水の章・2−3
3.
職員に先導された四人が着いたのは、研究院の奧にある広い部屋だった。最新の技術を用いた機器が備え付けられたそこでは、宇宙中の星々との連絡や観察が可能となっている。
「ジュリアス様!」
「……クラヴィス様」
オスカーとリュミエールが、同時に声を発した。
とうに帰宅していると思われた光と闇の二守護聖が、ディアや数人の職員と共に、中央に置かれたプロジェクターの側に立っていたのである。
若き女王補佐官が、足早に歩み寄ってくる。
「お呼び立てしてすみません。実は……947星系の第5惑星に、まだ人が残っているのが分かりましたの」
「何だって!」
滅多に取り乱さないカティスが、大声を出した。
「信じられん、派遣軍が手違いを起こしたのか」
「いいえ。どうやら彼らは、自分の意志でそこに残っているようなのです」
四人は、一斉に驚きの表情を現した。
「それは……どういう事ですか、ディア。もう少し、説明をお願いします」
普段は穏やかな微笑を浮かべているルヴァの顔が緊張に引き締まり、グレーの目が知的な光を露わにしている。
「私が話そう」
首座の守護聖のよく通る声が響く。
一同は、それを合図としたかの様に、プロジェクターの側に集まった。
「周知の通り、第947星系から脱出した民は、既にそれぞれの移住先に到着している。だがその数が、予定より僅かに少ない事が、つい先ほど分かったのだ。また、移住者側からも、自分の身内や知人の消息が分からないという通報が、何件も寄せられた。
そこで、派遣軍と研究院が緊急に調査した結果、第5惑星のドーム都市の一つに、数十人と見られる住民が立て籠もっている事が分かったのだ」
「何だって、そんな馬鹿な事を!」
思わず声を上げたのは、オスカーである。
「詳しい事情は、まだ分からぬ。ただ、この者が言うには」
とジュリアスは、前方 − 今は砂嵐のようなものしか見えないが、本来ならば映像の現れるべき空間 − を見つめたままでいる闇の守護聖に目を向けた。
「今日の午後、この不鮮明な映像の中に、何か不穏な色を見たそうだ。そして占ったところ……」
「……いくつもの欲望と怖れ、愛と悲しみが、一つの間違った希望に束ねられている、という答えが出た」
ゆっくりと向き直りながら、クラヴィスが後を引き取った。
「間違った……希望?」
リュミエールの呟きは、観測機器を操作していた職員の声にかき消された。
「ドーム内の防災用カメラに、回線を繋ぐ事ができました。残留者と派遣軍が映っています!」
先ほどまでは、何一つはっきり見えなかった空間の中央に、石で造られた古く大きな建物が映し出されていた。
その前には数人の男女が立ちふさがり、遠巻きにして説得する派遣軍の者 − 避難艇を背後にし、責任者である将軍が、自ら説得にあたっている − を、激しくなじっている。
ルヴァが、不審そうに呟く。
「あの建物は……礼拝堂?しかし、どこか……」
その時、低いが、恐ろしく大きな音が部屋中に響いた。
「避難艇の通信機経由で、将軍のマイクから音を拾っています。今のは、おそらく地鳴りでしょう。この惑星はもう壊滅寸前ですから」
職員が説明する声に、残留者を説得しようとする将軍の声が重なって聞こえてきた。
『他の人たちはもう、新たな地で新たな生活を始めようとしている。君たちにだって、これからできる事、するべき事が、幾らでもあるはずだ』
『……いいから帰れ、放っておいてくれ!』
少し遠く聞こえるのが、残留者の声だろう。
『それ以上近づいて見ろ、礼拝堂ごと、全員で自爆してやる!』
『そうよ、私たちの邪魔をしないで!』
野次にも似た罵声に眉一つ動かさず、将軍は言葉を続ける。
『移住先の親族や友人たちは、どうなってもいいのか!彼らはみな、君たちの事を思い、心を痛めているんだぞ』
『構うものか、これは俺たちの、ええと……そうだ、この惑星を愛する気持ちだ!』
『そ、そうだとも。大事な故郷だから、最後までつきあってやりたい、優しくしてやりたいだけなんだ』
「違います!」
リュミエールが叫んだ。
「それは……優しさなどではありません!」
『今の声は!?』
将軍は、不思議そうに手元のモニターを見つめた。
『避難艇、どこと回線を繋いでいる?』
「そうだ、ジュリアス様。今みたいに、俺たちから直接言ってやればいいんじゃないでしょうか」
オスカーが、勢い込んで言う。
