水の章・1−3
3.
女王陛下の御前での、正式な引き合わせではないので、対面と紹介はほどなく終わった。
その間、クラヴィスと視線の合う事は一度もなかったが、リュミエールはさして気にも留めなかった。あれほどの方が、一々会った人を覚えているはずがない。これから少しずつ、覚えてもらえればいい……そんな風に、彼は考えていた。
「リュミエール!」
呼ばれて振り返ると、資料を山ほど抱えたオスカーが、すぐ後ろに立っている。
現役守護聖の指導を受けながら、急ぐ事なく、しかし着実に引き継ぎが進められていく。二人の次期守護聖には、その合間を縫って、自習しなければならない事が沢山あった。それでリュミエールも、こうして図書室で、しばしばオスカーと顔を合わせていたのである。
「聞いたか。明日また、集いがあるらしい」
「ええ」
リュミエールは、言葉少なに答えた。
見るからにエネルギッシュな次期炎の守護聖に、リュミエールはいつも圧倒されがちである。一方オスカーの方は、こちらの事を、いま一つノリの悪い相手だと感じている様だ。
苦手と言うほどではないが、長く話していると疲れる友人、といった関係が、いつか二人の間には出来上がっていた。
だが、今日のオスカーは珍しく、話し続けたい様子である。
「この前の集いは、ここに着いてすぐだったから、お互い緊張したな」
「……あなたが?」
リュミエールは、意外そうに目を見張る。
「とても、そんなふうには見えませんでしたよ」
「まあな。普段は割と、どこに行っても平気な質なんだが」
赤毛の少年はそこでふと言葉を切り、資料をばさっと机上に落とすと、自分もリュミエールの隣の椅子に、勢い良く腰を下ろした。すぐ近くの書棚を整理していた図書館員が、その様子に顔をしかめている。
それに気づきもせず、オスカーは話を続けた。
「……俺を緊張させたのは、あの中でもたった一人の方だった。感じたんだ、やはり高位のサクリアを司られる方は、俺たちとは格が違うと。声といい、物腰といい……とにかく、違うんだ」
高位のサクリア。リュミエールの胸に、あの日のクラヴィスの姿が蘇った。
「私も……同じ感覚を覚えました。雰囲気というのでしょうか、持って生まれた魂の気高さが、自然と表に現れている様でしたね」
「そうだろう!お前もそう思うのか!」
勢い込んだオスカーのすぐ後ろで、図書館員の咳払いが聞こえた。
ぎょっとして振り返った次期炎の守護聖は、忌々しそうに館員を睨み付けると、前よりは幾らか小声になって、続けた。
「お前も結構、人を見る目があるよな。やはり、お仕えするならああいう方だと、俺は思うんだ」
「お仕え……ですか、クラヴィス様に?」
きょとんとした顔で、リュミエールが言う。
「クラヴィス様ぁ?」
更にきょとんとした顔で、オスカーが繰り返す。
「あの、遅刻してきた人なのか?お前が感動したのは」
「そうですが?…………ではあなたは、ずっと、ジュリアス様の事を話していたのですか」
しんとした図書館の空気が、一層冷え冷えと白く感じられる。
何とか場を繕おうと、リュミエールが言い出す。
「あの……ジュリアス様も、とても立派で威厳のある方だと、私も思いますよ」
「無理するなよ、リュミエール。やっぱり、お前と俺は水と炎、相容れないってわけさ……まあクラヴィス様にもどこか、ただ者じゃない雰囲気があるとは思うがな」
やれやれという様に首を振り、オスカーは資料を持ち上げると、書棚の方へ去っていった。
(水と炎……)
リュミエールはまた、考え込んでしまった。
(優しさと強さ……本当に、私などの中に、水のサクリアがあるのでしょうか……)