水の章・2−4


4.


 『そこの女の子』

 将軍が少女に呼び掛けた。11,2歳だろうか、痩せて顔色も悪いが、気丈そうな光を瞳に宿している。

『何か、言いたい事がありそうだな。遠慮しないで、言ってごらん』

 少女は驚いたらしく、側にいた男 − 恐らく父親だろう − の背後に隠れてしまった。だが、目だけを覗かせ、礼拝堂と派遣軍とを交互に見やっている様子から、その小さな胸中の迷いが伝わってくる。

 スピーカーから、柔らかな声が流れてきた。

『……恐れる事はありませんよ。ただ、あなたの思っている事を、そのまま口にすればいいのですから』

 少女の姿に心を痛めたリュミエールが、そっと語りかけたのだ。

『守護聖様……』

その言葉に安心したのか、少女は気を取り直したように立ち上がった。

 慌てて止めようとする男を後目に、澄んだ高い声で話し出す。

『分からないんです……どうしてあんなに、緑の守護聖様の声が、悲しそうなのか。守護聖様になれば、永遠の命と無限の富が与えられて、悲しむ事なんか何一つ無いって、神官様はおっしゃったのに。だから父さんは何もかも、母さんの形見の指輪まで、全部寄付したのに!』

 『寄付だって?』

将軍が、訝しげに聞き返す。

『神官が、そんなものを求めたのか?』

 少女は、どこか得意そうな面もちで頷いた。

『だって、私たちの神官様は、とても偉い方なんですもの。少し前に余所の惑星からいらして、ずっと忘れられていたこの古い礼拝堂を、ご自分で直して開いて下さったり、病気の人に珍しい薬を分けて下さったりして……その神官様が、たくさん寄付をして、ここで惑星が壊れるまでお祈りを続ければ、生まれ変わって、守護聖様や聖地の人になれるんだって仰ったから、私も父さんも……』

 『俺はどうなってもいい!』

少女の父親が、割って入った。

『でも、どうか娘だけは、見逃してやって下さい。この子は体が弱くて、あと5年も生きられないって、神官様に言われてるんです。せめて生まれ変わって、今度こそ幸せになれるなら……』

 男が言い終わる前に、周囲の残留者たちが一斉に喋りだした。

『他の奴らには黙ってるようにと、神官様に言われただろう!』

『あんただけじゃない、うちの人だって、あと3年保たないって言われてるんだよ』

『あまり人数が多いと、望みを叶えてもらえないんだって……』

 『静まれ!』

光の守護聖の声が、観測室と第5惑星に轟いた。

『そなたたちは、謀られている。このジュリアスが誓って言おう、寄付や命がけの祈りなどで、来世の運命が決まるものではない。ましてや、守護聖になるか否かなど、時が来るまでは誰一人、知る由もないのだ』






 画面の中で、残留者たちが混乱を起こしていた。放心したように座り込む者もあれば、怒鳴り散らす事で失望をうち消そうとする者もいる。

 その隙に乗じて兵士が彼らの中に飛び込み、隠し持っていた爆弾を取り上げるのが、観測室にはっきりと映し出された。

 「これで、ひとまずは安心か」

光の守護聖はほっと息を付く。しかし、彼の美しい貌は、苦痛を受けたかのように歪んでいた。

「住民たちの財産を巻き上げ、命を奪おうという企みだったのだろう。畏れ多くも女王陛下の直属である、聖地や守護聖、神官という存在を、騙りの道具に貶めて……その自称神官とやら、到底許せぬ!」

 その場にある他の者たちも黙り込み、遣る瀬ない表情を露わにしていた。

 起こり得ぬ事ではないと、頭では理解していても、傷心はあまりに大きい。

 自らの存在が特異であるという事を、改めて思い知らされただけではない。特異さ故に誤解を受け、その誤解が悪事に利用されたという事実が、一同に少なからぬ衝撃を与えていたのである。

 視線を床に落とし、ルヴァが大きくため息をつく。

「彼らは、無知だったのですね。そのために、誤った知識を吹き込まれた……私のサクリアが、うまく作用しなかったのでしょうか……」

 ディアが、宥めるように話しかけた。

「あなたのせいではありませんわ、ルヴァ。故郷の最期が近いと知って、動揺しない人はいないでしょう。そんな時に、不安や欲につけ込まれたのでは、誰であっても、例え正しい知識を持っていても、間違いを犯しかねません」

「……ありがとう、ディア」

 地の守護聖は、仄かな笑みを取り戻した。

 リュミエールは、そっとクラヴィスに目を向ける。

(欲望と怖れ、愛と悲しみ、そして、一つの間違った希望……)

 闇の守護聖の面には、他の者ほど目立った表情は現れていない。だが少年はそこに深い愁いの色を、確かに見出していた。






 画面の中では将軍が、残留者を避難艇に誘導しながら、例の"神官"の居所を突き止めようとしていた。恐らくは、隙を見て逃げ出すつもりだったのだろうが、どうやらまだ機会を得られずに、この付近に潜んでいるらしい。

 そうしているうちに、またも地鳴りが響いた。

 「くそっ、もう時間がない!」

オスカーが歯噛みする。

 その時、クラヴィスがやにわに口を開いた。

「ルヴァ……この礼拝堂について、何か言っていたな」

 「え?ああ、その事ですか」

ルヴァは、画面奧に見える別棟を指さした。

「おかしいのは、この建物なんですよ。礼拝堂自体は、この星域の文化圏の、ある時代の様式に沿って建てられています。ですが、その様式では絶対に、この場所を空けておかなければならない筈なんですよ。そもそもこの位置は、古来の土着宗教によって神聖な方角とされ、礼拝堂の建てられた時代にもまだ、その名残が……」

 「そなたたち、こんな時に、何の話をしているのだ!」

苛立ったように口を挟むジュリアスを押しとどめ、カティスが職員に話しかけた。

「待ってくれ、どうも匂うぞ……おい君、あの建物の中身を映し出せるか?」

「ええ、災害救助用のスキャン機能があるはずです」

「よし、やって見せてくれ」




 職員は機器を調整し始めたが、やがて、不審そうに言いだした。

「この棟は、石造りではありませんね。そう見えるように偽装されていますが、材質から見て、ごく最近建てられたようです……映像、出ました!」

 そこには、およそ礼拝堂に相応しくない物体が映し出されていた。


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