闇の章・4−5


5.

 それから間もないある午後、サクリアの放出指示を受けて星の間に向かったクラヴィスは、次の間に入ったところで係官に呼び止められた。

「クラヴィス様、恐れいりますが、ただいまリュミエール様がサクリアを送られているところです。どうか、今しばらくお待ちくださいますように」

やむなくその場に留まった闇の守護聖は、すぐに強い疲労感が襲ってくるのを覚えた。まるで、何者によって床に引き摺り下ろされようとしているかのように躯が重く、耐えようにも力が入らない。壁に身をもたせかけてようやく姿勢を保ちながら、クラヴィスは自らの衰弱を思い知らされていた。





 どれほど経っただろうか、奥の扉が開いた途端、呼吸が楽になるのがわかった。驚きと喜びを隠そうともせず、水の守護聖が近づいてくるのが見える。その動きと連動するように疲労が剥がれ落ち、躯が自由を取り戻す。

 こうも自分を心地よくさせる存在のある事が、闇の守護聖は、未だに信じられない思いだった。リュミエールの声も表情もしぐさも、激しすぎず曖昧すぎず、短い会話を交わす間にさえ快さを与えてくる。星や静寂からしか得られないと思っていた安らぎと喜びを、より大きくもたらしてくる。

(水のサクリアだけで、ここまで癒されるものではない……)

去りがたい気持ちのまま星の間へと歩き出しながら、クラヴィスは心中で大きく息をついた。

 たとえこの先、精神も肉体も滅びかねない罰を受ける事になろうとも、もはや認めないわけにはいかないだろう。この途方もない作用は皆、自分の想いを反映したものだと。リュミエールと共にある、それこそが自分の幸福なのだと。





 だがその感慨は、次の瞬間、背後から聞こえてきた物音に遮られた。

 振り返ったクラヴィスは、廊下に通じる扉から、女王補佐官と光の守護聖、そして炎の守護聖が入ってきたのに気づいた。ジュリアスのサクリアが、なぜか普段以上に強く感じられて、頭の芯が鋭く痛みだす。すぐさま水の守護聖が歩み寄り、側に立ってくれなければ、床にうずくまっていたかもしれない。

「あら、クラヴィスとリュミエール……」

痛みの波を超えて、女王補佐官の呼びかけが聞こえてくる。口調こそ普段と変わらないが、その声が、いつにない力強さを湛えているのに闇の守護聖は気づいた。

「どうするのだディア、場所を変えるか」

「いいえ。この際ですから、二人にも聞いてもらいましょう。今なら星の間が空いているようですから、そこでお話します」

重々しく決然とした響き。いったい、女王補佐官がこのような時に、何を話そうというのだろう。

(まさか──)

宇宙に起ころうとしている異変の正体が、今から明かされるのだろうか。そうでなければ、ディアがこれほど強い意志を見せて口にすべき事があるだろうか。

 闇の守護聖は、恐怖と緊張に、意識が遠のくのを感じた。逃れたいという意志も生じないほど朦朧とした状態で、クラヴィスはディアの言葉に操られるように、ゆっくりと三人の後を歩き出した。





 女王の交代。星の間で告げられた答は、単純明快だった。

「彼女が……」

呆然として呟いた瞬間、クラヴィスの心を、かつて覚えたことのない衝撃が走った。

 身分を考えれば無礼に当たるであろう、このような呼びかけをするほど、強い想いを寄せていた相手。その女性に起きた、これほど大きな変化を、自分は全く予感していなかったのだ。





(なぜだ──)

衝撃は疑念に変わり、疑念は容赦なく記憶を切り開いていく。

 あれほど想っていたはずなのに。全てを懸けて愛し、それゆえに深い傷を負わせてしまったはずなのに。





 薄暗い部屋の中で、僅かな光を受けたその髪だけが輝いている。

 激しい眼差しが、時空を越えて心を責めつけてくる。



 幾度となく蘇った光景が、細かい振動とともに輪郭を失い始め、奥から別の光景が、透かし絵をはがすように見えてきた。



(やめろ……!)

僅かに残された保身の本能を頼りに、闇の守護聖は振動を止めようとしたが、それが空しい努力に過ぎないのを、どこかで感じてもいた。

 永らく身を沈めてきた痛みに、もはや自身の一部とさえ思われていた呵責の檻に、クラヴィスは縋り、逃げ込もうとした。だが見え始めた光景は、容赦のない霧のように流れ込んできくる。怯え惑う者を嘲笑うかのように濃さを増し、その底に潜む更なる深淵を、露にしようとしている。





「やはり、そうであったか──薄々、感じてはいたのだ。前陛下の時と似た感覚が、日増しに強くなってきたからな」

聞き覚えのある声が耳に届いた時、クラヴィスは自分の抵抗が無駄に終わったと知った。





 薄暗い部屋の中で、僅かな光を受けたその髪だけが輝いている。

 激しい眼差しが、時空を越えて心を責めつけてくる。



 謁見の間ではなく、くすぶる暖炉の前から。悲しみではなく、憤怒と失望に震えながら。

 それは、現女王が聖地に来るよりも、ずっと前の光景だった。




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