水の章・2
1.
水炎二守護聖の交替から、聖地の穏やかな季節は既に一巡りしていた。
ある金の曜日、執務時間を終えたリュミエールは、ふと窓の外に目を遣った。
宮殿の前庭も、その向こうに臨める庭園も、夕暮れ前の柔らかな空気に包まれて、白昼より淡い色彩を見せている。
今なら、庭園に出かけても、昼間ほど人に会わずにすむかも知れない − そんな事を考えている自分に気づいて、青銀の髪の少年は、はっとした。
人と会うのが嫌いなわけではない。
ただ時折、少しだけ、そう、ほんの少しだけ、気が重くなるのだ。
人の多い時間の庭園では、何度かに一度は、ちょっとしたアクシデントに立ち会う事になる。
例えば、目の前で小さな子どもが転ぶ。重そうな荷物を運ぶ老人が通りかかる。急な雨に濡れる人を見つける事もある。
そんな時、彼は、考えるより前に声を掛け、気づけば手をさしのべているのだ。
すると相手は決まって、こういう意味の言葉を返す。
「ありがとうございます、優しい方」
リュミエールの身分を知らないであろう幼い子どもや、聖地に来たばかりの人にさえ、言われてしまう。
そう、それは、物心付いた頃から何度となく掛けられてきた言葉だった。
そして、言われるたびに違和感を覚えてきた言葉でもあった。
感謝と共に賞賛してくれる気持ちは、ありがたいと思う。が、改めて「優しい」と言われると、自分がそれに相応しいのか、つい考え込んでしまうのだ。
相手のためだけを思って行動できるのが、優しさではないのか。
元から揉め事を嫌い、他人の辛そうな顔を見るのに耐えられない性質の自分である、そんな好悪がとっさの行動に出ているとしたら、それは単なるわがままに過ぎないのではないのか。
そんな人間が、優しいなどと言われていいのか、ましてや……
「私に、水のサクリアを持つ資格があるのでしょうか」
守護聖の任に就く前、リュミエールは前任者に思い切って尋ねた事がある。
すると前任者は、躊躇うことなく答えたのだった。
「もちろんだ、お前は優しい心の持ち主なのだから」と。
その言葉には、信頼と期待が溢れていた。
思い出すたびに、精一杯、応えたいと思う。思うのだが……
水色の髪の少年は、力無く肩を落とした。
その時、ドアを遠慮がちに叩く音と共に、聞き覚えのある声が流れてきた。
「リュミエール、まだいますかー?」