれ心当たりを思い出した表情で視線を交しあった。闇の守護聖も、ようやく納得がいく思いで一人頷いた。守護聖のサクリア過剰と終焉とは、女王の力を介して、このように関っていたのだ。

「ディア、私が調べていたのは、まさにその事だったんですよ」

地の守護聖が、穏やかに語り出した。終焉が迫っているのは以前から気づいていたが、自分たちの異変の理由がわからず、古い資料にあたって調査をしていた。だが結局、白の力の不足が原因だと気づいたのは、サクリア放出依頼が小刻みになったのが切っ掛けだったという。

「でもさ、ルヴァ」

夢の守護聖が、真剣な表情で口を挟んできた。

「私の知る限りでは、ジュリアスにクラヴィス、それにリュミエールは、何も問題行動を起こしてないよ。これまでの事が、白の力の足らないせいだったとしたら、どうして三人だけ大丈夫だったわけ」

 言われてみれば確かにそのとおりだが、クラヴィスには思い当たる理由がなかった。他の二人についてならば、それぞれ自制心が強いと言えるかもしれないが、そこに自分が加わると、途端に筋が通らなくなる。

 地の守護聖も答えが出ていないのか、明らかな返事をしなかったが、補佐官には何か考えがあるらしく、いずれ答えると言ってその場を引き取った。

「それから──」

柔らかいが断固とした口調で、ディアは続けた。

「わかっているでしょうけれど、陛下の事、それに宇宙の状態については、一切他言しないで下さい。もちろん、女王候補たちにも」

 なぜ隠そうとするのかと、クラヴィスは一瞬疑問を抱き、すぐに答を見出した。自分の思っているとおり、女王交代が救済に繋がるのなら、新女王の選定は通常にも増して重要になるはずだ。

 ゆえに、まだ覚醒していない候補たちが、終焉の兆しや守護聖たちの錯乱などを目の当たりにしないよう──それらに煩わされて実力が出せず、適正や能力の劣る方が即位するなどという事が、間違っても起きないよう、一種の隔離状態にしたのだろう。

「なるほど、試験を新宇宙で行うのは……この宇宙から遠ざけ、終焉が近いのを気取らせぬため、か」

考えを口に出すと、なぜか補佐官は曖昧な言い方で肯定してから、集いの終了を告げた。どうやら、まだ知らせられない事があるようだが、とにかく今は、試験を滞りなく進めていくのが最優先なのだろう。

 あと数日、と女王は言い残した。試験も恐らくあと数日で終わり、新女王が決まるだろう。そうすれば、全てが決まり、全てが終わる。救済が成就すれば、自分も役割を終える事ができるだろう。

 それまで、何としても持ちこたえてくれ。女王も宇宙も、この自分も。



 ルヴァが椅子ごと運び出されるのを見送ると、他の守護聖たちも順に星の間を出て行った。クラヴィスも扉に向かって歩き出したが、背後のリュミエールが足を止めたような気配がしたので、ふと振り向いてみた。

 青年の肩越しに、星の間の奥で話しているディアとジュリアスの姿が見える。しかしそこには、見た事もない険悪な雰囲気が流れていた。

 そして突然、光の守護聖が、煩いと言わんばかりの身振りを見せ、礼もなく相手に背を向けた。秩序と礼儀を重んじるジュリアスにとって、それは、似つかわしくないどころか、あり得るはずもない態度だった。

「まだ、話は終わっていません──ジュリアス!」

ディアが歩み寄り、白い袖に手を掛けると、光の守護聖は力任せに振り払った。

「話す事など、もはやない!」

怒鳴るように言い残し、クラヴィスとリュミエールの横を通りすぎていく。

 その背に、ディアは厳しくも悲しげな声で宣告した。

「では私の権限で、オスカーの謹慎を解きます。あなたの了解は求めません」

「補佐をさせるか否かは、私の権限だ」

扉の前まで来たジュリアスは、前を向いたまま断固とした声で答え、退出していった。

 闇の守護聖は、呆然と立ち尽くしていた。自分は今、何を見たのだろうか。あのジュリアスが、もはや秩序が人格の一部になってしまったような光の守護聖が、あれほど立場を弁えない態度に出るとは、いったい何が起きたのだろうか。

「……危ない!」

リュミエールの声に気がつくと、部屋の奥で、ディアが倒れそうになっていた。水の守護聖が駆けつけ、何とか支えられたようだったが、離れたこの位置からでも、補佐官の顔色が悪くなっているのがわかる。

(女王のサクリアを呼び覚まして助けている、と言っていたな……)

 闇の守護聖は、ぼんやりと思い出していた。潜在的に持っているとはいえ、永らく封じてあった力を突然引き出して女王を補うなど、補佐官の職を遥かに超えた激務だ。そうでなくとも宇宙の情報収集やサクリアの放出調整、女王試験の管理、さらには突発的な事件の対応までしているのだ。疲労が限界に近くなっていてもおかしくない。

(あと……数日)

祈るように心で呟きながら、クラヴィスは水の守護聖と補佐官を見つめていた。




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