水の章・1−4


4.


 やがて引き継ぎが完了すると、女王陛下の御前において正式に、守護聖交代の儀が執り行われた。

 短い期間を熱心に指導してきてくれた前・水の守護聖は、最後までリュミエールの繊細すぎる神経を気に掛けていたが、最後に、"自信を持て、お前ならできる"という一言を残し、聖地を去っていった。




 見送りが終わり、屋敷に戻ったリュミエールは、初めて当主として使用人たちの出迎えを受ける事となった。

 それは彼にとって、あまりにも違和感の大きいものだった。

 つい今朝方、出かけた時は、前任者の退去を心から惜しんでいた人たちが、今は自分を主と仰いでいる。理屈では分かっていてもすぐには受け入れ難く、ようやく馴染み始めていた館さえも、恐ろしいほど広く寒々とした感じがする。

 リュミエールは何かから逃れるように寝室に入り、震える指でわが身を抱きしめた。

 全ては時間が解決する事だ、いずれ慣れるのだから、と自分に言い聞かせながら、そっと竪琴を手に取る。

 ドアの外で心配そうに顔を見合わせていた使用人達の耳に、美しい調べが流れてきた。初めは不安気だった音色が、徐々に落ち着きを取り戻していく。それを聞く内に、彼らもまた安堵に満たされ、改めてこの新しい当主のための仕事に戻っていくのだった。 






 守護聖としての日々を送る中、ほんの少しずつだが、リュミエールも周囲とも打ち解け始めていた。

 見るからに繊細な青銀の髪の少年に、最初は鼻白んでいた者もいたが、次第に彼の慎重で真面目な態度に微笑ましさを感じ、それぞれに優しく接するようになった。

 闇の守護聖クラヴィスだけは、例外だったが。

 と言っても別に、彼がリュミエールに対して、特に冷淡な態度で接するというのではない。そもそも、接する機会がないため、態度というものが存在し得ないのだ。

 それはリュミエールだけでなく、他の誰に対しても同じ事だった。

 正式な会議には何とか顔を出すものの、必要最低限か、それ以下の言葉しか発しようとはない。有志が集まって食事やお茶を楽しむ席にも顔を出そうとせず、公園や森で姿を見かける事があっても、どこか遠くを見ている風情が、その整った神秘的な貌と相まって、同僚たちにさえ、近寄りがたさを感じさせているらしい。

 ただ、リュミエールの場合は、更に酷かった。

 似たような場所を好むのか、行動範囲が広がるにつれ、彼はしばしば屋外でクラヴィスと出会う様になっていた。だが、あの日の輝きが幻だったかの様な虚ろな視線に会うといつも、自分でも理解できない不思議な感情に囚われてしまう。焦燥にも似たその思いの強さに戸惑い、言葉の一つも紡ぎ出せないままその場に立ちつくしてしまう。

 そして理由も分からない、胸の締め付けられるような切なさを感じながら、通り過ぎていく長身の姿をただ見つめるのだった。






 今日もリュミエールは庭園の噴水前で、クラヴィスの後ろ姿を、辛い目礼で見送ろうとしていた。

 そこに突然、目映い金と赤の髪が現れた。

 光の守護聖ジュリアス、そして、彼に付き従う炎の守護聖オスカーである。

 赤い髪の少年は、就任するとすぐに、図書室での話を実行に移していた。ジュリアスの元に赴き、直に、自分を副官として使って欲しいと言い出したのだ。守護聖同士で主従関係を持つのは異例だったが、結局はその熱意に絆された形で ― 制度ではなく、飽くまでも個人の、女王への忠誠心の現れとして ― オスカーは、ジュリアスの補佐に就く事を黙認されていた。

  その"主従"二人が、闇の守護聖の前に立ちふさがる。

 「クラヴィス、そなた、また報告を怠ったな!」

ただでさえ人を威圧せずにおかない容姿のジュリアスが、怒りを顕わにしている。その迫力は、端で見ているリュミエールや、背後に控えたオスカーまでも震え上がらせた。

 だが、当のクラヴィスは平然と相手を見返し、

「そうだったか……?」

と、低く答えるのみだった。

 光の守護聖は黙したまま、目の前の相手を睨み付ける。闇の守護聖は、相手に薄い視線を向けたまま、無表情に立っている。陽光豊かな庭園の中央で、二人はまるで対照を表すオブジェのように向き合っていた。

 「……それだ、その目だ」

ジュリアスが、彼には珍しく押し殺した声で言い出す。

「いつか言おうと思っていた ― そなたは私と話す時、なぜこちらを見ようとしない」

「……見ているが?」

「違う!」

 憤然とした叫びに、行き交う人々も振り返っている。

「私をごまかせると思うな。それはただ、視線を向けているだけであろう、意識をどこかに飛ばしたままでな!」

 オスカーとリュミエールは、驚いてジュリアスを、次いでクラヴィスを見つめ、今の言葉が真実であるのを悟った。クラヴィスは確かに、誰に対しても無関心な態度を保っている。だが、今ジュリアスに向けているほど虚ろな視線は、他の誰と向き合っている時にも見られない。恐らく光の守護聖は、常にこの様な目を向けられ続けているのだろう。

 暫しの沈黙の後、クラヴィスは薄い唇を開いた。

「話は……それだけか」

端正な白皙の面を、皮肉な微笑が、影のように掠める。

 光の守護聖が、ぐっと両の拳を握りしめるのが目に入った。

「言うだけ無駄だったようだな……行くぞ、オスカー」

 ジュリアスは衣の裾を翻し、速い足取りで、やってきた方角へ戻って行く。慌ててオスカーもその後を追う。

 そして噴水の側には、闇と水の守護聖二人が残された。


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