「モニターに繋がっている回線を、スピーカーに切り替えさせて、俺たちが、いや、ジュリアス様が直接説得されれば、あいつらも考え直すでしょう!」
光の守護聖は、補佐官に目を向けた。
「ディア、どうだろうか」
「ええ、構いませんわ。非常時ですもの」
ディアの指示で、職員が派遣軍と連絡をとるのを、リュミエールは呆然と見つめていた。
優しさとは何なのかも分からず、自分にそれがあるとも思えないのに、どうしても言わずにはおれなかった。
はっきりした根拠があったわけではない。ただ、彼らの言葉を聞いたとき、意識の奧から、痛いほどの違和感が突き上げてきた。その時、ここに優しさは無いと、彼らの行動が故郷への優しさから発しているのではないと、直感的に悟ったのだ。
激してしまった余韻か、体が細かく震えている。思わず顔を伏せ、落ち着こうと細く息を吐いてみる。だが、それえも小さく波立っているのが感じられた。
(いけない、こんな事では)
自分の動揺を振り切る様に、少年は顔を上げた。
紫の瞳。
プロジェクターのすぐ傍らで、闇の守護聖がこちらを見つめている。
白皙の面には何の表情も現れていなかったが、ただその視線を受けるだけで、冷えていた指先に感覚が環る様に、震えていた弦が静寂の直線に戻る様に、心が落ち着きを取り戻していくのが分かる。
「クラヴィス……様」
小さく洩れた呼び掛けに、黒髪の青年がほんの少し、安堵の表情を返した様に見えた。
間もなく、職員は機器から顔を上げると、早口に告げた。
「繋がりました。これで、守護聖様方から直接、残留者に呼び掛けられます!」
『滅び行く星に残ろうとする者たちよ』
ジュリアスの声が、遙かな空間を隔て、残留者たちの耳に届く。
『そなたたちは、故郷のためにも、そこを離れなければならぬ。新たな地にて、故郷の文化を、記憶を継承していく事によって、この星は永遠の命を得るのだから。そしてまた、そなたたちが新たな幸福を得、それを子孫に繋いでいく事が、この星にとっての幸福ともなるであろう……』
残留者たちの間に、動揺が広がった。
『今、誰が話したんだ』
『何だか、とても不思議な感じがするわ』
『聞いたことがないよ、こんな声……!』
将軍が、重々しく告げた。
『今のは、光の守護聖、ジュリアス様のお声だ。聖地から直接、ここに呼び掛けて下さっているのだ』
『守護聖様!』
周囲にいた者たちが一斉に声を上げ、それを聞きつけた残りの者たちが、礼拝堂から姿を現した。その殆どは、老人や子どもである。
『守護聖?』『守護聖様のお声が……』
だが彼らは、警戒を解こうとしなかった。寧ろそこには、先ほどまでとは違った、一種異様な緊張感が生まれていた。
「まだ、駄目か」
独り言のように呟くと、緑の守護聖が一歩前に進み出た。
「俺にも、話させてみてくれ」
ジュリアスは頷き、場所を変わった。
マイクに向かい、カティスが話し始める。
「俺は緑の守護聖カティス。君たちと同じく故郷を愛し、故郷を失った者だ……」
「カティス!?」
リュミエールが目を見張るのと同時に、オスカーが声を上げていた。
『……聖地に来て暫くたった頃、俺は、自分の住んでいた星系が、もう長くないと知らされた。ちょうどこの星系と同じように、寿命が尽きようとしていたんだ。
俺はいつか、この長い任期が終わったら、もう一度故郷に戻りたいと、あの土の香りを嗅ぎたいと、それだけを願っていた。だから、自分が辛くなかったとは言わない。君たちに、悲しむなとも言わない。ただ、それで全てが終わりだなんて考えないでほしいんだ……』
カティスが話し進めるにつれて、残留者たちの間に、居心地の悪そうな表情が広がっていく。
それでも彼らは、誰一人そこを動こうとはしなかった。
「カティスがこんなに話しても、分かってもらえないんでしょうかねえ」
映像の浮かぶ空間に、顔を突っ込みそうになりながら、ルヴァがため息をつく。
「あの礼拝堂の建て方といい、この場所はどこか、変ですよ……」
独り言の様に呟き続ける、その肩を掠めるようにして、突然、長い腕が伸ばされた。
「この者が……」
残留者たちの中でも、一番年若そうな少女を指し示し、闇の守護聖が口を開いた。
「……何かを語りたがっている」
「クラヴィス?」
ジュリアスが、不審そうに聞き返す。
「語らせてみるといい」
そう言うなり、関心を失ったかの如く手を下ろしてしまったクラヴィスに、ディアが頷いて見せた。
「あなたがそう言うのなら、やってみましょう……将軍に、指示を出してみます」